2015.7/26
今日は日曜日だったんですが,品川で日本免疫毒性学会運営委員会!
川は・・往路の吉井川〜品川駅港南口では,屋台が出ていました。
  

さて,今日は,頑張って岡山発始発にのって・・名古屋で乗り換え・・掛川で「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」です!〜お城が見えてきています。
荷物をコインロッカーに預けてさぁ!!
駅から・・・掛川城へ向けて〜彫刻もあります!!!
さて,割とすぐに到着!!!
さて,登城しましょう!
向かいの広場では何かの準備中?
3層の天守閣のようですね!
なんだかいろんな大名の旗が??
さて,近付いてきました。
あら,山内一豊と千代?
さぁて・・・入城です。
【1590年(天正18年)に家康が東海から関東に移封されると、掛川城には豊臣秀吉の直臣であった山内一豊が5万1千石(のち5万9千石)で入った。一豊は掛川城の大幅な拡張を実施し、石垣・瓦葺の建築物・天守など近世城郭としての体裁を整えた城郭とした。】なので山内一豊!
お城は・・・・本当に急な階段です。
もう一気に天守閣!!
ほら,こんなにお殿様が代わっていったみたいです。松平,北条,井伊なども・・・。
下の方には,御殿やその他お城に関連する建物があるようですね!
緑の丘も多いですね!
展示も写真撮影OKでした。
殿様気分!
下層からの眺め・・
石落としなど・・お城では馴染みですね!
さて,天守閣は終了・・次へ!
御殿の方に向かいます!
石垣も含めてそびえ立っています!
案内板に合わせて御殿の方へ・・・・
庭のようなところに・・・
鳥も・・
【室町時代中期の文明(1469年 - 1487年)年間に守護大名・今川義忠が、重臣の朝比奈泰煕に命じて築城したと伝えられている。そのまま朝比奈氏が城代を務め、泰煕の子孫である朝比奈泰能・朝比奈泰朝が代々城を預かった。ところが、1568年(永禄11年)、朝比奈氏の主家の今川氏が甲斐国の武田信玄・三河国の徳川家康の両大名から挟み撃ちに遭い、当主の今川氏真は本拠地たる駿府館を捨てて、朝比奈泰朝のいる掛川城に逃げ延びた。このため、掛川城は徳川勢の包囲に遭うが、泰朝は城を守ってなかなか落城しなかった。しかし、多勢に無勢もあり、和議で主君氏真の身の無事を家康に認めさせると、泰朝は開城を決断した。】だそうです。
暑くなってきました。
お堀跡
御殿です・・・
【御殿は、城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用されました。書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室が連なり、各室は襖によって仕切られています。 当初は、本丸にも御殿がつくられましたが老朽化したり災害にあって、二の丸に移りました。  現存する御殿は、嘉永7年(1854年)大地震で倒壊したため、時の城主太田資功によって、安政2年(1855年)から文久元年(1861年)にかけて再建されたものです。】だそうです!
入りましょう!
ここも写真はOKなんですね!
いろんな部屋がたくさんあります!!
ずんずん・・巡っていきましょう!
天守を眺めるんですね!
次々といろんな用途の間があります〜〜
天井に家紋が・・
順路はお殿様の間(一番,偉いところから・・だんだん,下級の者共のところへ)から始まっていましたね!
お城の全景の模型!
台所とかの方に向かっていきます!
【安政2年から明治2年(1869年)までの14年間は掛川藩で使われましたが、廃城と同時に勤番所と徳川家兵学校に転用され、廃藩置県とともに掛川宿に無償下附され聚学校として使われました。その後も女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用され続けました。その後、現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国でも数カ所しかない、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建築物として、国の重要文化財に指定されています。】だそうです!
中庭みたいなのもあるんですね!
展示物もいろいろあります。
大名行列のジオラマ!
大変なことですよね!
郷土のものも・・・・
さて,ぐるりと回りました。
   
