2013.9.02.
今日も倉敷市関連で,保健所関連で・・・外のお仕事!
真備町です。
吉備真備で有名です。
午後は真備支所の隣の保健福祉会館でした・・・一日,雨が降ったり已んだり・・・行く時は豪雨でした。まいった,まいった!
最初は,まきび公園のたけのこ茶屋で・・・
だいぶ前に・・・来たことはあったのですが,とっても久し振り!
緑が雨を含んで・・・深く沈んでいます。
茶室でしょうか?
ここを登ると・・墳墓もあるとのことで・・
この時には,少し小已みになっていて・・・遠くの山も霧の彼方
墳墓が神社の本殿の裏手に・・・
【備中国下道郡(現在の岡山県倉敷市真備町)出身。霊亀2年(716年)遣唐留学生となり、翌養老元年(717年)に阿倍仲麻呂・玄ムらと共に入唐した。帰路では種子島に漂着するが、天平7年(735年)に多くの典籍を携えて帰朝した。唐では経書と史書のほか、天文学・音楽・兵学などを幅広く学び、帰朝時には経書(『唐礼』130巻)、天文暦書(『大衍暦経』1巻、『大衍暦立成』12巻)、日時計(測影鉄尺)、楽器(銅律管・鉄如方響・写律管声12条)、音楽書(『楽書要録』10巻)、弓(絃纏漆角弓・馬上飲水漆角弓・露面漆四節角弓各1張)、矢(射甲箭20隻、平射箭10隻)などを献上し、『東観漢記』をもたらした。帰朝後は聖武天皇や光明皇后の寵愛を得て、天平7年(735年)中に従八位下から一挙に10階昇進して正六位下に、天平8年(736年)外従五位下、天平9年(737年)従五位上に昇叙されるなど、帰朝後に急速に昇進する。翌天平10年(738年)に橘諸兄が右大臣に任ぜられて政権を握ると、真備と同時に帰国した僧・玄ムとともに重用され、真備は右衛士督を兼ねた。天平11年(739年)8月母を葬るとされる[4]。天平12年(740年)には、真備と玄ムを除かんとして藤原広嗣が大宰府で反乱を起こす。翌天平13年(741年)に東宮学士として皇太子・阿倍内親王(後の孝謙天皇・称徳天皇)に『漢書』や『礼記』を教授した。その後、天平15年(743年)には従四位下・春宮大夫兼皇太子学士に叙任され、天平18年(746年)には吉備朝臣の姓を賜与され、天平19年(747年)に右京大夫に転じて、天平勝宝元年(749年)には従四位上に昇った。】です。
さて,降りて行くと・・さきの「まきび記念館」の甍が大きく見えてきます。
岡山県では,和気清麻呂とともに,この時期の二大政治家っていうか,識者っていうか・・
さて「まきび公園」も,唐風ですね。
桜も多く,花見の頃は賑わいそうな・・
今日の木々は雨でしっとりしています。
奥の方に,記念碑もありました。
このところ,全国で豪雨ばかり・・・吉備地域も雨ばかり・・・スクータには辛い日々です。
すぐお隣には,吉備寺さん・・・吉備真備一族の菩提寺だそうです。
緑一杯の境内です。
雨上がりで蒸しかえる様な空気
それでも花々も一杯
人気もない中で・・・少し穏やかな気分になります。
さて,真備は筍も有名で・・・たけのこ茶屋も・・ここでは竹細工の実演などもあるそうです。
秋が近付いてきていますね。
夏の名残の百日紅も・・・
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さて,少し離れたところで,吉備真備公産湯の井戸も・・
田園風景が広がる中です・・・あっ,羽黒蜻蛉
そして,吉備公館跡ってのもありました。
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