2012.5.30~6.02
日本産業衛生学会での日本産業衛生学会アレルギー免疫毒性研究会と日本臨床環境医学会ツアー
その10
6/02 日本臨床環境医学会の前に,宿舎が浦佐だったので,早起きで有名な毘沙門天です。
「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」
浦佐・・・出発の朝〜日本臨床環境医学会二日目の朝は,前日の八色の森とは反対側へ!駅の西側です。
   
あっ,駅の・・東側の玄関口には,田中角栄氏の銅像です。そうかここが選挙区地元だったんですね,そういえば,真紀子さんのポスターもありました。

有名な毘沙門天の案内が・・・駅西側の看板に! 岡山市西大寺の会陽と並んで,三大奇祭の一つがあるのですね!
   
角ごとの案内にそって向かいます。
これは,すごい山門です! 圧倒されます。
【毘沙門堂の創建は大同2年(807)に坂上田村麻呂が開基したと伝えられています。鎌倉幕府の庇護によりこの地の地頭職であった平繁基が承久3年(1221)寺領を寄進し、僧道乗坊辯覚が開山した普光寺を別当にしました。室町時代になると周辺の領主からの寺領の寄進が多くなり隆盛し桁行五間、梁間五間、屋根入母屋造、茅葺の壮大な伽藍が建立されたそうです。】だそうです。
歴史が深い!
【戦国時代末期になると上杉謙信が毘沙門天に帰依していたこともあり毘沙門堂が信仰の対象となっています。江戸時代に入った慶長8年(1603)に坂戸城主堀丹後守直寄候が30石の寺領を寄進したことで合計50石となり、慶安年間からは3代将軍徳川家光がそれらの所領を安堵し歴代将軍もこれに倣いました。昭和6年に当時の国特別保護建造物に指定された毘沙門堂は火災により炎上しましたが、江戸時代に建てられた本堂や山門(豪商、関市四郎氏寄進)は焼け残り当時の繁栄を今に伝えています。】です。
17世紀ですね。
なんとも,確かに,歴史を感じさせるよい古刹です。
ぐるりと回っていきましょう!
お寺も堂内には,提灯が飾ってあります・・・神仏ともに,こういった風習の土地柄でしょうか。
【特に山門は三間一戸、入母屋、銅板葺きの楼門で日光東照宮の陽明門を模したものとされ天井の双龍図板絵は、谷文晁師が描いたものとされます。普光寺楼門は南魚沼市指定文化財となっています。 】だそうです。
気持ちが洗われるようです。
いくつかの堂もありますね。
丁度朝日がまぶしく差し込んできました。
境内を一周!
    
再び,不動明王から,奥の白山神社へ
義士の像もありますが・・・・
北陸から越後にかけては白山信仰でしょうか?
奥の山には,浦佐城跡もあるそうです。
と,そこまでの登山の時間はないし・・・荷物抱えてますので・・・戻りましょう!
【江戸時代のベストセラー「北越雪譜」にも記載された歴史ある祭典:日本三大奇祭の一つ。近年「国の無形民俗文化財」に指定されました。約1200年の歴史を持つ。我先に毘沙門天に拝もうと集まり始め、多くの民衆が押合い始めたのがきっかけ。現在は上半身裸の男衆が「サンヨー、サンヨ!」の掛け声と共に押合い、一段高い所に祀ってある毘沙門天を誰よりも早く、近くで参拝しようと押し合う様は圧倒される。また、警備等で重さ約30kgの大ローソクを使用する事から「大ローソク祭り」とも言われている。一般押合参加可能(ただし、男性のみ)、さらし等は各自用意。】だそうです。
鐘楼の鐘も由緒正しい様です。
さて,よいお寺さんにお参りできました。
弁天橋を渡って,お隣の千手院さんへ
小さな寺院ですが,境内はお花でいっぱいです。
案内板には,裏手には浦沢城跡って書いてありますね・・・
裏手に回ってみます。
ここにもまぶしい様な紫陽花が
周囲は花盛り・・・雪国ではたぶん一気に咲き誇るのでしょうね,いろんな花が!
牡丹も一緒に・・・
よい寺院でした。
   
もう一度,毘沙門天の山門を眺めてから・・・駅に! 今日は日本臨床環境医学会の開演ぎりぎりの列車で移動ですし・・・。
浦佐駅はでも,新幹線も留ります(って,角栄さんの威光?)
列車が来ました! 車窓は八海山系です!
残雪!
    
そして,美味しいコシヒカリの田植えです