2011.6.8.

医学・医療と社会ユニット 見学・実習「みずしま財団」班です。

【みずしま財団は、地域から学び、歴史を伝え、人々をつないで、健康で豊かなまちをつくりだす、環境再生・まちづくりのセンターです。みずしま財団は、正式名称を「財団法人水島地域環境再生財団」といい、2000年3月に、水島地域の環境再生・まちづくりの拠点として設立されました。岡山県倉敷市水島地域は、かつて、浅海漁業とイ草や蓮根などの生産で栄えた風光明媚な農漁村地帯でした。戦後、高度経済成長政策の下、岡山県の工業振興の要を担って新産業都市が整備され、今や先端技術の粋を集約した我が国を代表するコンビナートを形成しています。「太陽と緑と空間の街づくり」のキャッチフレーズのもと、コンビナートは形成されていきましたが、それとは裏腹に、おびただしい公害問題をひきおこし、多くの人命や健康、豊かな自然環境や歴史・文化を損なう事態が進行しました。 こうしたなか、コンビナート企業8社を被告に、公害病認定患者らは倉敷大気汚染公害裁判をおこない、13年の長きにわたる係争を経て、1996年12月、和解が成立。和解の中で「水島地域の生活環境の改善のために解決金が使われる」ことが両者の合意するところとなり、和解金の一部を基金に、みずしま財団が設立されました。(2000年3月:岡山県許可) 子や孫によりよい生活環境を手渡したいとする公害患者らの願いに応えるために、また新しい環境文化を創生しまちの活性化に貢献するために、そして二度と公害をおこさないために、住民を主体に行政・企業など、水島地域の様々な関係者と専門家が協働する拠点として「水島地域環境再生財団」は活動をおこなっています。】です。
  
まずは,鷲羽山スカイラインの鴨ケ辻山の展望台から,水島の街並〜コンビナートを鳥瞰します。

そこから,再び降りて・・・呼松漁港(コンビナートの設立稼働に合わせて,古くからの漁村は,工業化の波を正面から被ってしまって,今は,郷愁の古い町並が残るのみの様ですが,そこには,多くの悲劇などもあったと聞いています)を抜けて,コンビナートの中に入っていきます。
  
同じ日に,この向かい側の「三菱化学」さんにもお世話になりました。
複合的な,そして社会的な視点の中から,それぞれが,自らの考え方を構築してくれれば,幸いです。
  
そして水島港に!
【整備され始めたのが太平洋戦争始め頃と港の歴史は浅く、戦後川崎製鉄(現・JFEスチール)・三菱自動車工業・旭化成など多くの工場が立地する日本有数のコンビナートのために工業港として整備されてきた。立地企業専用の岸壁が多い中、大型タンカーが接岸できる水深10mの西埠頭1号岸壁を含む三つの公共岸壁があり水島臨海鉄道による貨物輸送も行われている。】です。

八間川沿いを,財団の事務所に向かいます。
【八間川は、倉敷市、水島の中心部を流れる川。でも、現在は排水路。明治時代まで、この場所には東高梁川が流れ、江戸時代にはこの川を境に備前と備中が分けられていたそうです。それが大正時代、高梁川の一本化により川ではなくなりました。そして、その東高梁川があったところに水路がつくられました。それが八間川です。当時はきれいで澄んだ水が流れていたそうです。しかし、その後、様々な経過をたどり、今の八間川の姿、真ん中に壁のある不思議な姿になっています。】ですよ!
   
最後には,水島公害被害の方々のお話を聞かせて頂きます。