2012.5.30~6.02
日本産業衛生学会での日本産業衛生学会アレルギー免疫毒性研究会と日本臨床環境医学会ツアー
その1
まずは5/30. なぜか福山(実際には尾道)から途中下車「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」で長浜へ
 
福山駅から新幹線です・・・駅から福山城がしっかり見えます!
九州新幹線ですね。

乗り換えは「米原」駅
特急しらさぎ・・・が停車中

そこから北陸本線で数駅・・・長浜駅へ・・そして琵琶湖に誘われるように・・・豊公園〜長浜城
緑が深くなった公園は・・・日本庭園の様に設えてあります。
桜の名所だそうです。
    
子供連れの人たちもいましたが・・・。
そして,お城が見えてきます。
長浜城跡!
【1573年(天正元年)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名した。小谷城で使われていた資材や、あらかじめ、竹生島に密かに隠されていた材木などを見つけ出し、それらを使用し築城を開始した。】
  
いざ,入城!
天守閣から・・・琵琶湖もよく見えますが・・・う〜ん,少しかすんでいますね!
【同3・4年頃完成し入城。湖水に石垣を浸し、城内の水門から直に船の出入りができるようになっていた。城下町は小谷城下(滋賀県長浜市湖北町伊部)からそのまま移した。そのため、現在でも城下町には当時の面影や名残がある。秀吉が最初に築いた居城であり、秀吉の城下町経営の基礎を醸成した所でもある。 本能寺の変後、清洲会議で長浜の支配権を獲得した柴田勝家の甥の柴田勝豊が入城するも、まもなく勝家と対立した秀吉に攻められ落城した。賤ヶ岳の戦い後は、山内一豊が6年間在城し、内藤信成・信正が城主になるが1615年(元和元年)に廃城になり資材の大半は彦根城の築城に流用された。彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられている。その他、長浜市内にある大通寺の台所門は長浜城の大手門を移したものと伝えられ、今でも矢尻の跡を見ることができる。同市内にある知善院の表門は、長浜城の搦手門を移したものと伝えられている。】
街並みもよく見えます。釣り人も・・・
琵琶湖周航の歌でよく知る「竹生島」とピラミッドかっていう山本山
  
北からの地図は,いろんな概念を覆してくれますね。
 
さて,ぐるりを散策しましょう!
太閤ゆかりの神社などの祠が・・・
周囲は深く緑に・・・
太閤さんもいらっしゃいました!
    
あまり目立たないところで,ひっそりといらっしゃいましたよ!
【村上義一:滋賀県東浅井郡虎姫町(現・長浜市)出身。第三高等学校 (旧制)、東京帝国大学卒業。1912年に鉄道院(のち鉄道省)に入り、その後1930年には南満州鉄道(満鉄)で理事となった。1937年に設立された鉄道省系の国営企業であった日本通運の副社長に、1940年には社長に就任する(1943年まで)。1946年1月に幣原内閣(公職追放後の改造内閣)において運輸大臣に就任、同年6月には貴族院議員になった(1965年に引退)。】の像です。
【在の天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルにし模擬復元されたもので市立長浜城歴史博物館として運営されている。】だそうです。
    
それでもお城っていうのは,歴史を感じさせますね・・・近江はやはり戦国時代から安土桃山への舞台です。
さて,湖岸へ
太閤井戸
    
どんよりと曇っていますが・・・・
こんな鳥の啼き声?

さて,湖岸をぐるりと・・・・
緑も多いし・・・もう少し晴れていればそれはそれで・・・・気持ちもよかったかも・・・
    
それでも,小さな波があって。。。。打ち寄せては引く音はいいですね。
向こうの白い塔はなんでしょうか?
長浜ロイヤルホテルはいいロケーション!
   
ヨットハーバーがあって・・・釣り人のおじさんたちが・・・
さて,少し湖岸から離れます。
 
明治山として戦死者を祀ってありました。
    
最近,集英社の「戦争X文学」全20巻の刊行を読んでいると,政治色抜きにしても,やはり戦争で命を亡くされた人たちへの哀惜は必要ですよね,一般市民として!