2015.5/03
GWに入りましたが,曇り時々雨・・・大槻の一人ぶらり旅です。
備前市の福生寺さん
【福生寺(ふくせいじ、ふくしょうじ)は、岡山県備前市大内にある高野山真言宗の寺院。山号は大滝山、本尊は十一面千手観音菩薩(本堂)、大日如来(三重塔)。瀬戸内三十三観音霊場第十番札所、子院の西法院が山陽花の寺二十四か寺第十四番となっている。奈良時代創建の寺伝をもつ山陽地方でも有数の古寺で、一般には山号の「大滝山」で知られる(山号は境内にある滝に由来する)。現在、大滝山福生寺は宗教法人格を有せず、寺は実相院、西法院、福寿院の3つの子院によって維持管理されている。御詠歌:おおたきの みねよりおつる たきのねは ふくちりしようの みのりぞときく】です。
まずは,仁王門!
ここに車を停めて・・少し歩きましょう
自然の藤がきれいです。
賽の河原を模した・・・仏像などが・・
さて・・・本堂が見えてきました。
    
が,上記にもあるように・・寺は実相院、西法院、福寿院の3つの子院によって維持管理されているとのことで・・
【江戸時代中期の元禄14年(1701年)に書かれた縁起によれば、天平勝宝6年(754年)鑑真により創建されたとある。その後、報恩大師が備前48か寺を整備した際にその一つとなった。平安時代初期、菅原道真が編纂した『類聚国史』の寺田地の項には、「天長5年(828年)6月備前国墾田四町六反為大滝寺田」とあり、法隆寺や唐招提寺と並んで記載されておりその古さが窺える。縁起書によれば、平安時代中期の万寿元年(1024年)に大火により焼亡した。その後、足利尊氏の発願により観応年間(1350年 - 1352年)再興されたとある。僧院は33房を数えたが、康正年間(1455年 - 1457年)の赤松氏・山名氏の争いにより山門と三重塔以外は全て戦火により焼亡した。江戸時代、岡山藩主により庇護され明治初期には13房が残っていた。なお、現在の僧院は実相院、西法院、福寿院の3房である。】だそうです。
鐘楼から本堂に,そして,経蔵へ。
それでも古さを感じる本堂ですね。
  
そして西法院へ向かいましょう!
何か法事でもされていたような・・・。
奥には弁天堂などもあります。
    
でも,なかなか立派な寺院ですね。
20数年前に1〜2度,訪れていたことがあるのですが・・記憶も定かでもなく・・
歓喜天・・
西法院の伽藍のむこうに・・三重塔が
  
少し小雨がぱらついてきていたのですが,でも,緑が濃いですね。
    
さて・・また本堂から・・三重塔へ向かいたいですね!
大師堂などをめぐっていきましょう!
きっと,桜も紅葉の・・美しいのでしょうね。
遥か,上の方です・・・あった,参道!
三重塔!!!!
【寺内には室町時代中期に建立された三重塔がある。寺伝では嘉吉元年(1441年)、室町幕府6代将軍・足利義教の命によって建立されたとする。瓦葺の屋根を持つこの塔は「大滝山三重塔」の名で国の重要文化財に指定されている(大正15年(1926年)指定)。京都から離れているものの足利将軍家の信仰が厚かったようであり、応永4年(1398年)には3代将軍・足利義満により仁王門が建立されている。また、江戸時代には岡山藩主の庇護に置かれた。岡山藩2代藩主・池田綱政が大願主となり天和2年(1682年)に本堂が再建された。仁王門、本堂は岡山県指定文化財、大師堂は備前市指定文化財となっている。これらの境内に残る建造物は実相院、西法院、福寿院により管理されている。】室町時代だそうです!
素晴らしい!
また,背景は山のいろんな緑というのもいいですね!
周囲には,山藤が・・
    
【他の木に巻きついて大きく成長する。蔓は上から見ると左回りで、フジとは逆。花は淡紫色で、花序はフジに比較して短い。】だそうです。
ステキな空間でした!
さて,仁王門まで戻って・・一度,大学へ!