2012.1.9.
成人式の祝日ですが・・・。
岡山大学公衆衛生学教授の荻野先生が,今年12月に中国四国日本産業衛生学会を主催されます。
その実行委員会が岡大鹿田キャンパスで行われました。
 
月一くらいで,委員会が組まれるらしいですが,出来る限り参加してよい学会になるように・・・です。

さて,今日はそういうことで,少し余裕があったので・・・「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」はちょっとスクーターを走らせて・・・・岡山港の東より・・・百間川の水門辺りです。
【旭川の氾濫から岡山城下を守る為、江戸時代初期に岡山藩主池田光政の命により築造された。旭川の東側を大きく迂回させ、干拓地の間を通って児島湾に至っている。旭川の分流部より河口までの総延長は12.9kmである。「百間川」の名の由来は、「二の荒手」(中島竹田橋直下流)の幅が堤防を含め百間(約180m)あったことによる。 現在は国土交通省により維持・管理されている。】という百間川です。
丁度,西の空は,夕陽が沈むころでした。
    
この辺りは全体に歴史ある干拓地なんでしょうね・・・一部は堤防と水門で挟まれた池の様なところです。
水門が見えてきます。
  
向こうに見える島は,高島だそうです・・・・干潮なのか・・・浅瀬も見えています。また地図では名前も書いてない島もあって・・その手前にも,干潟に鳥たちが・・・。
水門の上は,車も走れる様になっていて,「すれ違いできません!」って案内と「歩行者・自転車に注意」って警告掲示がありましたが・・・,では,歩いて渡ってみましょう!
夕陽はどんどん地平に呼び寄せられていっていますが・・・・。
東側には,神社と支えられている碑は,やはり殉教碑なのかな? 大規模工事では,やはり・・・当初は,江戸初期ってことだし。
  
夕凪の海面が,夕陽に赤く染まっています。
新しい水門の増設が行われている様です。
 
【旭川は岡山県中央部に位置し、備前の「西の大川」と呼ばれていました。その源は中国山脈の朝鍋鷲ヶ山(標高1,081m)に発し、途中新庄川・備中川・宇甘川を合流して県の政治・経済・文化の中心である岡山市街地を貫流し、児島湾に注ぐ流域面積1,810km2、幹川流路延長142km、流域平均降水量約1,460mm(平成5年〜平成14年)の河川です。市街地の河岸には岡山城が築かれ、城の濠として利用されたため、河道はこの周辺で約90度屈曲しています。また岡山城の天守閣と対面する中州には後楽園があります。現在は、平成4年4月に改訂された工事実施基本計画を基に、改修を進めています。工事実施基本計画は、基準地点下牧の基本高水流量8,000m3/sのうち、既設の湯原ダム・旭川ダムを含む上流ダム群により2,000m3/sを洪水調節し、計画高水流量を6,000m3/sとしています。そのうち、百間川(旭川放水路)に2,000m3/sを分流し、本川は4,000m3/sとしています。河口から岡山市玉柏地先までの17.5km、百間川の12.9kmを直轄管理区間(国が管理する区間)に指定しています。】とのことです。
そして,夕陽も,もう沈みかけています。
    
西側は,大小の船が係留されていました。
  
さぁ,寒いですが,2号線で大学に戻りましょう!