2012.6.18.
日本衛生学会の現在の和文誌編集委員長,そして7月からの全体編集委員長として,JSTのJ-STAGEでのCross Check の説明会,そして電子査読システムの説明会に行ってきました。市ヶ谷の・・・科学技術振興調整費をしていた頃,よく出向いたJSTのサイエンスプラザです。
   
丁度,6/13の編集委員長の引き継ぎ会で,和文誌にも電子査読システムを入れようって決めたばかり(あっ,理事会の承認待ちですが)です。
いろんな説明を聞きました。
   
さぁ,頑張らねば!
いろんな緑やオブジェなどもあります。
消火栓・・・もオブジェみたい・・・紫陽花もありました。
 
このあたりは・・・今回は半蔵門駅から向かったのですが,いっぱい・・・坂があります。

南法眼坂,行人坂・・・
そして東郷坂です。
  

今日の「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」・・・・豪徳寺です!!!
まずは小田急で豪徳寺へ・・・そこから向かう途中です・・・
東急世田谷線は・・・市電の様な車両ですね!
  
なぜか,裏門〜東門をぐるりと一番遠回りをして・・・山門へ!
緑にあふれています。
場所だけ確認して行ったのですが,塔もありますね!なんか,感動!
三重塔です。
【豪徳寺(ごうとくじ)は、東京都世田谷区豪徳寺二丁目にある曹洞宗の寺院。元は臨済宗。山号は大渓山(だいけいざん)。一説には招き猫発祥の地とされる。】だそうです。
なんか,鐘楼もいいですね!【梵鐘(世田谷区指定有形文化財):延宝7年(1679年)の作。】
そして,仏殿! 【仏殿(世田谷区指定有形文化財):井伊直孝の娘・掃雲院が父の菩提を弔うため、延宝5年(1677年)に建立。】です。
丁度,木漏れ日がなかなかいい感じで緑を照らしています。
【本寺付近は、中世の武蔵吉良氏が居館とし、天正18年(1590年)の小田原征伐で廃城となった世田谷城の主要部だったとされる。文明12年(1480年)、世田谷城主吉良政忠が伯母で頼高の娘である弘徳院のために「弘徳院」と称する庵を結んだ。当初は臨済宗に属していたが、天正12年(1584年)曹洞宗に転じる。寛永10年(1633年)彦根藩主井伊直孝が井伊氏の菩提寺として伽藍を創建し整備した。寺号は直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」による。】とのことです。
そして,小さな堂が・・・・。
なぜかここには,豪徳寺商店街にもあった・・・ポスターっていうか,垂れ幕が・・・。
それもそのはず【招き猫発祥の地とする説がある。井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたという。豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置く。招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。ちなみに、招福猫児は右手を上げており、小判などを持たない素朴な白い招き猫である。】なんですもの!
そして,奥へと進んで行ってみます。
墓地の方に向かっていますと・・六地蔵さんがいらっしゃって・・・・
そして,こちらは彦根藩主 井伊家の墓所・・・そして有名な井伊直弼の墓もあります。
これが井伊直弼のお墓です
  
【井伊 直弼(いい なおすけ)は、幕末の大名。近江彦根藩の第15代藩主。幕末期の江戸幕府にて大老を務め、日米修好通商条約に調印し、日本の開国近代化を断行した。また、強権をもって国内の反対勢力を粛清したが(安政の大獄)、それらの反動を受けて暗殺された(桜田門外の変)。】ですよ!
この墓所には,片隅に紫陽花も・・・・。
この季節,どこでも紫陽花を見かけます・・・墓所なので,少し淡い彩ですね。
淡い色合いがいいですね。
    
井伊直弼は13代だそうですね!幕末ですものね!
紫陽花を愛でながら再び六地蔵さんへお参り!
奥の本堂の方へ向かいましょうか・・・
例の招き猫のあった堂は本堂側には,赤門がありました。
本堂は堂々とした鉄筋です。
他にも白壁の蔵や・・さらに奥にも堂があるようですが,そこには入れませんでした。
仏殿を眺めても・・・なかなか立派なお寺さんです。
広い境内ですし,少し気持ちが落ち着きます。
小さな花も咲いていますし・・・ちょうど,木々は剪定の方が来られていました。
   
寺務所で,小さな招き猫を買いました(買うのではないかな?)
仏殿脇を抜けて・・・境内の紫陽花を愛でて・・・
さらに,三重塔・・をぐるり・・と。
緑の濃度が濃い感じでした。
さて,山門から戻りましょう!
もみじの頃もいいでしょうね!
    

さて,まだ少し時間に余裕があるので・・・東急世田谷線を越えて・・・世田谷八幡宮へ!
最初は,鳥居の横の・・・厳島神社です。
池には亀もいっぱい!
そして,本来の・・・八幡宮へ行きましょう!
とっても堂々とした拝殿です。
立派ですね。
【寛治五年(1091年)後三年の役(1083?87)の帰途、源義家がこの宮の坂の地で豪雨に会い、天候回復を待つため、滞在することとなり今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の御加護に依るものと思い、豊前国の宇佐八幡宮の御分霊をこの地に勧請し祀った。後に世田谷城主七代目の吉良頼康が天文十五年(1546年)社殿を再興させて発展させた。】だそうです。
いくつかの境内社もありました。
土俵があって・・・力石がそろっていて・・・歴史が感じられます。
幾人か,お参りの方々もいらっしゃいました。
【明治5年(1872年)郷社に列し、社号を宇佐神社と改めたが、第二次大戦後、世田谷八幡宮の名に復した。昔は奉納相撲の勝敗によって来年の豊作・凶作を占ったり、今年の豊作を感謝したため、境内には土俵や力石がある。今でも毎年秋の例祭(9月15日)には東京農業大学相撲部による奉納相撲が行われている。最寄駅の東急世田谷線宮の坂駅の駅名はこの神社の脇にある宮の坂に由来している。1813年(文化10)年建造の本殿が、1964(昭和39)年に建てられた現在の社殿内に納められている。】だそうで,やっぱり奉納相撲とかあるのですね!
さて,再び電車沿い・・・
そして,商店街にも駅にも招き猫がいっぱいでした。
   
いや,魚屋さんは,直接猫とは・・・う〜ん,猫の好物?
 
駅前には,でっかい招き猫です。