2012.4.15.
第108回日本内科学会が4/13-15で京都の「みやこめっせ」」で開催されました。
大槻は,一応,内科専門医! この資格維持には,毎年の学会に一日は参加しなければなりません。
今年度は,金・土に用事があったので,今日!
ひろいホールでの講演会・・・PCで仕事も出来るサテライトで,まぁ,聞きながら・・・・仕事していました。
かつ・・・最後に此処でID会員証でピッてしてもらえれば,OK・・・途中春の京都に誘われて,フラフラもしました。
今日の動画!
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平安神宮での何かの儀式の後 |
夷川発電所! |
ふと見かけたスーツ姿の人! |
まずは,京都駅到着! 今日は,徒歩で向かいます!
京都駅から東へ!
塩小路通りで鴨川を渡りますが・・・・堤防は桜並木!
花盛りです。
ここから伏見の方に流れる用水が枝分かれかな,していきますが・・・その川面は,隣の道より上にあります。
さて,上って行きます・・・三十三間堂の横を抜けて・・・・豊国神社へ
太閤さんを祀っているんですね!
丁度,拝殿の裏手から朝日が昇ってきています。
絵馬も千成瓢箪ですね。
桜は,もう散り始めていますが,それでも八重桜などは,美しい!
【豊臣秀吉の死去の翌年の1599年(慶長4年)、遺体が遺命により方広寺の近くの阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、その麓に方広寺の鎮守社として廟所が建立されたのに始まる。この時、秀吉は東大寺の大仏に倣い、自身を八幡として祀るように遺言したが、結果として方広寺とは別の存在となり、別に神宮寺が建てられ、神号も大明神となっている。後陽成天皇から正一位の神階と豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)の神号が贈られ鎮座祭が盛大に行われた。かし、1615年(元和元年)に豊臣宗家が滅亡すると、徳川幕府により方広寺の大仏の鎮守とするために廃絶され、大仏殿裏手に遷されている。神宮寺や本殿は残されたが、それも後に妙法院に移されている。1662年6月(寛文2年5月)に京都で地震が起きたとき、豊国神社周辺に被害がなかったため、地震除けの流行神として参詣者が集まった。1868年(明治元年)、明治天皇が大阪に行幸したとき、秀吉を、天下を統一しながら幕府は作らなかった尊皇の功臣であるとして、豊国神社の再興を布告した。1873年(明治6年)、別格官幣社に列格した。1880年(明治13年)、方広寺大仏殿跡地の現在地に社殿が完成し、遷座が行われた。】だそうです。
上記の説明,確かに秀吉は幕府は作らなかったですね!
おとなりの京都国立博物館は改装中でした。
さて,境内が続いて・・・方廣寺・・・非常に大きな鐘がありました。
鐘楼の中に小屋があって・・・扉がありますが,その大きさと比べてみてください。
【豊臣氏当時ものとしては梵鐘が残っているが、この鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文(京都南禅寺の禅僧文英清韓の作)が徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とし、家康及び徳川家を冒?するものと看做され、大坂の役による豊臣家滅亡を招いたとされる。この鐘は重要文化財に指定されており東大寺、知恩院のものと合わせ日本三大名鐘のひとつとされる。大仏殿は、2000年(平成12年)発掘調査により東西約55m、南北約90mの規模であったことが判明している。】だそうです,なるほど!
そして,大仏殿の後・・・石垣は残っていました。
町並みをぶらぶら・・・
おうちに「ちまき」が掛けてあったり・・・五条坂・・・五条を過ぎました。
建仁寺の・・・摩利支尊天 です。亥年生まれの守り本尊!
びっくり・・阿吽も猪です。
この辺りってこれまで訪れたことがなかったので,知識もなかったので,本当にびっくりしました。
さて,そこからやや東に向かうと・・建仁寺です
南の弥勒門からの入山です。
弥勒門は【重要文化財。寺の南側正面、八坂通りに面した四脚門。平教盛の館門(平重盛の館門とも)を応仁の乱後に移築したものと伝えるが定かでない。様式的には鎌倉時代末頃の建築である。】です。
それはそれとして・・・境内は素晴らしい!
