2012.1.20.
岡山理科大学で大学コンソーシアム岡山代表者会議と岡山オルガノンの構築連携評価委員会が催されました。
いずれも学長先生が出席されるべき会議なのですが,明日が一次入試ということもあって,代理で出席してきました。
まずが,コンソーシアム。
そして,オルガノン
文科省の補助事業であったオルガノンの補助期間が終了し,コンソーシアムに事業を継承するには,参加会員大学にとっては,費用の増大なども生じてくることで,ここ半年くらい,種々の調整が行われてきました。大槻も,コンソーシアムの企画会議,そしてオルガノンの将来構想委員会に多く出席参加してきました。
しかし,今日の討論は,どちらかというと概念としての大学連携とか,目的なのか,それを手段に何を求めるのか,といったことにもなってきていて・・・無事,次年度からの継承が決まりました。ご尽力の先生方には,本当にお疲れ様でした。
いつもの・・・理科大学は展望が素晴らしい!
50周年記念館も一面の硝子張りで素晴らしいです。
さて,今日の「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」・・・烏城公園と烏城(岡山城)です。
後楽園側えではなく,県立図書館〜県庁側から入城です。
丁度,少し晴れ間が見えました(昨日から42日ぶりの雨模様だったのですが)
【城跡は「烏城公園」として整備される一方、二之丸跡に山陽放送、林原美術館、岡山市民会館が、三之丸跡に岡山県庁、岡山県立図書館などの公共機関がある。】とのことで,このあたりももう城内なんですね。
県庁も三の丸跡というと,相当広かったのですね。
大学コンソーシアムで大槻が主任を務めている「吉備創生カレッジ」でも,地元岡山の歴史物は人気番組です。
そうか「丸の内」っていう地名は,「三の丸」とかの中だったってことですよね・・・。
知らなかったのですが,この辺の広場の処は,昔の様子を案内する名称の板が地面に置いてあります。
【戦国時代に、備前西部から美作、備中に勢力を伸ばした宇喜多氏が本拠としたことで近世城郭の基礎が生まれ、その後小早川氏、両池田氏により整備、拡張が行われた。岡山城は標高が十数メートルの丘が連なる小高い土地に建設された。】だそうです。
数寄方櫓が残っています。
再建天守閣も・・いつもとは違った方向から眺めることが出来ます。
そして,昔の石垣の処より,地表が今は高いっていう展示っていうか,も,ありました。
さて,元々は不明門から入りましょう!
【当時、旭川河口部は複数の派川に分岐しており、その中の大洲原と呼ばれる広大なデルタ地帯中央に「岡山」(柴岡山とも)、その西隣に「石山」、さらにその北西には「天神山」(天満山とも)の3つの丘が連なり、各時代ごとに要害として使用されたとされる。その中の石山にあった石山城(いしやまじょう)に宇喜多直家が入城・改築し、後に子の宇喜多秀家が隣接する岡山に新たに本丸を設け、石山城を取り込む形で城郭が建造された。これが岡山城である】とのことです。
黒い外壁から烏の城・・・・烏城ですね。
空襲で焼けての再建とのことですが,それでも,歴史を感じられるのは,素敵なことです。
旭川自体が堀になってたのですね・・・塀越しに見えます。
冬の・・・週日の昼間であまり人も居ず・・・ひっそりとしていましが・・・。
【明治時代に御殿・櫓・門の大半が取り壊された。堀は内堀の一部を除いてほとんど埋められたが、街路は江戸時代の位置をほぼ踏襲している個所が多い。さらに第二次大戦中、空襲のため天守・石山門を焼失した。現在までに2つの櫓、本丸付近の石垣、内堀が残り、戦後に天守・不明門・廊下門・六十一雁木上門・塀の一部が再建された。現存する月見櫓・西之丸西手櫓は国の重要文化財に指定され、「岡山城跡」として史跡にも指定されている。その他、京橋御門が岡山市南区小串に移築され現存している】だそうです。
さて,会議の時間も近付いてきたので・・・戻りましょう!
ちょっとした歴史散歩でした・・・・。
|