2011.7.28.
いつもの「ライフパーク倉敷」で,第8回倉敷市大学連携会議でした。
夏空の下の,ライフパークです・・・ここは,やっぱり子供たちが一杯でした。
科学センターは「HAYABUSA]の映画とか・・・全天周映画「ダイナソーDX 〜パタゴニア・巨大恐竜の謎〜」 とかをしています。

さて今日の「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」ですが・・・
丁度,行く途中に・・・・大学→早島→国道2号線→笹沖→古城池トンネル経由で行っていたら,山際に朱い鐘楼!
時間を見て,丁度いいくらいって寄り道してきました。
 
般若寺さんです。
石垣に白壁・・丁度,建立の頃って・・海岸線だったのでしょうか?
   
それもそうで・・・田畑が広がって遠く水島コンビナートの煙突なども見えますが,その昔は,きっと海だった筈ですし・・・・。
  
で,この朱色の鐘楼は,なかなか,目立ちますし・・・由緒ある様です。
あら,元々,由加山蓮台寺とは・・・元禄年間なのですね・・・。
阿弥陀如来がご本尊とのことです。
今のご住職なのかどうか・・・それぞれに由緒の立て札があるのは,こうやって訪れる者には,素晴らしい案内となります。
真言宗御室派とのことです。
夏空に涼し気な白い花・・・。
   
陽射しに輝いていました。
【 真言宗御室派の歴史は仁和寺の開創に始まる。真言宗の事相の流派「広沢流」の本拠として発展し、仁和寺門跡に2世性信入道親王(大御室)が就任されて以降、江戸時代末期まで門跡には法親王(皇族)を迎えた。1167年(仁安2年)5世覚性入道親王(紫金台寺御室)が綱所の印璽を下賜され、日本総法務に任ぜられると諸宗格山を支配し、日本仏教界に君臨した。塔頭寺院・子院が60余を数えた時期もあった。中世に入ると、応仁の乱の戦火で、仁和寺が全焼したことが原因で衰退した。戦国期以降は足利氏・織田氏・豊臣氏が復興に努めたが、本格的な再興には至らなかった。江戸時代に入り、江戸幕府による資金援助があり、現在地に堂塔の再建がなり、再興を果たした。明治維新のときに、勅命により、30世純仁(楞厳定院御室)が還俗して、改称した小松宮彰仁親王が1883年(明治16年)に仁和会を組織して仁和寺の復興に尽力した。31世以降、門跡に皇族を迎えることは無くなった。東寺の傘下を出入をしたが1900年(明治33)年、独立して真言宗御室派を公称。派を廃して、1926年(大正15年)に金剛峯寺・大覚寺とともに古義真言宗を称した。第二次世界大戦のさなか、日本政府の宗教政策により、真言宗の古義・新義両派を合同して大真言宗になったが、戦後に独立し、1946年(昭和21年)、真言宗御室派となった。】のが,真言宗御室派とのことです。
【空海(くうかい、宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお(まな))。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられる。】です。

山門には,「梅香山般若寺」となっておりますので,この梅はこのお寺さんの象徴なんでしょうね。
  
心落ち着く伽藍でした。