2012.6.15-16
東京:学術総合センターで行われた日本職業・環境アレルギー学会に参加・発表してきました。
かつ,日本大学医学部で日本衛生学会の広報委員会
さらに,東海大学霞が関ビルで日本臨床環境医学会の編集委員長として,シックハウスマニュアルの出版に関連する打ち合わせを併せて行ってきました。
    
ポスター発表でした。これまでも何度か発表してきていますが,今回は,一般演題っていうより特別講演やシンポジウムが中心のプログラムでした。
    
今回の目的は上の一番左の写真のようにICOHの Allergy & Immunotoxicology Scientific Committee のSecretary として,2015年のKOREAでのICOHのパンフレットを置くことでした。
6/15は少し蒸し暑い晴れ間も覗く薄曇り〜6/16は小雨模様の一日でした。

6/16の東海大霞が関ビルの打ち合わせ,その周辺です。
 
特許庁の前のモニュメントや・・・JTのビルも・・・
特許庁裏手の庭には,紫陽花も・・
   
前にも一度来ましたが,この東海大ビルの35階からの眺めは,すごい! 総理官邸とか国会議事堂とか,皇居とか・・・そして,反対は東京タワーとか・・・。
本当に一等地ですよね!
   


さて,4月にも行った日本大学医学部・・・板橋ですが・・・その前に「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」・・・
有楽町線で氷川台へ・・・そして城北中央公園へ向かいました。
   
石神井川沿いに行きます!
紫陽花が満開!この比較的濃いめの青がいいなぁ・・・
ここ2週間くらいで,街々の至るところに紫陽花が花開いていますね!
雨の季節です。
それでも,紫陽花はいろんな表情を見せてくれるし・・・
それでいて,どれもどこか儚げです。
【当地は、戦時中策定された防空緑地(空襲被害の拡大を防ぐために設置された緑地)の一つであり、戦後そのまま公園として整備され、陸上競技場、野球場、テニス場など、特にスポーツ施設を充実させた総合レクリエーション公園になった。一時期、敷地の一部が立教学院の総合グラウンドであったため(立教大学在学中の長嶋茂雄もこの場所まで練習に通っていた)、現在もスポーツ施設が充実している。また、当公園内では古代時代の遺跡も発掘され、奈良時代の家屋が復元されている。多摩動物公園はコアラのエサとして国内6カ所でユーカリを栽培しているが、当公園もそのひとつ。園内で9種類のユーカリが栽培されている。】だそうです。
結構,木々が深く高いです。
遺跡がありました。
  
【栗原遺跡は、昭和30年(1955年)に立教学院総合運動場造成の際に、発掘調査された遺跡で、このあたりの旧小字「栗原」を遺跡名としたものです。昭和30〜31年(1955〜1956年)にかけての調査では、赤土(関東ローム層)の中から、黒曜石製の石器が出土し、旧石器時代から、この地で人々が生活していることが分かりました。また、縄文土器が出土するとともに、弥生〜平安時代の竪穴住居跡が発見されています。このあたりは、石神井川と田柄川にはさまれた台地で、日当たりもよく、生活に欠かせない水の得やすい土地であったため、長い間、人々が生活していたことがしのばれます。復元された住居跡は、奈良時代のもので、昭和31年(1956年)に東京大学教授、藤島亥治郎博士の設計により建てられたものです。発掘された住居跡は、地表から約50センチメートルの深さに掘られ、北側に粘土のかまどが築かれていました。柱穴は4か所あり、復元の際には、径約21センチメートルのケヤキ丸太を主柱にし、梁・桁にスギ丸太を用い、茅をふいて復元しています。この復元住居跡は奈良の都の華やかさにくらべ、当時の地方の暮らしぶりがどんなものであったのかを語りかけてくれます。】とのことです。
そして,広いグラントもあります・・・陸上競技場?
どこかの幼稚園か保育園の子供たちがいっぱい!
いろんな世代の人たちが,思い思いに過ごしてらっしゃいました。
花壇もきれいに整備されていました。
ここで実は・・・日本職業・環境アレルギー学会でポスターのみって思っていたら,スライドを使った oral presentationもあるってわかったので,幡山さんに無理をいって,添付で送ってもらったファイルを整備もしました。
【園内にはケヤキ、イチョウ、サクラなど9,000本ほどの樹木が植えられており、春には花見客でにぎわいます。また、秋にはイチョウ並木が綺麗に色付きます。】とのことです。
なかなか,花の名前はわかりませんが・・・・
歩を進めていきましょう!
    
