2012.11.25.
前日から広島大学霞キャンパスの広仁会館で開催されていた第10回日本予防医学会学術総会
大会長の田中純子先生(広島大学・疫学・疾病制御学教授)とは,お嬢様が川崎医科大学の学生さん(今は,研修医)であった関係もあって・・・親しくさせて頂いているので,演題を出し,かつ,一般演題の座長も務めさせていただきました。
座長のお礼にいただいた宮島のしゃもじがいいですね,絆!
会場の様子・・・あは,田中先生は,上からの写真のみでした・・。
  
会場の広仁会館は,これまでも中皮腫パネルとかでも来ていました!
会場の裏手には,薬学部の植物園がありました。
    
また,奥の比治山の紅葉がきれいでした。

広島なので・・・普通列車の旅・・・山陽本線下り中庄駅始発です。
  
広島駅から・・・太田川の三角州の街ですが・・猿猴川沿いに霞キャンパスを目指します!
河畔の木々も秋の装い
    
原爆の記憶・・・報道や文学などで,皆,熱さに川に入った話が沢山出てきますが・・慰霊塔も沢山あります。そして猿猴川の名前の由来も・・

さて・・・発表も座長も無事に終えました。帰路につきます。

比治山の北のはずれに,山王神社!
【⼭王神社は、正保3(1646)年現在地⻄南寄の旧社地に天狗松と称す⼤⽊があり注連を引き廻して祭神の猿⽥彦⼤神を奉斎したのが始まりである。この祭神は道案内の神と⾔われ、その⼤⽊は落雷により焼失し類焼を免れたので⼩祠を建⽴し、⽕の神として猿⽥彦⼤神の霊を励請し旧段原⼀帯の住⺠より崇敬される。慶応年間中半に⼩祠を⼩社に、⼜明治7(1874)年には社殿に改築し、更に明治40(1907)年現在地に社殿を新築して遷座祭を執⾏する。昭和20(1945)年8⽉の原爆により社殿は、多⼤の破損を蒙り、昭和28年地元の宗敬者達の協⼒により屋根及弊殿の修理を⾏い、更に昭和43(1968)年には明治百年記念事業として根本的改築を⾏い現在に⾄る。従来、⽐治⼭神社の摂社となっていたが、昭和28年宗教法⼈⼭王神社として独⽴法⼈を設⽴する。平成14(2002)年には、⼭王神社が奥州藤原家の縁の神社である福島県の光照⼭王神社の発祥本宮である事が古⽂書により判明し⼀段と注⽬される事となる。】との由緒です。
ここにも秋の彩が・・・
小春日和で・・犬の散歩の方々が沢山いらっしゃいました。
少し足早に20分くらい・・・気持ちいい散策です。

また,猿猴川河畔を・・・広島駅に!
広島は,川の街でもありますね・・河畔には,秋が一杯!
そういえば,J1で,サンフレンチェが優勝しました!
繁華街は,八丁堀って方ですが・・・広島駅前には福屋さん(百貨店)もあります。広島が拠点の百貨店さんですね。
橋ごとのブロックに,原爆慰霊碑

駅への地下通路はクリスマス!
  

そして,再び普通列車の旅----広島駅前で・・・ご当地グルメフェア?? 津山ホルモンうどんの出店も

広島駅・・可部線の列車は,岡山では見ない車両です。
糸崎駅で乗り換え・・・糸崎駅は【この間に岡山支社と広島支社の境界標あり(当駅から尾道寄りは岡山支社管内),2面4線の島式ホームを持つ地上駅。駅舎とホームは跨線橋で結ばれている。かつては下りホームにそば屋があり、名物の天ぷらうどんを停車中の電車の車窓から買うことができた。そば屋はすでに解体されたが、その跡には休憩室が設置されている。旅客線路は2-5番線であるが、ホーム案内上では1-4番線として扱われる。3番線(2番線)が上り本線、5番線(4番線)が下り本線となっている。旅客線路の両側にある、ホームの無い1番線・6番線は貨物用(6番線から三原始発の電車の回送も発車する)で上りは所定で停車する貨物列車がある。駅の南には留置線が多数あり、糸崎乗務員センターの建屋もある。夜間滞泊の設定駅でもある。】ということで・・・線路が一杯!また客車なども沢山止まっています! そうか,ここで,岡山支社と広島支社に分かれるのね!
糸崎~尾道間で,瀬戸内海のすぐそばを通ります。
 
尾道水道の辺りも,線路は海辺!
   
車窓も,秋でした。