2014.8.03.
午後から直江津を「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」〜駅前から徒歩々々で毘沙門公園
 

まずは・・・親鸞聖人ゆかりの五智・国府地区〜五智國分寺です。
    
その向かいの「鏡ヶ池」も縁
立派な五智國分寺です。
三重塔があります・・・・・。
【境内には親鸞の旧跡という竹之内草庵(伝親鸞聖人坐像(市指定文化財)を安置)や、親鸞上人像が立つ】というところです。
立派な国分寺ですね!
御朱印も頂戴しました。
【建永2年(1207年)2月、後鳥羽上皇の怒りに触れ、専修念仏の停止(ちょうじ)と西意善綽房・性願房・住蓮房・安楽房遵西の4名を死罪、法然ならびに親鸞を含む7名の弟子が流罪に処せられる。この時、法然・親鸞らは僧籍を剥奪される。法然は「藤井元彦」、親鸞は「藤井善信」(ふじいよしざね)の俗名を与えられる。法然は土佐国番田へ、親鸞は越後国国府(現、新潟県上越市)に配流が決まる。親鸞は「善信」の名を俗名に使われた事もあり、「愚禿釋親鸞」(ぐとくしゃくしんらん)と名告リ、非僧非俗(ひそうひぞく)の生活を開始する。承元5年(1211年)3月3日、(栗澤信蓮房)明信が誕生する。建暦元年(1211年)11月17日、流罪より5年後、岡崎中納言範光を通じて[注釈 24]勅免[注釈 25]の宣旨が順徳天皇より下る。】だそうです。
悠々とした三重塔!
境内を散策!
【聖武天皇の詔によって建てられた越後国国分寺を継承するとされ、寺伝では永禄5年(1562年)に上杉謙信が現在地に移転・再興したという。移転前の当初の寺地は明らかでなく、海岸侵食で没したとする説や、岩殿山奥の院を創建地とする説等がある。上杉謙信による再興以前については、『延喜式』に寺料2万束と見える。中世には伊豆走湯山(現・伊豆山神社)別当密厳院の末寺であり、かつては真言宗であったともいう[1]。室町時代には万里集九が当地を訪れ、境内の様子を『梅花無尽蔵』に描写している。また寺伝では、承元元年(1207年)に親鸞が越後国に流罪になった際、親鸞は境内に草庵(竹之内草庵)を結んで住まったという。謙信の再興以後では、『上杉年譜』から上杉景勝からの崇敬を受けたことが知られる[1]。また江戸時代には幕府から朱印地200石が国分寺村に与えられるとともに諸役が免じられた。慶安元年(1648年)には天台宗になっていたとされる。堂宇は元禄2年(1689年)と寛政6年(1794年)の火災で全て焼失しており、その後の再建・修復を経て現在に至っている。】ということで,謙信も関わっているのですね!
句碑などもあります。
暑い盛りですが・・・夏草の緑が心に優しい!
    
さて,山門の方へ向かいましょう!
【本堂前に立つ三重塔は、上越地方では唯一残る塔である。寛政6年(1794年)の焼失後の安政3年(1856年)に再建を着工し、慶応元年(1865年)に棟上がされたが高欄等は未完成である。塔の心礎を鎖で釣って心礎に固定しないという、江戸時代後期から現れる手法を採っている。この塔は新潟県指定文化財に指定されている。】とのことです。

さて,そこから一の宮の・・・居多神社の方へ!
  
そこに「五智歴史の里会館」があって・・・無料でガリガリ君を頂戴しました(今日はサービスなんだって)。
さて,居多神社へ!
親鸞聖人の象もあり・・大国主命や奴奈川姫の石像もあります。
    
なんか広場のような境内ですが・・・・。
ぐるりと回ってみましょう!
親鸞聖人の七不思議・・片葉の芦です
   
【境内には、葉が片方にのみ生える芦「片葉の芦」が群生する。伝承では、親鸞が当社に参拝して祈願をすると境内の芦が一夜にして片葉になったという[3]。この片葉の芦は「越後七不思議」の1つにも数えられている。】
五智公園〜蓮池公園と,整備されています。
ここの蓮池はすごい!
朝なら開いていたかな?
白い蓮池と・・桃色と・・・
蜻蛉。。。赤とんぼも・・
ぐるりと回って・・・水天宮の方へ・・
入れませんでした・・・・・・・・・で,白山神社(さすが北陸)もあります。
ここは,結構,山の上の方へ石段を登ります。
そして参道がつながっているような南側の愛宕神社へ
愛宕神社です・・
阿吽は彫ってあります。
常願池の方へ出てきます。
そこから国府別院へ・・親鸞聖人袈裟懸けの松があります。
今日は・・・地域のお祭りをしていましたけれど〜〜〜
勿論,親鸞聖人の立像もあります。
袈裟懸けの松は跡と二代目と・・・
本堂を見せていただきました。
   
お祭り中です。!
    
そして直江津までの北陸本線の踏切を超えて・・・
  
超えた所に・・もう一つ国府別院縁の清水!
そしてコスモスですよね!
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ここから謙信縁の春日山城まで徒歩々々して・・戻ってきて・・・もう一度親鸞聖人縁の・・・光源寺
【光源寺は親鸞聖人の弟子である最信(さいしん)が建暦元年(1211年)に開いた寺社であるといわれている。 最信は木曽義仲の家臣であったが、親鸞聖人に深く信心し、親鸞聖人の流罪が決まった際に弟子となった人物である。】だそうです。
聖人を偲んだ高浜虚子の「野菊にも配流のあとの偲ばるる」の句碑とともに,汀子先生の句碑も
〜〜さて,五智國分寺を横切って・・・海岸へ〜〜
  
居多ヶ浜は上陸の地・・
夕日が海に沈んで行く頃に近づいてきています。
記念堂などもあります。
穏やかな海・・・ここにも片葉の芦
    
長く歩きました。
さて,昼間は海水浴客で賑わっていた海岸まで降りてみましょう!
もう駐車場も閉まって・・・皆さん,帰り支度です。
   
火力発電所が見えていますね。
海沿いの道路に,小学校の児童たちが植えた向日葵が・・・
   
これで宿舎まで戻って・・・10kmくらいは歩いたでしょうか!!!(*´∀`*)