2012.5.30~6.02
日本産業衛生学会での日本産業衛生学会アレルギー免疫毒性研究会と日本臨床環境医学会ツアー
その7
まずは5/31 日本臨床環境医学会の編集委員会と理事会の前に,余裕をもって,南魚沼市六日町へ
「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」で坂戸城跡
この前に,銭淵公園を散策しました・・・そこから南へ・・・坂戸城跡を目指します。
    
おや,田んぼに・・合鴨農法ではないとは思いますが・・・ほほえましい!
そして,池でも田んぼでもない・・・って思ったら,内堀跡の様です。
  
この辺りから,もう坂戸城跡なのですね・・・一般の住居も沢山ありますが・・・。
睡蓮が昔を偲ばせます。
 
坂戸状は山城! この睡蓮のところから,山の方に曲がると,すぐのところに・・・鳥坂神社があり,もうそこは武家屋敷跡の様です。
    
小さな祠ですが・・・。
そして,その裏手の伐採されている辺り・・・そこが家臣屋敷跡!
なんだかいきなりです・・・で,車両進入禁止の看板には,直江兼続の「愛」が!
この辺りから・・・ちょっと頂上の本丸跡まではいけないですが・・・少し山登りモードです。
少し行くと城跡の石碑もありますが・・・なんだか,いい感じの上り坂!
紫陽花まで見つけました。
  
白い紫陽花は可憐ですね。
そして,城跡後の広がった空間です。
【坂戸城(さかとじょう)は、新潟県南魚沼市に存在した大規模な山城。坂戸山山頂(標高634メートル)に本丸、麓に平時の住居跡の遺構が見られ、魚野川をはさんで、三国街道を見下ろす交通上の要地に位置する。1979年(昭和54年)6月11日、国の史跡に指定された。上田長尾氏ゆかりの城として知られており、長尾政景や上杉景勝、直江兼続の居城として名高い。上杉謙信の姉仙桃院の嫁ぎ先でもある。また上杉景勝が会津へ移され、かわって堀氏が越後に入ると、堀直寄が坂戸城主を務めたことで知られる。】なのですが・・・・
先にあった「上田五十騎」とは・・・【守護代長尾為景は、永正4年(1507年)、越後の国人衆を糾合して守護上杉房能を排斥し、永正7年(1510年)には関東管領上杉顕定をも長森原の戦いにおいて敗死させて越後一国に覇を唱えた。上田長尾氏は守護代長尾氏に対して一定の独立性を保持したものの、為景の死後、長尾景虎(上杉謙信)が越後国主となるにおよび、天文20年(1551年)には上田長尾氏の長尾政景が上杉謙信に坂戸城を包囲され、謙信に誓詞を提出して、その軍門に降ったとされる。なお、その後、政景は立身するものの、永禄7年(1564年)、付近の野尻池にて琵琶嶋城主宇佐美定満(下平吉長とも)との舟遊び中に定満とともに謎の死を遂げている。謙信の死後政景の子で謙信の養子となっていた上杉景勝と、後北条氏出身の上杉景虎との家督争い御館の乱が勃発する。景虎の要望に応えて出陣した北条氏照・氏邦(景虎の兄)らは入越すべく、三国峠を越えて坂戸城を指呼の間に望む樺沢城を奪取し、坂戸城攻略に着手した。しかし景勝方はよく守り、また冬が近づいてきたこともあって、北条勢は樺沢城に氏邦・北条高広らを置き、北条景広を遊軍として残置しての撤退を強いられた。そして景虎は翌年滅亡、北条勢の越後への侵入をこの城で阻んだことが景勝方の勝利の大きな要因となった。乱を制して景勝が春日山城主になると、父が政景の家臣であった樋口兼続(のちの直江兼続)をはじめとする「上田衆」が景勝の直臣団を構成するようになり、同時に、坂戸城は、春日山城の有力な支城として領国経営の重要拠点となった。兼続も坂戸城主に任じられている。】という上田衆です。
まぁ,それはそういう歴史として・・・山は清々しい!
南魚沼ではウツギを本当に沢山見かけます・・・
時間があれば,頂上まで登るのに〜と,残念に思いながら,また麓の方へ・・・
幾人か,登山っていうかハイキングの方もいらっしゃいました。いいなぁ
そして長尾(上杉)景勝,直江兼続生誕の地です。
なんとなくそれでも,感慨深いものがあります。
さて。。。最初の神社の辺りに降りてきました。
民家の軒下にも紫陽花!
   
そして,別の登り口から・・・また,少し登ってみましょう!
こちらにも堂があります。
更に,登れるようになっているし(時間もまだあるし・・・),ついつい誘われるように坂の上へ・・・。
石仏が,ほどよい距離で置かれていて・・・ついつい誘われて,登ってしまいます。
ずず〜っと,石仏が並んでいて,まるで誘導してくださっているようです。
バンダナを巻いてらっしゃるのは,この石仏だけでしたが・・・。
    
花もきれいに・・・・
それでも空の青といい・・・気分爽快に足取りも軽いです。
おっ,鳥居が見えてきました。お稲荷さんですね!
街並みも見えています・・・日本臨床環境医学会会場の市民会館も!
  
さて,もう少しは登ってみましょうか!
ただ,このまま登れば頂上までってことになりそうなので・・・それでは会議に送れます。
そろそろ,何か区切りがないかな?
この御居間屋敷か,一本杉か・・・
地図があって…一本杉の方は,遠回り,かつ,先に行った城跡のところに出るようなので,御居間屋敷の方に,降りて行きました。
    
こっちは,それこそ誰も通っていないような山道でした。
そこからは最初の神社のところに向けて,ずんずんと降りるようです。
    
もうすでに汗だくですが・・・・。
さぁ・・・杉木立を抜けて・・・戻ってきました。
    

改めて,内堀跡の続きから・・・今度は墓所を目指しましょう!
子供たちに「何,捕ってるの?」って聞くと「トンボの赤ちゃん!」って
のんびりとした午後です。
黄水仙も・・・可憐に
ウツギの花・・・本当によく見かけます!
    
さてそののんびりの中・・・上の写真の御宅では,なんだかコンクリートの橋桁の様なものが,お庭にあったりして,なに???
  
長尾政景公墓所です。
少し山に入る辺り・・・比較的新しく作られたのかな?
そしてここでも花々が一度期に咲き始めたみたいな・・・・
鈴蘭の白もまた,紫陽花の白に染まりし・・・・・
そして,杉木立の前に墓所があって・・・いろんない碑が立ち並んでいました。
長尾政景公の最新の墓碑です。
    
その裏手に,それまでの二つの墓石が・・・・。
   
ひっそりと佇んでいる感じが,兵どもが夢のあとって印象です。
もう一度,先ほどの紫陽花を観てみましょう!
そして,反対側には,代々の墓が・・・これも,新しい感じでした。
直江兼続公のものは,説明版もありました。
    
さて,そろそろ会場の温泉旅館「龍言(上の写真で,元々,そういう名前の寺院があった様ですね)」へ向かいましょうか・・・。
今回はなんだか,いろんな植物に見とれてしまいます。
田んぼの真ん中に大きな木も・・・・