2012.1.31.
ライフパーク倉敷で第9回倉敷大学連携会議がありました。
 
いつもお出会いするメンバーです。今日は作陽学園産以外は,フル出席でした。
川崎学園からは大槻も含めて4名の出席でした。
冬の蒼空の下,いつものライフパークです。
「はやぶさ」の資料などの無料展示コーナーもありました。
    

さて,今日の「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」ですが,ちょっと事情があって,西の方から向かいました・・・・で,円通寺さんです。
そうですよね,良寛和尚ゆかりのお寺さんです。
    
実は大槻家も曹洞宗で・・・母の住まいには,お盆などには円通寺さんからお参りに来ていただいております。
駐車場から来ると,こちらの正門っていうか(山門はないのですが),入るのは稀で・・・初めてこちらの池なども観ました。
歴史ある寺院で・・・二世は1700年代ですね。
【円通寺は、岡山県倉敷市西部の玉島にある曹洞宗の寺院。山号は補陀落山。本尊は聖観音菩薩。中国三十三観音霊場7番札所、山陽花の寺二十四か寺17番札所、備中国浅口三十三観音霊場一番札所。御詠歌:ひび一に まるいこころは えんつうじ みちびきたまえ ひとりゆくみち】だそうです。
境内には,いくつかの建物があり・・・それは,良寛和尚に由来している様です。
そして良寛さんの像もありました。すくっと立ってらっしゃいます。
    
良寛堂もあります。
【この寺の創建年代等については不詳であるが、奈良時代の僧行基によって開かれたと伝えられる。江戸時代に入り元禄11年(1698年)に徳翁良高禅師によって再興されて円通庵と号した。正徳年間(1711年〜1716年)現在の寺号となった。江戸時代後期には歌人としても知られる僧良寛(1758年〜1831年)がこの寺で20年ほど修行している。】ということだそうです。
本堂も茅葺きでしょうか。
丁度,蝋梅がほころび始めていて・・・寒波到来の列島ですが,季節の移ろいも感じさせてくれています。
【臘梅や咲けば根付きしこと確か 稲畑汀子  ホトトギス】
さて,少し裏山の方へたどってみましょう
何回か実は参っているのですが,こちらは初めてでした。
良寛和尚で有名ですし,裏山は市民公園になっていますから・・・碑や像なども多いですね。
寒い日で,それほどお参りの方もいらっしゃらず・・・静謐とした感じでした。
いくつかのお堂があります。
ここからの展望は瀬戸内海・・そして,玉島と水島のコンビナートが一望で,それはそれで産業と自然の狭間を垣間見ますね。
手前は玉島漁港ですね。
 
さて,また境内の方に戻りましょう
穏やかな気分が醸しだされます。
般若心経は諳んじられないのですが・・・せめて線香でも供えましょう
良寛和尚は【出家後、玉島(岡山県倉敷市)の円通寺の国仙和尚に師事し、諸国を廻る。その頃義提尼より和歌の影響を受ける。48歳のとき、越後国蒲原郡国上村(現燕市)国上山(くがみやま)国上寺(こくじょうじ)の五合庵、61歳のとき、乙子神社境内の草庵、70歳のとき島崎村(現長岡市)の木村元右衛門邸内にそれぞれ住んだ。無欲恬淡な性格で、生涯寺を持たず、諸民に信頼され、良く教化に努めた。良寛自身、難しい説法を民衆に対しては行わず、自らの質素な生活を示す事や、簡単な言葉(格言)によって一般庶民に解り易く仏法を説いた。その姿勢は一般民衆のみならず、様々な人々の共感や信頼を得ることになった。】そうです。
十二支のお地蔵さんが並んでいます・・・今年の辰と・・・大槻の申
 
さて,少し降りて行きましょうか・・・
昇ってきた道筋とは違う通路で・・こちらも端正な佇まいです。
石段の上には,地蔵菩薩座像です。
どっしりとしたお顔をなさってますね。
少し新しいお堂もありました。
山頭火の句碑などもあります。
そして,少し違う角度から・・・水玉ハイウェイのブリッジや・・・瀬戸内海など・・・そし工業地帯からは白煙があがっています。
人々の営みと,更には経済という必須の面と・・・自然とか絆とか・・・複雑に絡み合った中で,僕達は何に根ざして生を為せば良いのでしょうか・・・・・。