2011.3.14.

東日本大地震について報道が加わるごとに,その厳しさ,大災害としての様相が明らかになってきます。
被災地の方々には,本当に何をどう,伝えるべきなのかもわからないままですが,一人でも多くの人命が救われ,また,避難中の方々の心身共の健康を祈るばかりです。

さて,その中で,でも我々も自らの責務を果たしていくことが,一層重要になり,日本の国としてのパワーを高めるしかないと感じています。

ということで,今日は,「岡山オルガノン」の連携評価委員会に学長の代理で参加してきました。

経済同友会,山陽新聞社越宗氏,両備グループ小嶋氏など連携評価委員の方々が来られています。
報告発表は,木村先生,佐藤コーディネータ,飯田先生,大﨑先生です。議長は理大・波田学長でした。
  
各大学,学長先生も多くご参加でしたが,卒業式の大学も沢山あったようです。
   

今日の「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」ですが,帰る途中に,岡山市加茂に寄りました。
   
賀茂大明神です。
この辺りは,今は高松稲荷のある「高松」って感じで認識していますが・・・・
【高松地域は、古くは備中国賀陽郡板倉郷・生石郷・足守郷と都宇郡加茂郷のそれぞれ一部を形成していたが、「高松」の地名はまだ現れてなかった。1870年(明治3年)[西暦年要検証]、江戸時代に中島村と称されていた高松城付近の地名が、正式に高松村となった。1875年(明治8年)、大崎村・平山村・和井元村・高松村・原古才村・稲荷村・立田村が合併して高松村をつくったが1881年(明治14年)に分村。1889年(明治22年)の町村制施行で7村が再び合併して高松村が発足し、1915年(大正4年)には町制施行して高松町となった。1951年(昭和26年)頃から吉備郡高松町・真金町・生石村と都窪郡加茂村との間で合併気運が高まり、真金町を除く3町村が合併して1955年(昭和30年)に新・高松町が発足した。その後、真金町は1957年(昭和32年)2月に県知事から高松町への合併勧告を受け、1960年(昭和35年)2月まで合併協議が続けられた結果、同年4月1日に高松町へ編入し、吉備郡高松町吉備津と改称した。1971年1月8日、高松町は岡山市に編入合併され、稲荷・田中・原古才の3大字は「高松」を冠した上で他の17大字とともに同市の大字に継承された。】だそうです。
ということは,大学のある庄地区も元々は都窪郡で・・・加茂の辺りも都窪郡だったのですよね・・・都窪郡は可也広かったんだ!
沢山の境内社もありますし,広いお宮です。
【1889年(明治22年)6月1日 町村制施行。大崎村・平山村・和井元村・高松村・原古才村・稲荷村・立田村が合併して賀陽郡高松村が発足。下土田村・門前村・小山村・三手村・高塚村・福崎村・田中村が合併して賀陽郡生石村が発足。賀陽郡真金村が発足。津寺村・加茂村・新庄上村・新庄下村・惣爪村が合併して都宇郡加茂村が発足。1900年(明治33年)4月1日 賀陽郡と下道郡が合併して吉備郡に、都宇郡と窪屋郡が合併して都窪郡になった。】都窪郡も,都宇郡と窪屋郡が合併してなったのですね!
結構,御祈りしておきました。よろしくお願いします。
 邨の鎮守の 神様の~~~ ♫ って聞こえてきそうです。
   
春まだ早い夕陽の暖かさで,染まっていました。