2012.10.26.
さて・・香山(こうざん)公園から瑠璃光寺〜そして五重塔(国宝)です。
毛利家の墓所があるのですが。。。そこは最後に寄りましょう!
毛利家・・明治維新には,長州・薩摩・土佐ですものね!
    
忠魂碑もあります。
そして,一区切り進むと,真正面に国宝・五重塔〜山側には大内弘洋公の像です。
小学生の秋の学習旅行でしょうか・・沢山,いました。
庭園の外枠の辺りには,雪舟像や,その他歌碑など・・・
雪舟さんは,大学近隣の総社市も所縁ですが・・・・。
【国宝。大内文化の最高傑作といわれる。室町時代、嘉吉2年(1442年)頃の建立。屋外にある五重塔としては日本で10番目に古く、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものとならび日本三名塔の一つに数えられることもある。高さ 31.2m で屋根は檜皮葺。二層にのみ回縁(まわりえん)がついているのが特徴である。建築様式は和様であるが、回縁勾欄の逆蓮頭や円形須弥壇など一部に禅宗様(唐様)が採り入れられている。夜間は年間を通して日没〜23:00までライトアップされており、周囲に咲く季節の花々とともに美しく浮かび上がる。】です。
非常に・・・古いですよね,本当に! 木組みが歴史を感じさせます。
    
【全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されています。檜皮葺屋根造りのものは瑠璃光寺の他に、奈良県の室生寺と長谷寺、そして広島県の厳島神社にもあります。】檜ですか〜〜
確かに,感動を覚える建造物です。
さて・・・本堂の方に向かいましょう!
こちらにも小学生たち・・・そして観光客っていうのか,結構,いらっしゃいました。
梵鐘・・・楼の中で,はっきりとは見えませんが・・・。
さて,境内に入りましょう!
すぐ正面が本堂ですが,境内のお庭もきれいに整えられています。
【大内氏前期全盛の頃、25代大内義弘は現在の香山公園に、石屏子介禅師を迎え香積寺を建立しました。義弘は応永6年(1399年)足利義満と泉州で戦い戦死。26代弟・盛見は兄の菩提を弔うため、香積寺に五重塔を造営中、九州の少貳勢と戦って戦死。五重塔はその後、嘉吉2年(1442年)頃落慶しました。それからしばらくの時を経た関ヶ原の合戦の後、毛利輝元が萩入りし、香積寺を萩に引寺。跡地に仁保から瑠璃光寺を移築しました。これが今日の姿です。】だそうです。
開かれたお寺さんですね!
境内には,いくつかの像などもあり・・・この時期ですが朝顔も・・
さて,本堂の方・・・拝ませていただきます。
中の弥勒菩薩さんは,穏やかなお顔立ちでした。
    
御線香を焚きましょう
その他,棟続きでも,一畑薬師の分院など,いくつかありました。
そして庫裡の方で・・御朱印を頂戴しました。

ほぼ,ぐるりとお参りさせてもらいましたでしょうか・・・
場所によって,きれいに五重塔が見えています。
    
庫裡の方のお庭にも朝顔でした・・ちょっと季節感がおかしくなりそうですが・・・。
墓地の山裾に金毘羅さんがあるようなので,そこまで足を延ばしましょう。
本堂や庫裡の甍の波です・・・
そこから山道の方へ・・沢山の石仏が並んでいました。
何かの意味があるのでしょうか?
    
この辺りからの五重塔は,また,少し違った様子ですね。
視線が高くなるので〜
それぞれの塔の庇っていうか,その部分もよく見えます。檜皮葺屋根です。
大内公の像!
    
さて,毛利家墓所の方に戻りましょう!
広い墓所です。
【香山墓所 - 萩市の天樹院、大照院、東光寺とともに長州藩主の墓所となっている。香山墓所には明治維新当時の当主、13代毛利敬親などの墓がある。「萩藩主毛利家墓所」の一部として、国の史跡に指定されている。】です。
土盛ですね・・・
そこに至る石段は,確かに・・・うぐいす張・・・手を打つと,キュって音が響きました。
さて・・・会議の時間も近付いてきましたが,もう少し街を歩きましょう!