外は〜土塁のところにカノコユリが・・これは自然?
よく昔の様子が伝わります。
奥へ回って・・
美術館などもありました。
さて,入城のところの本丸広場(花広場)の方へ戻ってみましょう!
きれいな花々があったものね・・・
さて・・・本丸広場〜花広場を巡っていきましょU!
これも楽しい空間です。
いろんな花です!
時にお城を眺めやりながら・・・
なんか花々を観るとウキウキしますね!
少し休憩も含めて・・・
蝉が煩く鳴いていました!
さて,門をでましょう!
向かいの広場は・・・安保法案反対の集会ですね!
ハス池って方へ巡ってみましょう!
こちらもいい感じです。
どなたかの碑などもありますが・・
辯天様も・・
池ですね・・・確かに
ハスは少しだけ?
  
角を曲がると・・・報徳社
そういえば,小田原に「ブラ@タケミ」した時も,二宮尊徳像がありましたが,掛川にはその思想から生まれた社団法人の本部がありました。【元静岡県教育委員会所管の社団法人、現在は内閣総理大臣認定の公益社団法人。報徳思想とは、小田原藩家老家の財政改革や下野国桜町の農村復興運動を指揮した二宮尊徳が、自身の思想を体系化した経済学説・思想の一つである。大日本報徳社の下部組織として全国の各地域、各職域に社団法人として「報徳社」が設置されており、大日本報徳社はそれらを統括する最上位組織として位置づけられている。二宮尊徳の弟子である岡田佐平治が設立した「遠江国報徳社」を起源としており、「報徳思想」の普及活動などを行っている。1907年(明治40年)4月5日に竣工した公会堂は現在大講堂として使用されており、2009年(平成21年)6月30日、国の重要文化財に指定された。】なんだそうです。
今日は何か講演か何かで入れませんでしたが。
歴史のある建物のようです。
向かいの図書館には,碑の台座だけが,そして,反対方向でステンドグラス美術館もありました。
【掛川城の郭「竹の丸」天正18年(1590年)、豊臣秀吉によって掛川城主に任命された山内一豊は、それまでの掛川城に郭を付け加え、城を拡張しました。この時に竹の丸も造成されたと考えられます。竹の丸は、天守閣や本丸など城の中心部に通じる道筋にあたり、防衛上重要な場所であったことから、家老など重臣の屋敷地に割り当てられていました。】です。
お庭をちょっと拝見!
そうか,廓か・・
さすがっていうのか・・【現在の建物:江戸時代より続く葛布問屋「松屋」を営んでいた松本家が本宅として建築した建物です。主屋は明治36年に建造され、桁行10間、梁間7間半の平屋建寄棟造です。離れは大正末期から昭和初期にかけて、平屋建から二階建に増築されています。昭和11年、邸宅は当時の掛川町に寄贈され、現在も掛川市で管理しています。】だそうです。
 
さて,そこから天守閣から見えた森の丘の方へ!!
奥まった方に行きましたが,下の小学校のグランドで,少年野球をしているだけで・・・
ここは,特に広場ってことかな?
鳶?

で手前の丘にいくと・・・龍華院大猷院霊屋!
ちょっとわくわく!
近付いてみるとこれはすごい!
本当に廟って感じですね!
裏に回ってみましょう!
【明暦2年(1656年)、嗣子のない掛川城主北条氏重が三代将軍家光の霊を祀り、家の存続を願ったといわれる三間四方の方型造りの霊廟です。文政5年(1822年)に掛川城主太田資始により再建され、現在、県の有形文化財に指定されています。】だそうです。
家光将軍ですか・・
隣もお寺になっていました。
さて・・・そろそろ戻る方向へ
先ほどのハス池のあたりへ〜〜
そして,掛川城のあたりへ
近くの街並みは,やはり城下町的に設えてあります。
   
掛川駅・・・新幹線側!

上りの富士山ですが・・雲の間に間・・・

あまりはっきりとは,見えていませんね。

会議終了後・・・品川ではいつもこれ

帰路の富士山・・・シルエットですね。
西日がまぶしい時間帯です。
こちらもちょっと霞んでいるような・・・
そして浜名湖!!
  
お疲れ様でした! でした。