2011.12.17.
兵庫医科大学 中野教授が代表の厚生労働科学研究(がん臨床研究)研修会(公益財団法人 日本対がん協会 がん医療水準均てん化推進事業「わが国における中皮腫研究の現状と展望」が催されました。
  
今年度春まで5年間実施した科学技術振興調整費「アスベスト関連疾患への総括的取り組み」の班メンバーがそれぞれ演者として,発表しました。
今,気付きました・・・・産業医大の田中先生の写真を撮り忘れていました(失礼しました)。
長谷川先生,福岡先生は司会やスライドなどもご担当,お疲れ様でした。中野教授は,聖路加に行かれていて,舞い戻っての閉会のご挨拶でした。
    
兵庫医大周辺は,寒い冬の日ですが,青空が広がっていました。
阪神の武庫川駅と武庫川には,鳥たちも羽根を休めています。
今年は後半に,検体を頂戴に来たり,科学技術振興調整費の最終審査の打ち合わせなどで,結構,訪れました。
 
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最後に,科学技術振興調整費の打ち上げも兼ねて,兵庫医大近くの千穂さんで,飯会・飲み会でした。
 
素晴らしいメンバーでの科学技術振興調整費でした(辻村先生,田中先生,西本先生は,この写真には入っていないのですが)。。。感謝です。


さて,今日の「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」は・・・加古川です。
 
まずは,粟津天満神社
【菅原道真公(通称)天神さま元和元年(約参百五拾年前)創建と記されています。菅公が大宰府に左遷途中、この地に立ち寄られた由、部落住民の発展、五穀豊穣、学問の徳を授け給わり部落の守護氏神さまして奉り村人達で建てられました】だそうです。
鳥居でなく,山門のような感じです。
他にも境内社がいくつか・・・・。
    
【稲荷神社/御祭神:食稲魂神(うけみたまのかみ):食稲魂神(うけみたまのかみ)食物呑物の神様であり 種津物、五穀豊穣,産業繁栄(なりはいはんえい)を祈願し崇拝信仰と村人達により創建されたと言伝わっており創建期は不明です。現在の御社は昭和56年10月に建て替えされました。】です。
【戎神社/御祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと) :大正15年出雲の国三穂神社の分霊給わり加古川市家加古川町寺家町出雲教会境内に奉祀し、町運発展商売繁盛を祈願し斉奉られましたが境内が狭くなり諸祭事にこと欠き昭和34年1月粟津神社に御移し鎮座されました。】です。
冬の低く差しこむ朝陽に映えています。
山門の方から境内を出て・・・次に向かいましょう!
 

鶴林寺です。・・・・まずは,周囲の鶴林寺公園の辺りをブラっとして・・・・。
張り詰めた空気に,それでも散歩の人などがいらっしゃいました。
入山受付は,JR加古川駅からは,反対側・・・ぐるりと外塀の周囲をめぐっていきます。
さて,表門に着きました。
仁王門がお出迎えですね。
さて,境内には,いろいろな文化財その他碑なども多いです。
【鶴林寺(かくりんじ)は兵庫県加古川市にある仏教寺院。山号を刀田山(とたさん)と称する。宗派は天台宗、本尊は薬師如来である。】です。
三重塔や本堂が見えてきていますが,順々に・・・・。
本堂は,国宝ですね。
線香をあげてきました。
沙羅双樹の沙羅の木(向かいには,菩提樹がありました)
【近畿地方に数多くある聖徳太子開基伝承をもつ寺院の1つで、太子建立七大寺の一つとも言うが、創建の詳しい事情は不明である。平安時代建築の太子堂(国宝)をはじめ、多くの文化財を抱えるため、西の法隆寺とも言われている播磨地方有数の古寺である。】ということです。
国宝:太子堂です。
さて,順番に,参って行きましょう!
鐘楼も味わい深いです。
【伝承では創建は崇峻天皇2年(589年)にさかのぼり、聖徳太子が当時播磨の地にいた高麗僧・恵便(えべん)のために建立、その後養老2年(718年)身人部春則(むとべのはるのり/みとべのはるのり)なる人物が七堂伽藍を整備したというが、伝承の域を出ない。ただし、推古天皇14年(606年)、聖徳太子が法華経を講義し、その功で天皇から播磨国の水田百町を得たことは史実とされ、聖徳太子と播磨には何らかの関連があったと想像される。創建時は四天王寺聖霊院という寺号であったものを、天永3年(1112年)に鳥羽天皇によって勅願所に定められたのを期に「鶴林寺」と改めたという。】だそうです。
    
