2013.2.07.
大学コンソーシアム岡山の吉備創生カレッジ・・・大槻担当科目『「がん」についての考察」その3回目(最終回)でした。
  
今回も,受講生の皆さんは,非常に熱心に聴いてくださいました。感謝です。がん予防以外に,告知の問題や,肺癌で逝去した父の話題も少し組み込みました。
いつもの山陽新聞社本社ビルです。

空いていた向かいの教室からは・・・西側が覗けました。
    
この3回シリーズ,最初の1/10は,終了するともう黄昏深くなっていましたが・・・今日は,まだまだ明るさが残っていました。
  
今日のお土産は・・・バビヤージュのケーキです。

「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」は・・・吉備の中山・・の西麓の天台宗真如院さんです。

ここから細い道でむかいました。
斜面で・・・石段を昇って行きます。
    
【当院は、東林山明仙童寺真如院と称し、かつては数院を擁する天台宗の寺院でした。明仙童寺は、吉備津宮五摂社の第一にあげられる新宮社別当寺で、文献などから、おそらく 室町初期に最も隆盛であったと推定され、吉備津宮の社僧寺の中でも有力な寺院であった と思われます。その後、衰退や江戸前期の神仏分離運動などを経て多くの寺院が廃寺となり、現在は 真如院のみが残っています。当院の本尊は像高65センチメートルの桧の寄木造りで、上品下生の来迎印を結んだ 阿弥陀如来立像です。立像は、宝治二年(1248)に仏師広慶によって造られました。鎌倉中期の安阿弥像(快慶風)の堅実な作品であり、仏頭内部に墨書銘のあることが 判明しています。これによって賀陽一族や、奈良東大寺再建の大勧進であった、重源の 影響と思われる阿弥陀仏号を名のる人物が関与していたことがわかり、この地方の 地域師を考えるうえからも貴重な資料となっています。昭和三十四年三月二十七日、県の重要文化財に指定されました。平成十一年三月:岡山市教育委員会】だそうです。この記載のある案内板の写真も撮りました。

先程の石段からの処は,山門かしら? で,別途,仁王門もありました。
そして,吉備の中山・・西麓の回廊があるそうです。
 
今度,時間のある時に〜〜
そして・・・その昔,吉備の穴海であった平地部も一望です。
   
仁王門は南側・・
由来の案内板をご覧ください。
   
左の口を大きく開いている阿宇金剛力士,そして右が,那羅延金剛力士は,吽宇金剛力士と謂われるそうです。
    
そして,臘梅
今年は,臘梅も初めてでした・・と,思えば,紅梅が・・・ここは西日が当たりやすいのか,よく開いています。
少しずつ・・春が近づいてきていますか??