2013.2.08.
旧知の神山先生が,な,な,なんと,大槻の一番大好きな作家「池澤夏樹」氏と,中学の同級生で,今でもご連絡が途絶えていないとか!!
感動で,この話で,とっても盛り上がりました。
    
「ふぐ」です!!
ひれ酒も,頂戴しました。
  
点灯!!


さて,今日は,JR山陽本線にて,中庄駅(左2枚)から西条駅へ! 途中,乗り換えの糸崎駅(右3枚)
尾道水道そして尾道〜糸崎間では,海の近くを走ります。

そして,西条までの車窓!
   
本郷駅から西へ・・・新高山城址が沼田川沿いに見えます。
   
本郷から河内までは,結構,長い距離,駅がありませんが,広島空港の近く,山陽自動車道の高い橋梁が見えます。
   
西条駅到着・・・工事中ですね・・・時間の余裕を持ってきましたので,「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」です。
  
西条市は醸造業が盛ん・・・日本酒の会社が軒を並べていました。安芸国分寺を目指します。
最初に仁王門。市の重要文化財!
   
そして・・・朝の雪が残ったお庭を抜けて境内へ!
【国分寺は、奈良時代、聖武天皇によって全国に建立された寺院で、安芸国(現在の広島県の西部地域)では西条に建立されました。発掘調査によって安芸国分寺は天平勝宝2(750)年には主要な堂宇が建てられ、僧侶によって法会が行われていたことが明らかになりました。現在の真言宗國分寺を中心とした一帯は国史跡に指定されており、安芸国分寺歴史公園として整備が進められています。また、市重要文化財の仁王門は市内で最も古い建物で、護摩堂や2体の木造薬師如来坐像は県・市の重要文化財に指定されています。】だそうです。
現存は,すごく大きくはないですが,落ち着いた雰囲気の建物ですね。
ぐるりと散策
地蔵菩薩なども・・・
    
裏手には・・・
庫裡には,まだ若いご住職が・・・御朱印を頂戴しました。笑顔の素敵なご住職でした。
真言宗御室派ですね。
    
雪が残っています。。。。
 
そして,お寺の裏側っていうか・・・そのあたり一帯が,やけに広くなっているなぁ・・って思ったら,歴史公園の造成中のようでした。
案内板も,まだ,設置前で,立てかけてあります・・・完成時には,ここに立てますよって感じです・・・・。
先日も,岡山市の東の方で,同様の廃寺跡の公園に行きましたが,こういう歴史を感じられる処は,いいですね!
雪も舞っていて・・・冷たい風の中でしたけれど。
工事は,H25年,3月末までの予定ってことですから,もうすぐ出来上がりですね!
本堂もH16年に再建されて,その後,この歴史公園へと発展しているみたいですね。
さて,その奥には・・・岩清水八幡宮が・・・・
神楽殿もありますね!
大きな注連縄です。
梅は・・・まだ蕾
    
さて,歴史公園の間を抜けて・・・来るときにみた鳥居の方へ・・
木の鳥居ですね
  

駅の方に戻ります・・・駅のホームと金網一つで区切られた処は,南命山教善寺さん!
【室町時代開基で、江戸時代は藩より代官直支配などの待遇を受けたそうです。】だそうです。
非常に大きな伽藍ですよね!
立派なお寺でした・・・駅のアナウンスが・・一杯,流れて聞こえていましたけれど〜〜
  
そこから,奥に向かいます。「御建神社」がありました。
御手洗の柄杓に・・・つらら!
すごく勇壮な狛犬です。
ここの標縄も非常に大きい・・・このあたりは,こういった感じなのでしょうか?
【706年諸国に疫病が流行した時に素戔嗚尊に祈り疫病が止んだ事から当時の人々が社を建てて祀ったのが当社の起こりと伝えられている。御建(みたて)の名の由来は安芸国の国府があった時代に国府の建物を御建(みたち)と呼んだことからと伝えれている。昭和初年に山城伏見の松尾神社の分霊を境内に勧請し酒の守護神としても親しまれるようになった。】だそうです。
お酒の守護神ということで,この街の醸造業からの寄進が多くって・・・沢山の社が並んでいました。
西条のあたりは,普通の家々にも,鬼瓦その他がとっても多く(かつ赤瓦),神社も勿論,そんな感じですね!
そして,珍しく本殿の処まで,直接,向かってお参りすることが出来ました。
意匠を凝らした本殿です。
また,呉に近いからかしら? 海軍駆逐艦の絵馬っていうのかな? も,ありました。
周囲は,公園そして,グランドなども整備されています。
お神酒の樽は・・・そりゃあ,醸造の街ですものね!
    
【この地に賀茂鶴が創業したのは江戸の初期、1623年(元和9年)。 当初は醸造業をなりわいとし、その後酒造業を初めたとされている。現在、同社が蔵を構える東広島市は、独立行政法人の酒類総合研究所が存在するが、酒造業・醸造業者の多くが発祥した地でもあり、同社はその中の有力蔵の一つとして知られると共に、酒造りに邁進してゆく。1873年(明治6年)9月9日、同地の酒三大恩人の一人に数えられる、木村和平が酒銘を「賀茂鶴」と命名。 「賀茂」は、地名とともに、酒を造る、醸す、という言葉を、「鶴」は、気高い瑞鳥を表している。ラベルの双鶴は信頼、富士山は品質日本一。酒づくりへの深い想いを込めている。1892年(明治25年)に息子の木村静彦が初代社長に就任すると、会社への組織化を睨み、下地が整えられると共に、新聞広告の出稿、海外への日本酒の輸出などを開始する。この甲斐あって1900年にフランス・パリで開催された万国大博覧会に賀茂鶴を出展し、名誉大賞を受賞している。】ということで,賀茂鶴酒造の創業者なのですね!
   
再び,教善寺さんを眺めやって・・・さて,広島大学まで歩くぞ!4km超ですね!
 
市内を流れる川は,それほど,川幅も広くなく・・そうか,山あいの街なのだって思いました。