2012.5.23. ライフパーク倉敷で,第10回倉敷市大学連携会議でした。 今年度から,担当の倉敷市企画経営室では,この事業担当者が一新! かつ大学からのメンバーも半分は変更! 新たな視点で頑張りましょう! いつものライフパークです。春の薄曇りの中・・・ 今日の「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」は,往路途中の早島町「鶴ア神社」です。 広い境内ですし,【当社は、貞和六年庚寅2月21日(1350・南北朝)に吉備津神社から吉備津彦命荒魂(丑寅御崎大明神)を勧請したのが創建とされ、その後元中元年(1384・南北朝)小社であった八幡神社(品陀和氣命)を再建し、現在の両社宮の形式となり御崎宮と称した。文禄2年(1593・安土桃山)宮崎城主高畠市正貞政、安原備中守の手によって両社改築。慶長八年(1603・江戸)安原和泉守が八幡神社を再建。享保4年(1719・江戸)両社再建。同11年神祇官領にて御崎宮神階正一位に昇進。明治初年に社名を鶴崎神社と改める。明治4年社格制度により郷社に列せられる。神職は太田家が社家として奉仕していたが、明治6年東太田家、西太田家は小田県から士族に編入され、明治10年頃からは中太田家が社司(宮司)となって祭祀に当たった。明治40年神饌幣帛供進社に指定される。昭和10年随神門改築。昭和28年宗教法人令が制定され神社は宗教法人となり明治以降80年の神社に関する国家管理は幕を閉じ、その後は氏子により早島の総鎮守として守られている。昭和46年本殿屋根銅板葺替。平成10年社務所移して改築。春、秋の大祭には吉備津神社の七十五膳据神事と同様に御盛相(米を蒸し円筒形の型枠にはめ押し抜いたもの)を御膳に盛ってお供えする特殊神事供膳祭が古式に則り行われる。また、秋祭りの神幸祭は寛保元年(1741)から行われており、早島町の秋の風物詩として大きな賑わいを見せる。】と神社のHPにも記載がありました。 早島という島だった名残でしょうか? っていうか,藺草栽培の繁栄だった頃の名残の様ですね。 |