2014.6.15.
第23回日本臨床環境医学会学術集会に参加です。
今回は,会長を京都大学の高野先生がお務めになられました。ポスターセッションもあり(大槻は座長をしました),スッキリとしたいい学術集会でした。
スタッフの本田先生とパチリ〜日本免疫毒性学会も含めて,よくお出会いしますね!
金曜日には,編集委員会と理事会に参加したのですが,学術集会の第1日目(6/14)は所用で欠席させていただきました。今日は快晴!
今日の「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」は・・少し早めに到着して,地下鉄で鞍馬口へ
降りて少し歩くと,「上御霊神社」です。
なんと,応仁の乱の勃発地だそうです。【応仁の乱は、室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約10年間にわたって継続した内乱。8代将軍足利義政の継嗣争い等複数の要因によって発生し、室町幕府管領家の細川勝元と山名持豊(出家して山名宗全)らの有力守護大名が争い、九州など一部の地方を除く全国に拡大した。乱の影響で幕府や守護大名の衰退が加速化し、戦国時代に突入するきっかけとなった。十数年に亘る戦乱によって、主要な戦場となった京都は灰燼と化し、ほぼ全域が壊滅的な被害を受けて荒廃した。】
【桓武天皇の時代、各地で疫病が流行した。これは御霊の祟りであるとして、貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催された。この時に慰霊された御霊は崇道天皇・伊予親王・藤原夫人・観察使(藤原仲成)・橘逸勢・文屋宮田麿らであった。この御霊会が当社および下御霊神社の創祀であるとしている。】
芭蕉の句碑もありました。
朝日に向かって,お参りする作りになっています。
日曜の朝・・何人か,お参りの方もいらっしゃいましたが,まだ,静けさに包まれています。
丁度,宮司さんが,拝殿などの準備をされていました。
【現在の祭神は以下の八柱で、「八所御霊」と称される。火雷神と吉備大臣(吉備聖霊)は後年追加された。崇道天皇(早良親王。光仁天皇の皇子),井上大皇后(光仁天皇の皇后),他戸親王(光仁天皇の皇子),藤原大夫人(藤原吉子、桓武天皇皇子伊予親王の母),橘大夫(橘逸勢),文大夫(文屋宮田麿),火雷神(以上六柱の荒魂。),吉備大臣(吉備真備)】
あら,吉備真備も・・なんですね!
裏手に回って・・・摂社をめぐります。
稲荷神社もあります。
桓武天皇の御世・・っていうことで,古い歴史ですよね!
神楽殿や絵馬殿などもしっかりとある境内です。
高校生くらいが,境内を横切って・・多分,地下鉄の駅に向かっているようです。
西側の鳥居から入って,南側の門から出る形になりました。
さて,京大まで向かいましょう〜道沿いの様子も・・
寺町通りってあたりで,案内板もありました。そして,そこには・・織田信長の本廟のある阿弥陀寺も・・・・。
修行僧が・・お経でもなく声をあげて歩かれていました。
大原口の案内の石標
さて・・・賀茂大橋で鴨川をわたります。
一昨日,訪れた糺の森も・・・
東一条通り沿いに・・京都府率医大の寮
その隣は・・京大のYMCA会館は・・・文化財!
さて,種々の事情っていうか,大槻の個人的な思惑もあって・・ポスターセッションの座長の後,学会を後にして,同級生とランチ
木屋町姉小路西入恵比須町の和風イタリアンのお店「縁 enishi」さんでランチ! 美味しく頂戴しました。夏にマッチの涼しげなディッシュで,満足
懐かしい話で盛り上がりました。
お店の閉まる直前に中庄駅着〜more gardenさんの美味しいケーキです。 |
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