2011.6.17.
岡山商科大学で,オルガノンの「双方向コンテンツ委員会」でした。
  
TV会議が定着してきて,集まった大学よりTV会議参加大学数の方が上回っていました。
そして,会場周辺には,今年度後期のLIVE配信・VOD配信授業のチラシが!

西日が差し込む商大です。

そして,今日はちょっと用事で,公共交通機関で・・・

NDS---ノートルダム清心大学の横を抜けて,運動公園へ!
ずっとぐずついている毎日ですが,午後だけ久々の晴れ間です。
季節柄・・・緑が一杯です。
これまで,この中をずっと歩くってあまりなかったので・・・。
この旧式な建物は・・・明治の・・・旧陸軍の将校クラブだそうです。
今は,会議室として利用できるそうです。
向かいの体育館は桃太郎アリーナ! ですね。
高校生たち? 石の上に立っていた子は,踊りながら,池の方に向かってきていました。
弓を引く若者とスポーツの塔!
こうやってみると,いろんなモニュメントもあるのですね!
芝生の広場を抜けると国指定史跡「津島遺跡」です。
紫陽花が,満開!
強く差し込む西日にびっくりしている様です。
そういえば,今年はあまり紫陽花をこれまで観ていなかったですね。
さて,遺跡です。
【津島遺跡は、縄文時代後期から近代にいたる複合遺跡で、長い時代にわたる人々の生活の痕跡を示す重要な遺跡である。特に、弥生時代前期における集落と水田跡の発見は、わが国の本格的な稲作開始期の実態を初めて明らかにした遺跡として評価された。】だそうです。
中にも入れます。
他にも一杯!
倉庫以外にも,住居と工房!
【全国で初めて、弥生時代前期の集落と水田が隣接して発見されたことで学史上著名。集落を設けた微高地の周辺、湿地の間の3〜5アールのごく狭い範囲に水田がつくられていた。イネの花粉、各種の水田雑草の種子や葉の存在から、水田土壌[2]自身が残っていることも証明された。この水田と湿地との境には杭列、微高地との境には矢板の列によって区画してあったが、方形の区画は認められなかった。近年の調査では、上記の水田とは別に、畦畔で区画された弥生前期の水田も広範囲にわたって検出された。このことから、弥生前期の段階では2種類の水田が並存した可能性も考えられている。また、弥生時代後期の河川跡からは建物の部材などを含む木製品多数も見つかっている。1971年(昭和46年)1月15日に一部が国の史跡に指定された。その後、2005年(平成17年)の晴れの国おかやま国体の開催に伴う岡山県総合グラウンドの再整備に先行して発掘調査が行われ、弥生時代後期の高床倉庫の建築部材などが検出された。2002年(平成14年)に集落域と水田域が国の史跡に追加指定され、遺跡の整備工事は2009年(平成21年)3月に完成した。竪穴住居や高床倉庫のほか、湿地や水田部分が再現されている。竪穴住居は内部の見学が可能。 出土品は、岡山県総合グラウンド陸上競技場のメインスタンド内に設けられた「遺跡&スポーツミュージアム」に展示されている。】というのが,詳しく説明ですね。
さて,陸上のサブグランドでは,大学生かな? 練習中でした。
武道館の方には,【西岡 広吉(にしおか ひろきち、1893年9月2日- 1961年3月22日)は日本の政治家。公選による初代の岡山県知事を務めた。1893年、山口県柳井市で生まれる。1924年に東京帝國大学(現・東京大学)を卒業し、官選の岡山、福岡県知事を務めた。1947年の第一回岡山県知事選挙に当選し、1期4年務めた。1961年3月22日、胃癌のため67歳で逝去。】氏の像が。
更に・・・
  
【金光弥一兵衛 かなみつやいちひょうえ:柔道家。岡山県出身 1892年3月30日生まれ。大正9年に六高師範で柔道を教え、部員の早川勝らと「前三角絞め」を開発。六高は、大正11年から8回連続で全国高専大会を連覇した。昭和17年には六高教授に就任。1966年12月25日に逝去。】だそうです。
  
さて,西側の交差点から,商大に向かいましょう!