2011.12.9.
事務局を担当している日本免疫毒性学会の運営委員会で,上京しました。
この委員会は午後半ばからですが,毎回,少し早目に到着して,「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」です。
今日は,練馬区・・・石神井公園,目標です。
多分,初めて乗車したかも知れない西武池袋線で,石神井公園駅へ
こんなお地蔵さんが・・
そして,石神井中学校前のマックでランチです。
富士街道ですね・・・・そして,公園へ向かいました。
東京は朝,驟雨があったようで。でも,傘は要らなかったですが・・・曇り空です。
このあたり,いくつか大きな公園もあって・・・・東京は結構,緑っていうか,そういうのが多いですよね。
そして,紅葉/黄葉も丁度最後くらいかな・・・良い感じです。
【園内には石神井池・三宝寺池がある。井の頭池・善福寺池と並び武蔵野三大湧水池として知られている。 三宝寺池は古来より、武蔵野台地からの地下水が湧き出る池として存在していた。それを1959年に市民が散策できる公園として整備し、自然や野鳥と共存できるように造られた。園内には、沼沢植物群や雑木林が見られ、23区内とは思えないほど緑豊かな武蔵野の面影を残している。但し、年々水量が減少し、景観維持のため、池の水も人工的に地下水から揚水している。
そのほかの園内の施設としては、野球場(合計3つ)、野外ステージ、ボート場がある。売店もある。】だそうです。
木々は,昔の武蔵野の荒野(?)のままなのでしょうね。
まぁ,荒野っていうか,雑木林っていうか・・・明治の文学にはそういった様子が出てきますもの。
今日は時間があるのえd,只管,歩くッテ感じです。
好天なら,またそれで青空に映えるのでしょうけれど・・・・。
でも,これはこれで,感嘆って感じです。
水辺では水鳥が・・・お茶屋さんもあります。
まぁ,紅葉も鮮やかだったり,それなりにくすんでいたり・・・でも,それはそれで,良い感じです。
遊歩道も濡れています。
【三宝寺池の一部は、国指定の天然記念物である、三宝寺池沼沢植物群落がある。1935年に指定された。中ノ島を中心にカキツバタをはじめ、シャクジイタヌキモやジュンサイなどが生い茂っていた。しかし、1950年代後半から、周辺は都市化が進んだこと、ヨシなどの植物を周辺の人が利用しなくなったため、植生が大きく変わった。その後、貴重な水生植物を保護するために、保護活動が行なわれている。
また、一時期、日本初の100mプールとして使われ、その後釣堀となっていた部分は、1989年に水辺観察園として整備されている。 三宝寺池は石神井川の水源とされ、流域の豪族であった豊島氏もこの水の支配の為、この池の南の台地に石神井城を築城したとされている。
1996年に、「三宝寺池の鳥と水と樹々の音」が環境庁選定「残したい日本の音風景100選」に選ばれている。】水鳥の居た辺りが,観察園の辺りです。
少し薄暗い感じが,また,秋の深まりを感じさせます。
雨上がりって感じで,人も少ないのかな?
木々それぞれに,様子が異なるのもいいですね。
水鳥もとっても沢山居ました。
メタセコイアなどもあります。
色付きが独特ですね。
落葉が敷き詰められた誰もいないベンチと公園ってのも,寂寥です。
ねりまの名木ってのは,沢山ありますね。
そしてここは歴史的にも・・室町時代後期の戦国時代に入る前の逸話がありました。
ここが元々の湧水の処でしょうか?