浴室や楽神廟・・・吉備津神社と縁があるそうです。
【臨済宗建仁寺派大本山の寺院。山号を東山(とうざん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西である。京都五山の第3位に列せられている。俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松(かいほうゆうしょう)の襖絵などの文化財を豊富に伝える。山内の塔頭としては、桃山時代の池泉回遊式庭園で有名であり、貴重な古籍や、漢籍・朝鮮本などの文化財も多数所蔵していることで知られる両足院などが見られる。また、豊臣秀吉を祀る高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺である。寺号は「けんにんじ」と読むが、地元では「けんねんさん」の名で親しまれている。なお、よく日本最初の禅寺と言われるが、これは間違いで博多の聖福寺が最初の禅寺である。】です。
三門を拝みましょう!
といいつつ,池に散った桜の花びらに言い様のない儚い美が描かれます。
放生池だそうです。
こちらからも境内を抜けて摩利支尊天堂へ向かえたのですね。
まだ朝早く・・・参る人も少なく・・・静謐な感じです。
時間が切り取られているようです。
【日本に臨済宗を正式に伝えたのは栄西(ようさい、えいさい)がはじめとされている。栄西は永治元年(1141年)、備中国(岡山県)に生まれた。13歳で比叡山に上り翌年得度(出家)。仁安3年(1168年)と文治3年(1187年)の2回、南宋に渡航した。1度目の渡宋はわずか半年であったが、2度目の渡宋の際、臨済宗黄龍派(おうりょうは)の虚庵懐敞(きあんえじょう)に参禅した。建久2年(1191年)、虚庵から印可(師匠の法を嗣いだという証明)を得て、帰国する。当時、京都では比叡山(延暦寺)の勢力が強大で、禅寺を開くことは困難であった。栄西ははじめ九州博多に聖福寺を建て、のち鎌倉に移り、北条政子の援助で正治2年(1200年)に建立された寿福寺の開山となる。その2年後の建仁2年(1202年)、鎌倉幕府2代将軍源頼家の援助を得て、京都における臨済宗の拠点として建立されたのが建仁寺である。伽藍は宋の百丈山に擬して造営された。】そうです,栄西禅師は岡山県出身です。宗教家は結構多い岡山県!
場面,場面を沢山切り取らせていただきました。
洗鉢池です。
いろんな桜も・・・散り始めがまた情緒ですね!
時間的に余裕があったので,結構,境内をあちらへ,こちらへと・・・
すこしずつ,お参りの,あるいは観光のかな? 人たちも増えてはきました。
また,普通に境内を通路にされてらっしゃる様に,通りすぎる方も・・・
本坊の法堂です。
鳥に詳しくなくって・・
寺院は,それでもなんだか,心が清められます。
【仏殿(本尊を安置する堂)と法堂(講堂にあたる)を兼ねている。明和2年(1765年)の建立。また、平成14年(2002年)創建800年を記念して天井に小泉淳作により双龍の絵が描かれた。】とのことです。
堆霊軒の前には,花びらの絨毯が・・・・。
花は,眺める人の気持ちも知らぬまま,咲いては散っていきます。
法堂っをぐるりと回って・・・・
方丈には,拝観料が必要だそうです。
東側の毘沙門天にもお参りしましょう!
ここの阿吽は・・・寅?
臨済宗建仁寺派大本山の寺院だけあって・・・広大な境内ですね。
そのお隣の西来院では,今日は・・・生花大会の様子です。
ここは瀟洒な庭園!
和服を召した方々も少し集まり始めてらっしゃいました。
このまま・・・花見小路の方へ抜けます。
少し桜に名残を惜しむ様に・・・・
そういえば,花見小路は3月の日本衛生学会の時にも来ました。
四条通です。
3日前,ここで大きな事故がありました。亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
そして,東側は八坂神社!
