2013.3.10-15 The 52nd Annual Meeting of Society of Toxicology @ San Antonio 参加してきました。
「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」で・・・ここは Institute of Texan Cultures です。
日の丸も?・・・・って思いましたが,中の展示で判りました。
丁度,テキサス紹介の動画が始まったばかりで・・・まずは,それを鑑賞! すごい,20面くらいあるドームいっぱいの動画でした。
  
そこから展示を見て歩きますが・・・テキサスに入ってきた,各国からの移民っていうか,開拓民っていうか・・そういう人たちのブース展示が,国別にあって・・日本もありました。
日本からの移民の人たちは,稲作もされていたそうです。
脱穀機や,稲作の写真のパネルもありました。
他にも,WWUに関連して,でも,移民の人たちが救われたパネルなどもありました。
  

勿論,そういう歴史はあるでしょうし,西海岸はもっと沢山のエピソードもあるのでしょうけれど,なんだか,胸がキュンとしました。
南部っていうと,やはり綿花・・・で,実際nおばあさん(ご高齢の女性)が,綿花からの木綿編みを紹介していらっしゃいました。
さて,その他の展示を見て歩きましょう!
アラスカを除くと,まぁ,でっかい州ですし,【アメリカ合衆国の一部としてのテキサス州の歴史は、1845年に始まったが、この地域に人が住んだ集落については、後期旧石器時代までさかのぼる。その歴史は、スペイン、フランス、メキシコ、テキサス共和国、アメリカ連合国、アメリカ合衆国の、6つの独立した国々の一部として形作られている。1820年代から、合衆国からの移民がこの州に入りはじめ次第にメキシコ人を上回るようになった。1836年、テキサスのヒスパニックのテハーノらと共に彼らはメキシコに対して独立闘争を起こし、独立を認めないメキシコ軍を打ち負かした。独立国家としての10年間の後、テキサス州は1845年に合衆国に加わった。西部開拓者の州は、大規模な牛の放牧と綿花農業によって特徴づけられていた。20世紀に入ると急激に成長し、1994年には米国で二番目に人口の大きい州となり、ハイテク産業を基盤にして経済上極めて多角的になった。州は、アメリカ南部、テハーノ、アフリカ系アメリカ人、ドイツ系テキサス人(w:German Texan)のそれぞれの文化の交流で形成されている。】だそうです。
なんだろう,独立国だった意識は住民のみなさんに残っているのかも知れませんね!
そして,南部のフロンティアとしての精神も!
地質の展示があって・・・そこから,native American の展示もありました。
有名なアパッチ族もテキサス南部の様です。
   
氷に覆われたベーリング海峡を徒歩でわたってきた・・・のみならず,最近では,沿岸を船で辿りついたとの話もあるそうです。
さて,1Fには・・芸術作品や・・このときは,偶々でしょうけれど,ガールスカウトの展示がありました。
 
そして,外へ戻ります。駅馬車や木材運搬のワゴンの展示なども・・・
    
なので・・・日本の国旗もはためいていたのですね。