歴史が深い分だけ,そこここに,興味深い景色が広がります。
寺務所などの建物も,立派なものです。
文化財保護の庫裡というか・・・広い境内にいくつかの建物が並んでいます。
晩秋の色合いも残っていますし・・・。
寺院は,それでも悠久の時に思いが馳せます。
年の瀬を感じ,一年を振り返る心境ですね。
太子由来の門跡です。
【鶴林寺には、現に奈良時代の銅造聖観音像があり、金堂本尊の薬師三尊像は平安時代前期・10世紀にさかのぼる古像であることから見て、かなり古い歴史をもつ寺院であることは間違いない。現在も主要な堂塔だけで16棟の大伽藍を有するが、鎌倉・室町期には寺坊だけで30以上を有する規模であった。】ということです。
一つひとつ石碑や印塔にも,歴史や人の営みを感じますね。
新薬師堂の方へ向かって行きましょう!
ここも素晴らしい!
トリビアの泉でも紹介された仏像も・・・・
 
敬虔は気持ちになって,しっかりと拝んで来ました。
秋の色濃い境内の方にも,行基堂なども・・・。
当初,ここに「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」のつもりで,想定していたより,相当に広く,でも,時間の余裕を持ってきてよかったです,まだまだ,見させていただく処が多いです。
晩秋から初冬への,狭間で,落ち葉で境内が埋め尽くされているのも,味わいですね。
冬の朝の陽射しは低く・・・・斜めに木々を区切っています。
ぐるりと,塀の辺りにも,像が・・・。
色づく木々も,まだ,残っていますし・・・冬の澄み切った空気に,はっりつめた感じが歴史を研ぎ澄ませています。
三重塔です。
朱塗りの鮮やかな塔ですね。
【室町時代の創建だが、江戸時代に大修理が行われている。近年放火で一部損傷したが1980年(昭和55年)の解体復元修理でよみがえった。尾上(おのえ)街道や鶴林新道から朱塗りの塔が松林の中に見え加古川のシンボルにもなっている。】とのことです。
揺るぎない印象の三重塔ですね。
さて,少しまだ時間的にも余裕があるので,宝物殿も訪れましょう
 
この通称「あいたた観音」像は,本当にステキでした。
【第二次世界大戦が始まる少し前、ドイツで日本古典美術展が開催された時も、また戦後アメリカで同種の催しがあった時も日本の仏像を代表して出展されたのがこの像です。像高83センチ。すらっとした気高い立ち姿。流れるような天衣。腰を少し左にひねった軽やかなポーズ、しかも静中動の気風を漂わすこの像は、まことに美しく親しみやすい‘ほとけさま‘です。】です。宝物館内は撮影禁止ですので,また,出向いて下さい。
境内のいろいろな様子の一つひとつが,心に残ります。
現在,工事中の護摩堂などもありましたので,また,機会があれば,訪れましょう!
今,自分が生きていることの中に連綿と続く歴史を感じることは,素晴らしいことです。
さて,そろそろ下山しますか・・・仁王門をまた通って・・・・。

その後は,再び,周囲の鶴林寺公園を散策して,JR加古川駅から三ノ宮→阪神に乗り換えて武庫川を目指します。
公園には,比較的年配の方々がそぞろ歩きって感じでした。
もう今年も残す処半月弱・・・3.11とその後の原発事故・・・生き方を見つめ直さざるを得ない一年でした。
東門や西門は公園の一部になっていました。
そして,蒸気機関車の展示も・・・。
鶴林寺公園が,また,広くって・・・緑と青空の対比が美しいです。
そこここに,石の・・・これは作庭? モニュメント?
それぞれの休日に散策もいいですね・・・子供たちも楽しめそう!
池などもあって・・・やはり,昔はお庭だたったのでしょうか・・・・。
しっかりと時間の余裕を持って,訪れてよかったです。
そうそう,太子堂の説明を!
【平安時代。本堂の手前右方に建つ。堂内に壁画の聖徳太子像があることから太子堂と呼ばれているが、元来は「法華堂」と称された堂で、本堂手前左方に建つ常行堂と対をなしている(「法華堂」「常行堂」という同形の堂を並べて建てるのは天台宗特有の伽藍配置で、延暦寺、日光の輪王寺などに例がある)。屋根は宝形造(四角錐形の屋根)、檜皮葺き。屋根板の鎌倉時代の墨書から天永3年(1112年)の建築と分かる。堂内に安置されていた本尊釈迦三尊像(重文)は宝物館に移されている。建築とともに、堂内の壁画も平安時代絵画の稀少な遺品として重要である。東側壁面に描かれた聖徳太子像は、中世から厨子で覆われ、秘仏扱いとされている(1977年に重要文化財に指定されたが、写真は公開されていない)。来迎壁(本尊背後の壁)の表裏には九品来迎図と仏涅槃図が描かれているが、黒ずんでいて肉眼では図柄を確認できず、赤外線写真で全貌が確認された。】この涅槃図も宝物殿で見ることが出来ました。
さて,仕事に向かいましょうか・・・・。
おみやげには,近くの和菓子店の鶴林寺もなかとせんべいと・・・。
 
加古川駅から,新快速で向かいましょう!