2013.6.08〜09.
第22回日本臨床環境医学会学術集会が北里大学薬学部コンベンションホールで開催されました。
  
会長は,日本歯科大学短期大学の佐藤勉先生,お疲れ様でした。
佐藤先生と理事長の坂部先生は,登壇も多し!
 
最後の学会賞と奨励賞の授賞式
特別講演は国立極地研究所の(というか,南極越冬隊の隊長の)宮岡先生(「南極・北極からみた地球環境の変化」・・・勉強になりました),そして,日本歯科大学短期大学学長の小口先生のご講演も。また,創設者の石川先生もシンポジウムでご発表されました。
  
そして,次々会は,この研究所病院と薬学部の鈴木幸男先生になりました(前日に急遽決まった!)
  
 親しくさせてもらっている札幌のジャーナリストの加藤さん,化学物質・電磁波過敏賞もあって・・丁度ワイヤレスマイクの電波にやられた様で・・発表の時は,大変そうでした。
大槻は武井先生のデータで発表させてもらいました。「ヒト末梢血単核球での混合リンパ球培養反応における細胞障害性T細胞の分化に及ぼすアスベスト曝露の影響」

それと総会/評議員会では,編集委員長として報告
あとは・・最後のシンポジウム(というか,おひとりのご講演ですが)での座長でした。

(いつも感謝です,北里大の角田先生のお写真です)

懇親会は同じ場所の学生食堂
いろんな挨拶・・・ちなみに来年は,京都大学の高野先生が会長です。
鏡開きもありました。
和やかな雰囲気で・・沢山,お集まりでした。
最後は正木先生(お嬢様がうちの卒業生)の一本締めでした。

北里柴三郎先生の胸像もあります。
そして,なんと(これまで2〜3回ここには来ていますが,知りませんでした)「コッホ・北里神社」!!
境内(?)は紫陽花も綺麗です。
そして会場周辺のキャンパス
立派な研究所病院ですね!
大学50周年(去年),研究所100周年(来年)だそうです。
幸い,よい天候の学会でした。
ホールからのガラスにマークが・・

懇親会終了後は夜!
  
そして今回は,歩いて2分のウィークリーマンションの宿泊貸・・・途中の家々の軒先でも,紫陽花などなどが!
  
ステキな季節ですね・・・
   

前日の6/07には,日本歯科大学病院(飯田橋)で,編集委員会(大槻は編集委員長です),理事会,そして,会食は,徒歩で,神楽坂へ!
8Fの会議室でした・・スカイツリーの頭が見える。
    
夏空の様な感じ・・・
  
そして,元々は旗本屋敷跡だそうです。

神楽小路のモー吉さんですが,国民栄誉賞松井選手がよく来られるそうで・・・パネルなんかも一杯!
    
美味しく頂戴しました。
餃子の皮は大根,揚げ物は河豚です。
お魚は鯛の仲間ではないなんとかダイ! でも吉田先生(旭川医大)曰く,北海道では定番だそうです。
理事の先生方・・楽しく歓談です。


さて「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」は・・2日目のお昼に・・有栖川宮記念公園です。
  
白金台から会場のあった白金には,結構,坂をおります・・そして,その周辺は下町(文字通り)の雰囲気があって・・昔ながらの商店街なんかもあって・・で,有栖川宮公園の方には,また,坂を登っていきます・・・東京って坂が多い,そして,谷間がおそらく早く人が住みだしたので,でも,結局,そこが下町,そして山手・・このあたりは,各国の大使館が沢山で・・公園にも外人さんのご家族とかが一杯!
紫陽花も綺麗です。
    
いくつかの像もあって・・
有栖川親王の騎馬像も!
    
【江戸時代には陸奥盛岡藩下屋敷であった。1896年(明治29年)に、有栖川宮威仁親王が霞ヶ関の御殿から移動する運びとなり、代替地として御用地となった。威仁親王の生母(有栖川宮幟仁親王の側室)・森則子の住居等が設けられた。御用地は有栖川家が断絶すると、1913年(大正2年)には同家の祭祀を引き継いだ高松宮に継承され、高松宮御用地となった。児童の健康や自然に格別の関心を持っていた高松宮は1934年(昭和9年)1月5日、有栖川宮の命日にちなんで御用地約11,000坪(36,325m2)を公園地として東京市に下賜された。東京市はただちに整備工事を開始。公園は有栖川宮記念公園と命名され、同年11月に開園・開放された。1973年(昭和48年)4月1日、有栖川宮熾仁親王の銅像から北東部の一帯、東京都立中央図書館や港区立麻布運動場等が位置する31,235m2が公園に編入された[1]。その後、1975年(昭和50年)には東京都から港区に移管され、区立公園となった。】だそうです。
【盛岡藩は、陸奥国北部(明治以降の陸中国および陸奥国東部)、すなわち現在の岩手県中部から青森県東部にかけての地域を治めた藩。一般に「南部藩」とも呼ばれるが、後に八戸藩と七戸藩が分かれるなどの変遷を経る。藩主は南部氏で、居城は盛岡城(陸中国岩手郡、現在の岩手県盛岡市)である。家格は外様大名で、石高は当初表高10万石であったが、内高は多く幕末に表高20万石に高直しされた。】とのことですが,素晴らしい庭園です。これはその後,宮家の所属になったからかしら??
この滝もいいですね・・・地形をそのまま使っています。
池っていうか,滝や,別のあたりからの細い流れから,池に・・大河や海を模倣しているのでしょうね・・・。
でも,家族連れ(日本+海外)が一杯で・・結構,岸で魚を採ったりしていました。
ハナミズキは桜と交換だったのですね。
確かに・・・自然です,小鳥のさえずりも沢山でした。
 
東京だと・・本当の自然までは,それでも遠いし・・天気の良い日曜日・・ここにもきますよね!
きっと四季の彩りも素晴らしい感じです。
今は・・紫陽花,菖蒲・・・
西南の門が・・正式な門ですか?ここにも坂が・・
    
まだまだ,広い庭園です。
緑も眩しい
そして,ちょっと・・・山奥(?)へ!
でも・・確かに,人も多かった! テイクアウトのマックを持ってランチの親子連れも!
木漏れ日が心地よい
こちらにも紫陽花・・・
    
そして・・・東京都立中央図書館がここなんですね!
さて・・また,新坂を降りて・・学会に戻ります。

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ちなみにこれは・・往路の大学