2011.2.16.

15-17時,17-18時と,岡山オルガノンの構築・・・の,2つの会議で,岡山理大に行っていました。
今週は,月曜は一日雪で大変だったのですが,寒いけど,今日は冬の青空です。
岡の斜面のキャンパスですが,そのエスカレーターの処にも椿があったり・・・。
いつも理大キャンパスからの岡山市の展望には感動しますよね!

さて,今日の「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」ですが,備前八幡宮です。
広い境内ですです。
もうすぐ400周年ですね。
元村社ってことで・・・地元に密着しているのでしょうね,でも,大きいお社です。
祈願の建物から・・本殿までも奥行きがあって・・・広さを物語っています。
境内社も沢山です。
元々この辺りは八幡村とのことです。
冬の木漏れ日に・・・鳩たちも何かをついばんでいました。
広い境内なので,きっとお祭りでは,屋台なども沢山並びそうです。
【八幡神(やはたのかみ、はちまんじん)は、日本で信仰される神で、清和源氏をはじめ全国の武士から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされる。神仏習合時代には八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)とも呼ばれた。現在の神道では、八幡神は応神天皇(誉田別命)の神霊で、欽明天皇32年(571年)に初めて宇佐の地に示顕したとされる。また応神天皇(誉田別命)を主神として、比売神、神功皇后を合わせて八幡三神として祀っている。八幡神を応神天皇とした記述は「古事記」や「日本書紀」「続日本紀」にはみられず、八幡神の由来は応神天皇とは無関係であった。「東大寺要録」や「住吉大社神代記」に八幡神を応神天皇とする記述が登場することから、奈良時代から平安時代にかけて応神天皇が八幡神と習合し始めたと推定される。比売神はアマテラスとスサノオとの誓いで誕生した宗像三女神、すなわち多岐津姫命(たぎつひめのみこと)・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)・多紀理姫命(たぎりひめのみこと)の三柱とされ、筑紫の宇佐嶋(宇佐の御許山)に天降られたと伝えられている。また、八幡神の顕われる以前の古い神、地主神であるともされている。比売神は八幡神の妃神、伯母神、あるいは母神としての玉依姫命(たまよりひめのみこと)等とする説もある。近年では比売神はヒミコでありアマテラスであるという異説やシラヤマヒメという異説も登場している。応神天皇は、母の神功皇后の胎内ですでに皇位に就く宿命にあったため「胎中天皇」とも称されたことから、神功皇后は母子神信仰に基づくと解釈されることもある。八幡神社の祭神は応神天皇だが、玉依姫命や応神天皇の父である仲哀天皇をともに祀っている神社も多い。】ということですが,ここはそのままが村の名前にもなっていたのですね。
さて,会議に向かいましょう!