2013.10.25.
津で開催されている日本公衆衛生学会に合わせて,日本衛生学会の理事会。
大槻は,理事・編集委員長・次期会長・広報委員として参加でした。
会場は三重県総合文化センター
こんなオブジェが・・【ニキ・ド・サンファルや。この手のオブジェ、一時期流行りましたね。】(by中学同級の内田君より)
   
お向かいには博物館
 

津は久し振りでした(一度,2002年に日本衛生学会で訪れました)。まずは,近鉄津駅から会場の反対方向の比佐豆知(ひさづち)神社へ
【住古より現在地に鎮座と云われている。寛永9年に藤堂高次が安濃津城の子之方鎮座として山城国の愛宕神社の分霊を相殿に勧請した。それ以来藤堂家代々の帰依があつた。明治6年3月に村社となつた。】そうです。
拝殿に入って・・・社務所も窓口もあり,御朱印を頂戴しました。
小雨模様です・・・。
三重県の神社庁が境内にはありました。
【当神社には、社宝の高麗狛犬に記されてある年号に依りますと、凡そ1300年前から現在の地に御祀りしてあると言う事になります。当社は延喜式内社で神饌幣帛料供進指定社となって特別の取扱いをされてまいりました。又、藤堂家代々から御供米等寄附され毎年の大祭には、藩主を始め領内の人民多数の崇敬がありました。明治四年には、明治天皇神宮参拝の節、勅使御大拝御玉串献上されています。】とのことです。
さて・・・会場に向けて・・
  

まだ,少し時間に余裕があるので,津偕楽公園!
    
D51がありました。
さて,公園ですが,小雨模様で,ほとんど人はいらっしゃいませんでした。
静かな空間です。
【津藩第11代の藩主、藤堂高猷(たかゆき)が1859年(安政6年)につくった別荘「御山荘」(ござんそう)を起源とし、自然そのままの起伏に池や橋、岩を配して回遊路がつけられている。四季おりおりの彩りが美しく、ことに古くからミツバツツジの名所として知られる。】だそうです。
桜や・・モミジの季節などもいいでしょうね。
それでも,散策!
結構,広いです。
【もともとは津藩の鷹狩り場の休憩用の御殿が建てられていた場所で、承応年間(江戸時代、1652年〜1655年)に藩士の労苦をねぎらうために分与されたという。その後、11代藩主藤堂高猷が家臣からこの土地を買収して御山荘を建てた、この際園内に「偕楽園」の額が掲げられたことから、後の時代に公園名として採用された。廃藩置県以後に国有化され、荒廃したものの、1877年(明治10年)に「三重県公園」として整備しなおされ、津市民をはじめ、広く三重県民のいこいの公園となった。1963年(昭和38年)8月5日には津市指定史跡名勝になった。】らしいです。
紅葉も,もう少ししてから・・かな?
常夜灯・・
  
そして,彫刻など。
    

会場までは2kmはなさそうだったので,小雨でしたが徒歩しました。
少し山よりで,溜池などが多いです。向こうに県立美術館が見えます。
ここは「おおさん池」
   
そして,会場近くに「口池」
 

さて,理事会終了! 他の先生方と一緒に,学会のシャトルバスで,津駅西口(近鉄側)へ・・・そこで,検索では,少し時間の余裕があったので・・
    
白山真言宗密蔵院さんです。
【密蔵院 同処(下部田)西ノ山際ニアリ真言宗、鎮守白山権現。(『勢陽五鈴遺響』より)ご詠歌:めぐみある誓ひなりけりかれてだに 花さくらぎのかげもしら山】です。
【その昔、津駅西の小高い丘は白山信仰の地で、津藩二代藩主、藤堂高次が白山妙理大権現を祀り祈願所としていました】です。
裏山全体に,四国八十八箇所めぐりが設えてあり,かつ【当寺は三重四国八十八カ所第65番霊場、伊勢西国三十三所第16番霊場です。】だそうです。
深山に分け行った様な・・・
【寛文年間(16661~72)阿砂利朴心は病に冒された藤堂高次の命を受け、病気平癒の祈祷を修した。その効あって全快した高次公からこの地を拝領し、高次公の念持仏、十一面千手観音を本尊にして当山を創立したと伝えています。また、江戸時代には寺領も広く偕楽公園と地続きであったことから、高次が偕楽公園に遊覧の折り、当寺へもよく参詣されたといわれています。昭和20年7月、第二次大戦の空襲で全ての堂宇を焼失しましたが、幸いにも本尊は疎開させており難を免れることができました。戦後、本堂、山門を再建、さらに参道も整備して、昭和55年には境内裏山に白山妙理大権現堂を新築し、台座裏面に寛文6年(1666)と刻まれた菊里媛(くくりひめ)の像を安置しました。また、本堂には本尊をはじめ弘法大師、大黒天を安置し、右側の恵音院堂は文殊菩薩を安置しています。毎月21日には堂前にて学業・就職などの諸願成就の祈祷会が施行されます。】だそうです。
【境内の木立の中には、明治5年に作られた四国八十八カ所巡りのコースがあります。さらに山上の海岸の見える場所には、昭和33年に橋北中学校の生徒が、夏の海水浴の際に異常潮流に遭い、多数が水死した事故を悼んだ岡崎の石材店が建てた慰霊碑や、その近くには津藩士で俳人の茨木素因の杖墓があります。自然石の小さな石碑で、寛政4年(1792)素因の弟子であった当寺の住職、車文が建立したものです。1,3,9,12月の21日に数十人が輪になって座り、般若心経を称えながら大きな数珠を回してお祈りをする「百万遍数珠繰り」は、当寺の伝統行事として広く知られています。】です。
いいところをお参りさせていただきました。
 

さて,今回は,中庄→岡山(のぞみ)→新大阪→大阪→鶴橋→(近鉄大阪線)→(急行で)青山町→(普通で)伊勢中川→(急行で)津でした。
帰路は,伊勢中川から急行で上本町行きでした。
  
紀伊山地を抜けていきます。名張っていうか,奈良から三重に入る辺りの景色。
伊勢中川は・・・どのホームも単線ホームで,両方の扉が開きます。
   
近鉄特急は格好いいですね!

お土産に安濃津チョコラーテを買ったのですが,赤福は伊勢の名物でも,新大阪駅とかでいっぱい売っているし・・・って思って・・・でも,結局,赤福も買っちゃいました。