2012.5.30~6.02
日本産業衛生学会での日本産業衛生学会アレルギー免疫毒性研究会と日本臨床環境医学会ツアー
その11
6/02 日本臨床環境医学会の後に,会場のあった六日町の一つとなりの「塩沢」駅から「つむぎ記念館」へ
「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」です。
日本臨床環境医学会でもらった南魚沼の観光パンフレットに「塩沢つむぎ」って・・・聞いたことがあったし,寄ってみました。
  
【雪と民話の国奥越後に悠久千年の昔より伝わる「塩沢の織物」。伝統技術と、その文化の魅力を一堂に公開。伝統工芸の新たなる可能性をカタチにした、「織と文化の発信拠点」は創造と感動に満ちあふれています。】です。
館の方はとっても丁寧に案内をしてくださいました。実演もしていただけました。
 
蚕も実演? もそもそと動いていました。
【奈良時代の天平勝宝年間(西暦756年)に建立された東大寺の正倉院に、当時この地域で織られた良質の麻織物が「庸布(税の対象物)」として納められ、今でも宝物として保存されています。このことから、今から1200年以前より塩沢地方において上質の麻織物「越後上布」が生産されていた事が推測できます。】だそうです。
時間があれば,体験もできたみたいでした。体験者が順番に織り込んだのが・・・リレー作品!
そういえば,GWに木綿の織物の具合を見せていただきましたが,機織り機は同じ感じ!
【この麻織物「越後上布」の技術を、今からおよそ350年前の江戸時代の寛文年間(1661年〜72年)の頃に絹織物に応用して創られたものが「本塩沢(塩沢お召)」です。文献上からも元治元年(1864年)に書かれた「覚」の中に運上品としての「絹縮」の記載があることから、塩沢地方において絹糸に強撚糸を用いた上質の絹の「皺(シボ)織物」が生産されていた事がわかります。また、江戸時代の明和年間(西暦1764年〜71年)の頃には、真綿糸を使用した「塩沢紬」が創られました。更に、明治時代になりこれらの絹織物を夏物として改良して生まれたものが「夏塩沢」です。まさに塩沢の織物の親に当たるものが「越後上布」で、その子に当たるものが「本塩沢」と「塩沢紬」で、その孫に当たるものが「夏塩沢」です。】これら,いずれも,見せていただきました。
   
丹波織ってありましたが,そういえば郷里・福知山の由良川周辺はお茶畑と養蚕業が有名でした。

  
この軽トラ市って・・翌日の日曜日なんですが,軽トラックの見本市ではなく・・・軽トラ一台分で,エンタテイメントとか,販売とかいろんなことがあるみたいですね!

さて,南魚沼から去っていきましょう!八海山の残雪を記念に収めながら・・・・
【越後三山(えちごさんざん)は、新潟県魚沼市および南魚沼市にそびえる八海山(1778m)・越後駒ヶ岳(2003m、魚沼駒ヶ岳とも呼ぶ)・中ノ岳(2085m)の総称。三山全域が越後三山只見国定公園に指定されている。魚沼三山とも呼ばれる。】です。
でも,塩沢から,次の上越国際スキー場前→大沢→石打→越後湯沢ですが,少し曲がっていて,塩沢を過ぎると,もう越後三山は見えなくなってくるのかな?
越後湯沢の辺りに近づくと,魚野川も渓流に近くなってきます。
越後湯沢で新幹線に!
   
北里の宣伝が車内にありました。そして越後湯沢駅でもう一度,ほくほく線の車両を見つけました。