三宝寺池ですね,向こうに厳島神社が見えます。
時々,散歩の人・・・このあたりは,ランナーさんは,少ないですね(この遊歩道では・・)
静かな感じを彩る木の葉の色が,秋の深まりです。
水辺には,大概,厳島神社ですが・・っていうか,弁天様です。
そして,なんとカワセミがすぐ近くて(もっと近くに居た時,カメラを取り出す前に,飛び立っちゃって)
【武蔵野三大湧水地のひとつ。江戸時代には、いかなる日照りにも涸れないといわれ、昭和30年代頃までは、真冬でも池面が凍らない「不凍池」として知られていました。しかし、かつての豊富な湧水も、周辺の市街化など環境の変化により、現在では見ることはできません。このため、井戸から地下水を汲みあげ、池を満たしています。】だそうです。
メタセコイアの色合いは,なかなか,他では見ないかも?
少しずつ,散策の人も増えてきました。また,通路なのかな? 大学生みたいな子も歩いています。
ナンテンギリっていうイイギリです。
多分,初めてしっかり見たって想います。
ネコちゃんもちょっと寒そうにしていますね。
池を眺めて,一息つきましょう。
三大湧水公園の,井の頭公園もやはり日本免疫毒性学会の運営委員会の前に行きましたね。
善福寺公園は・・・行っていないように想います・・・。
時間の余裕がある時には,武蔵野の方,いいですね。
季節ごとの景色も,その時々で愛でることがてきます。
他の神社は工事中でした。
だいぶ,三宝寺池をぐるりとしてきましたよ。
この辺りの東京は,住宅街ですが,でも,お餅やさんとか,なんだか,少し古い情緒が残っている感じです。
でも,湧水が減ってきているって,ちょっと寂しいですね。
さて,石神井城址です。
【鎌倉時代の末期に石神井郷を領有した豊島氏の居城跡が、三宝寺池の南側台地にあります。城は中世の平城で、三宝寺池と石神井川という自然の地形を利用して造られたようです。豊島氏は400年ものあいだ繁栄していましたが、文明9年(1477年)、当時の城主豊島泰経が太田道灌との合戦に敗れ、このとき城も落ちました。今では、わずかに空堀と土塁の遺構が残り、往時を偲ばせていますが、東京23区内では唯一よく残っている中世城跡といってよいようです。大正8年(1919年)に、「石神井城跡及び三宝寺池」として東京都指定旧跡に指定されました。なお、通常は文化財保護のため閉鎖しています。】だそうです。
そして,先ほど姫塚をみたのは・・・【道潅の軍勢に追われた泰経は、家宝の黄金の鞍を載せた白馬にまたがり三宝寺池に身を沈めました。娘、照姫も悲観のあまり、その後を追い池に身を投じたという豊島一族の最後を語る伝説の一つが、殿塚・姫塚として残っています。】です。
そして,沼沢植物群落・・・カワセミを保護しているそうです,ありがとうございました,眼の前で見れました。
これで,ぐるりと一周ですね。
【沼や沢などに生える植物の群落で、三宝寺池では中の島にある群落が昭和10年12月に、国の天然記念物に指定されています。ここには、氷河期から遺存してきた寒冷地植物のミツガシワをはじめ、カキツバタ、コウホネなどがあります。当時、約50種あった植物も、水環境の変化などにより様相が変わり、種類、個体数共、減ってしまいました。現在、大型の水生植物を刈り取り、カキツバタの成育を促すなど、この群落の回復を図っています。また、水辺観察園でも、これらの水生植物を見ることができます。】とのことです。
本当に,様々な彩りでした。
東寄りに,浅い池もあります。
こっちにも鳥たちが・・・
切り取る場面によって,表情も変化します。
紅葉がアクセントになっていますね。
と思っていたら,小学生たちが一杯やってきました。
ここから都道444号線をわたって,石神井池の方へ
【かつては、三宝寺池から水路が引かれ、田圃が広がっていましたが、昭和8年、この水路をせき止め、池がつくられました。周囲の緑を眺めながらのボート遊びなど、開放的で賑やかな雰囲気に満ちています。
】です。
