2011.3.16.

東北関東大震災では,地震・津波の被害に加えて,原発事故が予断を許さぬ状況のままです。
被災地の方々には本当にお見舞いを申し上げます。

そうはいいつつ,こちらも業務をこなしていかないとならないのも正直な処です。

次年度からの授業に関連する見学・実習のために,水島の旭化成ケミカルズへ打ち合わせに行ってきました。
その帰りの「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」です。

倉敷市広江の天石門別保布羅神社/石洞神社です。
結構,山の中です。
由緒その他は,看板に詳しいです。
【神社の創建沿革については,詳らかではありませんが,悪疫を免れるため,村の氏神様として創建され,中世天形星社を称した時期を経て,明治3年(1870)旧号の天石門別保布羅神社の社名に復したものと伝えられています。本殿は,三段に整地した社地の上段に石積基壇を設け, 西を正面にして建てられています。桁行1間,梁間1間の一間社流造,檜皮葺の白木の建物で,屋根には千木,鰹魚木と呼ばれる飾りを配し,妻部分など細部の様式は曽原にある清田八幡神社本殿に酷似しています。また,棟札によると元禄11年(1698)の改築とされていますが,この時期備前藩では, 元禄10年(1697)の吉備津彦神社の改築をはじめ, 神社行政への新たな取り組みを始めており, こうした流れを受けた構造と考えられます。】だそうです。
    
本当に・・・ひっそりとたたずんでいました。
丁度,春の雪が舞っていました(動画)。
本当に,歴史の重みって印象が強いです。
そのそばに石洞神社には,釈塔様がありました。
 
後鳥羽上皇の年忌法要---とは,歴史の中です。
信仰の中に,ずっとひっそりと・・・鷲羽山スカイラインからだいぶ奥まっていますし。
厳かな雰囲気が強く・・・思わず,勿論,八百万の神様が通じていることを信じて大震災被災地に祈りを捧げます。
【福田町広江の鴨ケ辻山の西北中腹,岩瀧山に所在する天石門別保布羅神社の拝殿と本殿の間に立っている石造の層塔です。付近の人々からは釈塔様と呼ばれ現在も信仰をあつめています。総高1.7m,材質は砂岩で,屋根には瓦形を刻み軒の真反りはゆるやかに造られています。昭和57年の保存修理にともない発掘調査が行われ,塔の基部下から瓦塔片,備前焼灯明皿,多量の寛永通宝をはじめとする貨幣などが出土しています。貨幣は賽銭として投げ込まれたものと思われ,これらから往時の信仰の盛んさがうかがえます。奈良県高市郡明日香村稲淵竜福寺にある「竹野王塔」に類似しており,もとは三重ないしは五重の塔であったと思われます。】です。
境内社には由加神社もありました。
散策の間に,また,日が照ってきました。
鷲羽山スカイラインに降りる途中には,石・岩群と,その中の仏像もありました。
この辺りは,昔を偲ぶって感じですよね。こういった処に,災難に遭遇したら,祈るしかなかったのでしょうし。
さて,戻りましょう,今日は卒業式です。