2011.3.30.
岡山商大で,大学コンソーシアム岡山の運営委員会でした。
TV会議参加でも良かったのですが・・・今日は夜に教室の歓送迎会!
なので,行ってきました。
井尻商大学長の最初のご挨拶,そして,運営委員長の大ア先生,オルガノン関係では,理大の木村先生(は,スクリーンの中),矢延さんにもお世話になっています。
また,山陽放送 原 氏は,中小企業支援のWEBのご紹介でした。
福祉大の安藤副学長もスクリーンの中ですが,今年度一杯で,役職を終えられるので,この運営委員も終了とのことです。
TV会議は良いのですが,こちらでは教材教具Cがご多忙の時には,無理ですね。
今日は井尻記念館ではなく,TV会議もあるので,別の校舎でした。7Fなので眺めもよいです。
春を待つ青空が広がっていました。
さて,今日の「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」は・・・岡山市伊福町の「尾針神社」です。
最初の鳥居から石段そして山門までは結構あります。
がっしりとした拝殿です。
ちゃんと祈願を致しましょう!
境内カラハロープウエイのなくなった・・・京山遊園地も見えます。
【由緒:当社の創立の年代は詳らかではないが、醍醐天皇延喜5年(905)から編纂された「延喜式」の神名帳に登載(延喜式式内社)されている。社殿背後の台地には高さ1?2メートルの長大な巨石群あり、これらは天津磐境(あまついわさか)と言われ古代祭祀の遺跡である。また、ご鎮座地一帯は、往古「吉備国御野郡伊福郷」と称され、伊福部連(尾張連の一族)の居住地で、その祖神「天火明命」を奉斎し、創祀したと言われている。延喜の制では小社に列せられ備前国26社の1社として最古の社である。延喜式神名帳に「備前国二十六座御野郡八座」の中に「尾針神社」とある。江戸期 国主池田氏は父祖以来代々崇敬厚く社領5斗2升を献じて明治維新に及んだ。往古尾針神社の南方に栗山と言う小高い所(現岡山県自治研修所)に神社があり「栗岡大明神」称したが、合祀して相殿とした。昭和15年紀元2600年記念に本殿・幣殿・拝殿・瑞垣を改築した。昭和46年第60回伊勢神宮遷宮記念事業として隋神門・境内末社・社務所の改築と境内地の整備を行った。御祭神:天火明命,大氣都姫神】だそうです。
本殿の裏手に,境内社が整然とならんでいます。
裏手は・・・【社殿背後の台地には高さ1?2メートルの長大な巨石群あり、これらは天津磐境(あまついわさか)と言われ古代祭祀の遺跡である。】だそうです。
なかなかの巨石ですが・・
落ち着いた時間でした。
椿や夾竹桃などなど・・・
さて,境内から出て・・・商大へ向かいましょう
この辺りは,比較的狭い道路です。
すぐ近くは県立児童会館,烏城高校,そして三学ぱる岡山です。
児童会館もとりあえずは存続になったのでしたよね? プラネタリウムもあります!
さて・・・商大近くに来ました。
水門のある風景・・って僕はいいって思います・・っていうか,さて,会議へ!
終了後は,今度は天満屋方面へ!
別の水門です。
さて,出雲大社の岡山分院がありました。
はい,御祈りをキチンとして・・さて,歓送迎会です。
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