2012.10.20.
日本血液学会@京都で「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」
当初は,鞍馬寺だけのつもりが,奥の院まで行ってみると,そのまま鞍馬山を下れば・・・貴船神社!
ならば,進まねばってことで,貴船神社まで山歩きで,やってきました。
初めて訪れました。
鞍馬寺の西門まで降りてきて,川床料理などの店を少し過ぎると,もうそのものの貴船神社!
沢山の旅行者もいらっしゃいました。
【貴船神社(きふねじんじゃ)は、京都府京都市左京区にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。全国に約450社ある貴船神社の総本社である。地域名の貴船「きぶね」とは違い、水の神様であることから濁らず「きふね」という。】だそうです。
水の神様とのことで・・・こんな場面も・・・
まだまだ紅葉には遠い様ですが・・・でも,川の音も響いていて・・・いい感じです。爽やか!
鞍馬山を結構,急いで降りてきて,思いの外,汗ばんでて・・・気持ちも体も休憩って感じでした。
【水神である高龗神を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。水の神様として、全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。古来より、晴れを願うときには白馬が、雨を願うときには黒馬が奉納されたが、実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあり、このことから絵馬が発祥したとも言われる。また、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若いカップルや女性で賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。ただし「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から、丑の刻に参拝して願いを掛けることは心願成就の方法であり、呪咀が本来の意味では無い。平安時代には丑の刻であるかどうかは不明だが貴船神社に夜に参拝することが行われていた。時代の変遷と共に本来の意味が変質したものと思われる。付近は京都でも有名な紅葉の名所のひとつである。】ということですが・・・・一度,紅葉の時に来たいけれど,でも,多いでしょうね!!
今日は,空も青く澄んでいます。
いくつかの境内社にも参拝
本殿は,この奥にありました。
光が美しいコントラストを作っています。
こちらでも,奥宮まで向かいましょう!
最初には,結八代・・舟形の石や,和泉式部の歌碑など・・【結社(ゆいのやしろ)は、本宮と奥宮の中間、本宮から上流側300メートルの場所にある。その立地から中宮(なかみや)とも呼ばれている。磐長姫命を祭神とし、縁結びの神として信仰される。磐長姫命が縁結びの神とされることになった理由として次のような伝承がある。天孫瓊瓊杵尊が磐長姫命の妹の木花開耶姫と結婚しようとしたとき、姉妹の父の大山祇命は、磐長姫命も共に奉った。しかし、瓊瓊杵尊は木花開耶姫とだけ結婚したので、磐長姫命はそれを恥じ、「縁結びの神として良縁を授けん」と言って当地に鎮まったという。以前は、境内の細長い草の葉を結び合わせて縁結びを願っていたが、現在は植物保護のため本宮で授与される「結び文」に願文を書いて指定場所に結ぶことになっている。境内には、「磐長姫命の御料船」として平成8年に奉納された船形の自然石「天の磐船」が置かれている。また、後述の和泉式部の歌碑がある。】だそうです。
桂や杉が・・・樹齢の長い木々も多いです。
すこしずつ,登って行く感じです。
思い川~つづら石などがあって・・奥宮が見えてきました。
【奥宮は本宮の上流側700メートルの場所にあり、以前はここが本宮であった。闇龗神(くらおかみのかみ)を祭神とするが、高龗神と同じ神であるとされている。】です。
【創建の年代は不詳であるが、社伝では反正天皇の時代の創建としている。社伝によれば、神武天皇の母である玉依姫命が、黄色い船に乗って淀川・鴨川・貴船川を遡って当地に上陸し、水神を祭ったのに始まると伝えている。社名の由来は「黄船」によるものとし、奥宮境内にある「御船型石」が、玉依姫命が乗ってきた船が小石に覆われたものと伝える。「気の産まれる根源」が転じて「気生根」になったともいう。白鳳6年(666年)に、最も古い社殿造替えの記録がある。日本後紀に、延暦15年(796年)、東寺の造営の任に当たっていた藤原伊勢人の夢に貴船神社の神が現れ、鞍馬寺を建立するよう託宣したと記されている。『延喜式神名帳』には「山城国愛宕郡 貴布禰神社」として記載され、名神大社に列している。後に二十二社の一社とされ、保延6年(1140年)に最高位の正一位の神階を授けられている。永承元年(1046年)7月、出水により社殿が流失し、天喜3年(1055年)、現在の本宮の地に社殿を再建・遷座して、元の鎮座地は奥宮とした。当社は長らく賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社とされてきたが、これは天喜3年の社殿再建が契起となっているとする説がある。近世以降、それを不服として訴えが続けられ、明治以降になってようやく独立の神社となった。江戸時代までは賀茂別雷神社の祭神である賀茂別雷命も祭神としていた。】という貴船神社の歴史です。
奥宮は,それでも,やはり一番奥で,料理屋などの喧騒も静まって・・・厳粛な気分です。
【淤加美神、または、龗神(おかみのかみ、神)は、日本神話に登場する神である。罔象女神(みつはのめのかみ)とともに、日本における代表的な水の神である。 『古事記』では淤加美神、『日本書紀』では龗神と表記する。日本神話では、神産みにおいて伊邪那岐神が迦具土神を斬り殺した際に生まれたとしている。 『古事記』及び『日本書紀』の一書では、剣の柄に溜つた血から闇御津羽神(くらみつはのかみ)とともに闇龗神(くらおかみのかみ)が生まれ、『日本書紀』の一書では迦具土神を斬って生じた三柱の神のうちの一柱が高龗神(たかおかみのかみ)であるとしている。 高龗神は貴船神社(京都市)の祭神である。闇龗神と高龗神は同一の神、または、対の神とされ、その総称が龗神であるとされる。 『古事記』においては、淤加美神の娘に日河比売(ひかはひめ)がおり、スサノオの孫の布波能母遅久奴須奴神(ふはのもぢくぬすぬのかみ)と日河比売との間に深淵之水夜礼花神(ふかふちのみづやれはなのかみ)が生まれ、この神の孫が大国主神であるとしている。】奥宮の祀神です。
紅葉の頃も,いいでしょうね,本当に! でも,今日の緑でも十分,心を清められました。
さて,次の約束の時間が迫ってきています。なんせ,本殿の処から,駅まで2km・・・徒歩だし(下りだとはいえ)
もう後は,貴船川の水の音を聴きながら,下るばかりです。
途中にも,いくつかの名所もあるみたい・・・
少しだけ,紅葉も感じて・・・・
でも,こういった緑の中を歩くのはいいですね・・・・
さて,漸く,叡山電鉄,貴船口駅に到着!
    
少し,列車の時間まで余裕があったので,周囲を散策!
    
そして,来ました! さぁ・・・此処から烏丸御池まで・・・向かわなくっちゃ!
   
ステキな「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」でした。