【石神井池(ボート池)は三宝寺池一帯が風致地区に指定された際、三宝寺池とともに武蔵野の景観を保護する目的で人工的に作られたものである。もともと三宝寺池から周辺の田んぼに水を引いていた水路であったが、それを人工的にせき止めて池とした。1933年に作られた。南側は木立が多く、傾斜地となっているが、北側は開放的な遊歩道となっている。すぐ脇に道路もある。池の中には三澤憲司作のモニュメントがある。】です。
【三澤憲司 略歴:1945年長野県信州新町生まれ。1968年多摩美術大学油絵科卒業。1984年文化庁芸術家在外研修員として渡米。1986年ハーバード大学客員教授。個展:1976、78年(日本橋三越)。1986年ハーバード大学(米国)。1988年キリンプラザ大阪(大阪)。1989年イースン・コーエンギャラリー(米国)。1998年ふくやま美術館(広島)他多数。受賞:1969年第1回国際彫刻展コンクール賞。1987年紺綬褒章。1996年東急日吉駅モニュメント(横浜)で横浜市街なみ景観賞。2003年第1回ブランクーシ賞奨励賞、他多数。】だそうです。
ここから,紅葉に誘われて,寄り道
池淵史跡公園です。
【西武池袋線石神井公園駅の南西,徒歩15分。石神井公園ふるさと文化館の東に隣接している。この地は池淵遺跡があったところで、昭和31年(1956年)以降調査が行われ、縄文・弥生時代の竪穴住居跡や中世の溝の跡などが発掘された。それらの遺跡を埋め戻して整備し、平成22年(2010年)に史跡公園として開園した。園内には竪穴住居跡をはじめ庚申塔や馬頭観音など江戸時代の石造物も置かれている。また、園内にはふるさと文化館の屋外展示施設としてかつて中村三丁目にあった茅葺き住宅の「旧内田家住宅」が移築・復元されている。】です。
多分,学校の先生をされてらした方とかでしょうか,ボランティアの方が控えておられて,いろいろと案内をしてもらいました。
母の実家に小さい頃に行っていた時は,土間,竈,五右衛門風呂,井戸・・・そんなままです。
明治時代に建てられて,大正年間に改築が施されていたそうです。
ただ,風呂の位置を示す図面は残っていなかったってお話でした。
そうこうしているうちに,先ほどの小学生たちが,見学にやってきまして,入れ替わりに,また,石神井公園に向かいました。
ボート乗り場の方に向かって行きましょう!
【当地付近は、元々武蔵野を支配した豊島氏の居城(石神井城)があり、同氏が室町時代に滅ぶまで在った。公園内に空堀の一部が残る。近辺には、豊島氏や豊島氏を滅ぼした太田道灌にまつわる遺跡や神社がある。三宝寺池には石神井城落城の際に豊島氏の姫、照姫が身を投げたと言う伝説があり、練馬区では照姫を偲んだ照姫まつりを1988年(昭和63年)より毎年4月-5月に開催している。公園の脇には旧早稲田通りが、石神井公園駅からこの公園にかけては石神井公園通りがある。園の南には石神井川が流れている。】だそうです。
照姫まつりのお話は,ボランティアの方もなさっていました。
後は,池を眺めながらの散策です。
リハビリを兼ねて歩いてらっしゃる方なども,見かけました。滑らないようにして下さい。
時間もだいぶ過ぎましたね・・・・。
もう少し調査をするとNHK「ブラタモリ」的になるのでしょうけれど・・・・。
ボート乗り場も見えてきました。
とさかのしっかりした鳥も居ますね。
【Mr.Childrenの桜井和寿はここをジョギングしている時に、ダブルミリオンを記録した曲『Tomorrow never knows』の歌詞を思いついた、というエピソードがある。漫画「島耕作シリーズ」の作中には、ボートに乗るなど数多く石神井公園でのシーンが登場する。】だそうです。
大槻的には,推理作家夏樹静子さんの1970年代の作品の舞台であったような・・・。
さて,駅に戻りましょう。
地元の和菓子屋さんで,三宝最中をお土産に買いました。
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