そこから上って・・・白川沿い!
石の細い橋
ここは・・・柳ですね。!
京都華頂大学の所では,緑の柳と,桜の薄紅が左右に・・・
三条通
そこからは岡崎〜平安神宮〜みやこめっせの方へ!金剛寺がありました。
小さなお寺さんも,京都では風情が募ります。
さて,平安神宮です。と,その前に・・・会場に向かいましょう!
その後は,講演を聞いたり,いろいろしましたが・・・京都会館も向かいですね!
【昭和35年4月29日,市民の皆様の大きな期待を背負って,京都・岡崎の地に誕生した京都会館は,市民の皆様はもとより全国の著名なアーティストの皆様など,幅広い層の方々から京都の「文化の殿堂」として愛され続けて参りました。その京都会館も開館50周年を経て,施設全般の老朽化やホール機能の前時代化など,施設利用者や来場者の今日的ニーズに応えられない状況が顕著になるなか,京都市では平成23年6月に「京都会館再整備基本計画」を策定し,舞台機能や音響面などで特に問題点の多い第一ホールは建て替え,第一ホール以外は既存の建物をしっかりと生かして改修し,京都会館を全体として次の世代へ継承すべく,再整備を進めております。
】だそうです。
さて,平安神宮の参道横・・・桜が色合いを変えながら,それでも,まだまだ満開かな?
紅八重枝垂桜です。
写真を撮る人たちで周囲は一杯!
素晴らしです。
ひっそりとこんな碑も
さて境内へ・・・何か儀式があったのでしょうか?
奥の庭園から桜が溢れんばかり!
で,今日は・・・外で桜を観ましょう!
芝生では花見でごはんを食べる人たちも。沢山!
しかし,本当に沢山の人たちでした。日曜だし・・・。
でも,本当に・・・桜は一気に咲き乱れますよね!
そこから桜の花に曳かれる様に,琵琶湖疏水沿いに・・・歩を進めます。
水面に落ちるような桜の木々
見てるだけで,気持ちがほんのりと華やぎます。
先週の東京・葛西から・・・沢山,桜を観ました!
東大路を超えて,西へと・・・
切り取る場面ごとに,違った風情が
そんな所に登って撮っていると危ないですよ!
この時期に,こんなに散策出来る京都は初めてです。
今回,「みやこめっせ」だったから・・・いつもの宝ヶ池だとそうそう街中を歩けません。
道行く人達も笑顔が一杯です。
鵜も,潜って魚を捕っていました。
水道疎水事務局や関電の夷川発電所の辺りに来ました。
知りませんでした,この街中で水力発電かな?
鴨川へと流れこんでいきます。
薄曇りで・・・それもまた風情!
さて,そろそろ川端通り
丸太町から御池にかけてをぶらぶら
こんな歴史も・・・。
鴨川べりも花見で一杯!
白い桜は気品があります。
木屋町通ですね。
島津製作所の記念館がありました・・・科学技術発祥の地だそうです。
そして・・・高瀬舟!
あぁ,この辺りも初めてかも?
水運の用水・・・そして森鴎外の作品!
そして維新の歴史です。佐久間象山・大村益次郎遭難!
こんな史実もしりませんでした。
烏丸御池のホテルオークラ前にも枝垂桜
さて,講演も聴いて,少しPCで仕事もして・・・帰路です。シャトルバスは45-50分で京都駅! ならば帰路も歩きましょう!
白川のそばに,古川町商店街はアーケード街でした。
「京の五条の橋の上」を撮って,鴨川沿いを下ります。
正面通りで鴨川を渡ったら,こんな博物館も・・・古い眼科の診療所跡の様です。
そこでもう一度,高瀬川と再会
コブシの花です。
さぁ・・・京都タワーも見えてきました・・・京都駅ももうすぐ!
本当に今日はよく歩きました! |