御嶽神社がありました。
で,なんと,狼型の狛犬です。
それも二対!
周囲では,奥様方が,テニスをされていましたが・・・ここはひっそり!
普通の狛犬も,少し怖い顔?
   
 向かい側は体育館!
まだまだ,沢山,紫陽花を観ました。
 やっぱり青いのがいいかなぁ・・・
もちろん,白も清廉でいいですが・・。
今年は沢山,紫陽花を観ている気がします。
石神井公園を抜けて。。。別の遺跡へ!
茂呂遺跡です。【昭和26年3月「オドセ山」と呼ばれる独立丘陵を通る切り通し道路の断面で、土器などが発見されました。その後、同年7月に発掘調査が実施され、旧石器時代の調査としては、群馬県岩宿遺跡に次ぐ全国2例目の調査となり、縄文時代より古い旧石器時代の文化が日本に普遍的に広がっていることがわかりました。また、この調査で出土したナイフ形石器は、非常に特徴的な形態をしていることから、「茂呂型ナイフ形石器」と名付けられました。遺跡は、昭和44年に、遺物は平成11年に東京都の文化財に指定されています。現在は東京都の公園用地となっていますが、樹林保護のため立ち入ることはできません。】
  
ここはフェンスに囲まれていて・・・入っていけませんでした。
かなり,広い公園ですし,緑や広場が続いています。
見えない貯水池・・・これいいですね!
さて,ぶらぶらと東へ!
子供たちによるアスファルトの上にチョークの落書き! ってしばらくぶりに見た気がする!

さて,武王山 最明寺 安養院 さんです。
山門も緑の奥です。
ふと,地図で見つけただけだったのですが,非常に立派なお寺さんですね!
【この寺の創建年代等については不詳であるが、言い伝えによれば鎌倉時代北条時頼によって再興され、現在の山寺号に改められたと伝えられる。】だそうです。
伽藍もどっしりしています。
境内のお庭もいろいろと趣向が凝らしてあります。
また,別の説明では【安養院は、鎌倉中期正嘉元年(1257)に、最明寺北条時頼が諸国行脚のみぎり、持仏「摩利支天」を此地に安置し一宇を建立して創建されたと伝えられる。元禄元年(1688)に祐淳大比丘が中興開山、近郷の真言宗の中心勢力となった。明治13年(1880)に火災により宝蔵を焼き、従来の古文書・什器等の大半を消失した。大正6年に本堂・鐘楼等を大いに改め、昭和4年には庫裡を他より移築して寺観を一変して今日に至る。】
弘法大師(空海)様も・・立ってらっしゃいます。
    
まさに板橋の名刹ですね!
そして,この辺りまで入って気付いたのですが,非常に立派な二重の塔もありました。
この奥は墓地ですが,しかし,非常に種々の趣向のある立派な寺院です。
なかなか,板橋までは,通常の東京出張では来ないですものね!
これだけのお庭など,お手入れも大変でしょうね。
奥にはまた紫陽花
紫陽花もいろんな種類があります。
   
さて,もう少し境内を回らせていただきましょう!
この緑が深い時期っていうのも,いいのでしょうか・・・・
こうやって予定になくフラっとお参りさせてもらって,よいお寺さんだと,気持ちが安らぎますね。
小さな石仏も多くならんでいらっしゃいます。
さて,おおむね,ぐるりと回らせていただきました。感謝,合掌!

そこから日大医学部目指して歩く途中・・庫裡の方の入り口の向かいには・・・
  
このあたりは大きな村だったそうです。

そして,もう少し東に氷川神社がありました。
    
ここでも紫陽花を愛でましょう
さて,こちらもお参りさせてもたいましょう!
参道の長い・・・奥まった神社です。
東京〜埼玉近辺に,約200社,氷川神社があるそうです。
いくつかの質素(?)な境内社も・・・
お稲荷さんもあります。
また,少し趣のことなる紫陽花も・・・
これもまた,儚げ

さて・・そろそろ日大医学部へ!!
  
石神井川〜ワンちゃん! そして,商店街!!

たどり着きました!
社会医学系は,ちょっと離れたところですね!
   
6/16に偶々この板橋病院の話になったんですが,相当古いみたいです。S46で新築記念で,欅・・・なので・・・40年以上ですものね!

宿舎の神田のホテルに向かう途中!
  

霞が関を歩いていると・・・・