2012.9.04.
今日は移動が一杯
大人の事情で「笠岡」→「岡山ロイヤルホテル」→「岡山理科大学」→JRで「尾道」でした。

岡山ロイヤルホテルは「岡山産学官連携推進会議」の全体委員会に学長代理で出席です。
   
最初に,岡山産学官連携大賞の授賞式でした。
デニムに新技術で,赤糸などを盛り込んでグラデーションを発現された日本綿布株式会社さんです。
  
石井知事からのお祝いの言葉がありました。
共同で開発された岡山県工業技術センターの方も,さらに,岡山大学のコーディネータの方も別枠でやはり大賞でした。
その後,会議へ・・・10年目に入って,そして,たぶん知事さんも今度勇退される(4期されたし)とのことで,改組などが諮られて承認されました。

さて,その後は岡山理科大学! 大学コンソーシアム岡山の企画会議でした。

いつもながらのメンバーですが,木村運営委員長をはじめ・・・7日の運営委員会,11日の代表者会議に向けて整備します。
矢延さん,岡戸さんもお疲れ様!
   
いつもの理大です。今日の会議は11号館・・・一番高い処にある建物です・・・石垣はお城みたい!
景色も絶景・・・そして,いつになく・・・こんなワンちゃんが!!

どこから来たのでしょうか???


今日の「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」は,新倉敷駅の近く・・・長尾というところの,長尾神社です。
これが非常に立派な拝殿と,広い境内! 初めてでしたが・・・そして,前夜の雨が残って,曇った空の下ではあったのですが,結構,感動しました。
八幡宮なんですね!
そして,境内社もとっても沢山です。
拝殿横の石の鳥居・・・ハングルかなぁ・・・違うかなぁ???
 
【中世は「甕ノ海」と「吉備の中海」の境目にある入江にあった当地区は、江戸時代初期に備中松山藩主であった水谷氏の新田開発により沖合が長尾新田と玉島新田となり、現在の地域がほぼ陸地となった。新田開発当初、この一帯は備中松山藩領であったが、水谷氏の改易により東の船穂村と共に江戸時代終焉まで丹波亀山藩領となった。かつて、丘陵地の反対側には旧山陽道が通り、山陽道と瀬戸内海を結ぶ海岸沿いの村であったが、陸地化して以後は高梁川から玉島湊への「高瀬通し」と呼ばれた水路を経由する物資輸送の中継地として繁栄。その後、江戸時代末期には綿花と小麦にくわえ除虫菊の生産が盛んになり、足袋や線香と「麦稈真田」(麦わらを材料にして編んだ真田紐)の一大産地になった。明治時代に山陽鉄道の開通により、物流の中心が船から鉄道へと移っていくことで当地区は玉島地域の交通の拠点へと変わってゆく。昭和時代の高度成長期の自動車普及に併せるように道路網が整備された後、新倉敷駅南口の区画整理が行われたことで急激に市街化が進んだ。そのため、平野部は農地の多くが宅地化されていったが、線香や足袋の生産は現在も行われている。】だそうです。
こういった歴史の鎮守の守ですから・・・立派なのも頷けますが・・・。
吉備津神社の分社もありました。
本殿も勇壮です。
そして,境内を降りた(丘の上にありますが)処には,結構,古い遊具の小さな公園が・・・でも,シーソーっていいですよね!
神社が,邨の中心となって・・・今も,お祭りはすごいそうです。
さて・・・そろそろ移動の時間ですね!
    
お近くのお庭には・・・