2011.2.18.
午後から岡山商科大学で大学コンソーシアム岡山の企画会議でした。
 
図書館棟の6Fです。長めがよいです。

18:30-20:00は,やはり大学コンソーシアム岡山の事業としての市民教育講座「吉備創生カレッジ」の講師でした。

山陽新本社ビルです。
御雛様が飾ってありますね!
  

さて,その行く筋での「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」ですが・・・・
吉備津神社から吉備津彦神社へ山沿いに抜ける道の途中に「鼻ぐり塚」があります。
でも,実際には,境内には入らずに,その「鼻ぐり塚」までは到達しませんでした。
【鼻ぐり塚について:かつてわが国の農村では、牛を飼い、田畑の耕作の労役等に使用していました。牛は家族の一員のように大切に育てられました。その際、牛の鼻に穴を穿ち、鼻輪(鼻環、鼻ぐり)をはめ、それに縄を結んで使役していました。やがて牛は飼い主の手をはなれて売りに出され、解体されて肉となり皮となりその最期を迎えます。牛はその一生のすべてを人間のために尽くしてきたといえましょう。こうした牛の大恩に報いるため、死後残された鼻輪(鼻環、鼻ぐり)を牛の唯一の形見として集めて浄祭することを福田海開祖中山通幽師が発願されたのであります。篤信の方々のお力により全国から鼻輪は収集され、現在もその事業は続いています。鼻ぐり塚はもと円墳であり、その墳丘上に鼻輪を積んでいます。石室内には真鍮製の鼻輪を溶かして作った阿弥陀の宝号を刻印した金属板が安置されています。また、正面には馬頭観世音菩薩を祀っています。昭和初年に塚が建立されて以来、現在までにおさめられた鼻輪の数は六百八十万を超え、現在も畜類供養のため、春秋二回畜魂祭を行っており、年間数万個の鼻輪が塚におさめられています。 】だそうです。
宗教法人「福田海」の経営によるとのことで,仏教系とのことです。
境内には入らず・・・吉備の中山へ抜ける道沿いから見える範囲で,少し写真を撮らせていただきました。
おそらく関連の伽藍とかでしょうが,結構,広い敷地の様です。
この吉備津神社から吉備津彦への道は何度も何度も通っていますが,ここで停まったのは初めてですね。
全体に落ち着いた感じの佇まいでしたけれど・・・・。
冬の夕暮れ前・・・人の姿も見かけず・・・どことなく寂しい感じが拡がります。
この遠くに見えるのがその「鼻ぐり塚」ですね。
 
また,一度,行ってみましょうか・・・・。
【吉備の中山は、遠い昔この地方が吉備の国と呼ばれていた頃、その中心に位置していたことからその名がついたと言われています。温暖な気候と肥沃な土地、それに豊かな自然に恵まれた吉備の国は、大和の国にも対抗し得る力をもったと考えられ、それがために後に、備前・備中・備後さらには美作に分国されることになります。この時、備前と備中は、太古より神奈備山(かむなびやま)として崇めていた「吉備の中山」を二つに分ける形で国境を定めました。そして備前も備中も、その国にとって最も大切な神社の一宮を中山の麓に置きました。国府から遠く離れたこの地に一宮があるということは、吉備の中山に対する崇拝が如何に高かったかを如実に物語っていると言えます。】とのことですね。
この建物もなかなかの木造建築です。梁の組み方がすごい。
さて,会議に向かいましょう!