2014.7.24. 
      第25回日本産業衛生学会「産業医・産業看護協議会」が来年中国地方が当番で,日新製鋼 山本真二先生が会長! 
      で,中国地方の代議員ということで,運営委員で企画会議にお邪魔しました。 
        
      滅多に,岡山から西に新幹線はありませんので・・・ 
              
      周南市ですけど,駅は「徳山」 
            
      会議の会場は駅南のホテルサンルート徳山ですが,ちょっと早めに入って「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」 
          
      在来線〜北口側へ 
              
      商店街を抜けて行きます・・きらら通り・・・そして,いっぱいストーンが!!! 
      
      
      通りかかりの方から,ある時刻になると音楽も流れるって教えてもらいました。 
      
      
      東川緑地公園も通り越して・・・ 
            
      孝女阿米・・です。 
      
      
      【阿米(およね、寛政3年(1791年) - 嘉永5年(1852年)3月4日)は、江戸時代の人物。徳山藩出身。「都濃の三孝女」の一人。父は日庸の金左衛門。母は河内村の農民・茂左衛門の娘。政5年(1791年)、徳山の貧しい家に生まれる。寛政8年(1796年)、母が死去し、母方の祖父である茂左衛門に引き取られて養育された。享和2年(1802年)に父が病気となったので、父の看病のために帰宅し、父の看病をしながら、昼は近所の米つきに雇われ、夜は父の側で糸を紡ぐという生活が続いた。米つきをする際には、体が軽いため、石を腰につけたと伝えられている。阿米は純孝な性格で、労苦を厭わず、父が満足するのを自分の楽しみとした。このことが藩主・毛利広鎮の耳に入り、たびたび表彰され、米穀や恩賞を賜った。天保3年(1832年)、阿米の31年にわたる看病の末、父の金左衛門は68歳で死去する。後に阿米が病にかかり、病状が重くなると、近所の人々に多年の厚意を拝謝し、自分の死後に遺骨を父母の墓の傍に埋めるよう頼み、嘉永5年(1852年)に62歳で死去する。法名を慈順といい、川端町の徳応寺に葬られた。万延元年(1860年)11月28日、阿米の孝養を称えるために石碑が建立された。碑文は安積艮斎が撰文し、書は楷書の大家である中村春秀による。また、「阿米顕彰会」では、毎年阿米の命日に徳山市(現在は周南市)内の親孝行な児童・生徒を表彰し、今もその孝養を称えている。】 
              
      まだまだ,どんどん東へ(暑い!!!) 
      
      
      醤油の(麹の)匂い・・・白壁の昔ながらの醤油屋さん・・・。 
      
      
      そして,一応・・ここを目指していた・・「遠石八幡宮」 
      
      
      立派な神社ですが・・・石段も長い! 
      
      
      まずは,拝殿〜本殿の方へ向かいましょう! 
      
      
      【社伝によれば、622年(推古天皇30年)に宇佐八幡大神の「この地に跡を垂れ国民を守らんとここに顕わる」とのお告げがあり、御神霊をここに奉安したのが起源とされる。708年(和銅元年)に社殿が造営されて大社となり、平安時代から石清水八幡宮別宮の別宮となった。徳山は海上交通の要地でもあり、海上交通の安全が祈願されている。江戸時代に入ると、徳山藩の歴代藩主は、ここを氏神とした。この八幡宮は、宇佐八幡宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮と合せて、四大八幡の一つとされている。】 
      
      
      立派な八幡宮ですね!!! 
      
      
      御朱印を頂戴しました。 
          
      暑いけど・・時間はなんとかあるので,境内をぐるりと・・・。 
      
      
      すぐ向かいは新幹線とその先は工場ですが・・・。 
      
      
      ほたて? 貝殻ですね・・・。 
      
      
      境内社も巡ってみます。 
      
      
      何故か・・・五重塔も・・・ 
                
      夏空に似合います。 
      
      
      さぁ・・・戻っていきましょうか・・。 
      
      
      向かいは,出光興産・・です!! 
              
      また石段を降りていって・・・ 
      
      
      おお,見ざる,言わざる,聞かざる・・・です。 
          
      なかなか,本当に・・いろんな社があります・・。 
      
      
      こちらにも稲荷神社が・・・。履き清められていますが。 
      
      
      木々の中にも・・句碑 
      
      
      また,洪鐘もあります。 
      
      
      【銘文には、源平の戦で流れ矢が鐘に当たり音が悪くなり、正和五年(一三一六)に新たに一鐘鋳造したが、音色が思わしくないので、元応二年(一三二〇)二口合わせて一鐘を鋳造し直したとあります。鎌倉時代前期の特徴を表した美しい鐘で、周南市の文化財に指定されてます】とのことです。 
              
      さて・・駅の方に戻ろうって・・水準点を発見! 
      
      
      お醤油屋さん,そして工場への入口を抜けて,緑地帯へ・・これも,緩衝緑地帯なのかな? 
              
      つまり,住宅地帯と工場地帯の間の緩衝の帯 
      
      
      夏の緑の濃い匂いですが。 
      
      
      再び東川緑地公園 
      
      
      そして,「きらら通り」 
                
      で・・・跨線橋を渡って・・駅の南側へ 
      
      
      住吉神社 
      
      
      サンルートが見えてきました。 
              
      さて・・・会議へ! 
      
      
      会議途中から・・メイン会場になる予定の周南市文化会館へ向かいます。 
      
      
      今日は,明日からの幼稚園の全国大会の準備中でした。 
          
      向かいの美術博物館では「ウルトラセブン展」行ってみたい! 
        
      もう一度,サンルートに戻ります。 
      
      
      懇親会場の予定の部屋からは港や・・工場夜景が一望とのこと・・・・。 
      
      
      ということで,会議も終了・・1時間弱余裕があったので・・港あたりを「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」 
      
      
      夕暮れ前です。 
      
      
      向こうは大津島でしょうか,あるいは黒髪島と仙島? 
                
      港はなんかいいですね 
      
      
      徳山下松港ですが,漁船もいっぱいです。 
      
      
      夕日に夏空の青が眩しい 
      
      
      地元の方の会話の方言っていうか,アクセントも,瀬戸内でもちょっと異なります。 
      
      
      そして・・・人間魚雷「回天」の実物大模型・・自爆テロのような戦略,でも,今でも世界では沢山ありますよねぇ・・辛いものです。 
      
      
      さて・・そろそろ新幹線の時間が・・ 
            
      バタバタと外郎とともに・・・焼ふく 
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