2011.1.21-22
京都府立医科大学旧図書館棟3階講堂で,第10回 分子予防環境医学研究会でした。
会長は酒井先生でした。
  
松島先生は,総会や閉会のご挨拶などをなさいました。
   
うちの教室では毎年交替で一人が発表することにしています。今年は熊谷先生が一般演題で発表してくれました。
ちなみに,大槻も実はシンポジウムで発表しました。
西村先生は座長があたっていました。
 
会場の建物は京都府の文化財になっているくらいの由緒ある建物だそうです。会場も歴史を感じさせてくれます。
受付のあった講堂と会場の講堂の間に応接室もあり,そこにも歴史がとっても静かに横たわっていました。
事務局の曽和先生,お疲れ様でした。
寒い京都でしたが,建物に,このガムテープがまたいい感じですよね!
  
舗道から入ったすぐの碑です。
  
あsて,1日目の懇親会は,青蓮会館でした。
酒井先生もおっしゃってましたが,ぶっつけ本番のスケジューリングで,突然,川西先生が乾杯のご挨拶でした。

大槻の発表の様子や,総会で,次年度のアナウンスをした様子・・・です。
来年は,頑張らねば!
   

川西先生のご挨拶から乾杯へ!(動画)
 
酒井先生は,最初のご挨拶。
なかなか,すごい人達の集まりです,はい!
中締めで松島先生でした
   
さて・・・来年は大槻が倉敷で開催とのことです(ってそんな他人事のように云わないで)
 
皆,頑張って良い研究会にしていきましょう!

さて,今回の「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」ですが・・・
まぁ,まずは京都御苑/御所です。
京都は屋根瓦にまだ雪が残っていますね!
そして,宗像神社です。
京大とか,京都府立で会があると,やっぱり御所によってしまいますよね!
なんていうか,歴史がやっぱり深いです。
気持ちを込めて,御祈りしました。
沢山の歴史を感じさせる境内社です。
左近の桜--の元---です。
ちなみに【左近桜は、平安京の内裏にある紫宸殿正面の階段から見て左にあった桜の樹。右近橘に相対した。左近桜という名称は、殿上で儀式のあるときこの桜の方に左近衛の陣を敷いたことによる。南殿の桜ともいう。】だそうです。
なんか,いろんな神社もありますね。
【宗像神社は、京都府京都市上京区、京都御苑内にある神社である。国史見在社で、旧社格は府社。宗像三女神(多紀理比売命、多岐都比売命、市寸島比売命を主祭神に、倉稲魂神と天岩戸開神の2柱を配祀する。主祭神は『日本三代実録』に、筑前国の宗像神社(現宗像大社)と鎮座地を異にするが「同神」であると記されたり[1]、「同神別社」であると記されている[2]。配祀神の天岩戸開神も国史見在社(天石戸開神)を合祀したもので、『花山院家記』(『山城名勝志』所引)には合祀前の状況を「天石戸開神。大石也。霊有り」と伝えており、また倉稲魂神は藤原時平によって合祀されたと伝える。現在、御苑内の西南(裏鬼門)にあたる位置に鎮座するため、方除けの信仰を集めている。】だそうです。
さて,もう少しそぞろ歩きで・・・砂利道ですが・・。
   
そうすると厳島神社もあります。
九條池で・・・九條殿の御屋敷跡なんですよね。
鳥居は舟形です。
建礼門前大通り
九條邸跡の看板もありました。
【現在の京都御苑の南西部に旧九条邸は存在した。現在は庭園部分のみが整備されて残る。庭園の池(九条池)の中島には鎮守社であった厳島神社が現存し、さらに池畔には拾翠亭と呼ばれる瀟洒な茶室が現存している。母屋などの主要な建物は明治初期の東京移住命令にともない、東京の九条邸に移築され、さらに近年九条家より東京国立博物館に寄贈され九条館と命名された。】ですって!
池の傍にも雪が残っています。
さて,堺町御門です。
   
もう少し木々の間を東へ
〜〜〜〜〜
さて,この次は,実は翌日二日目の朝です。
蛤御門かな・・・

さて,その他にも,今日の京の町歩きです。
【御金神社(みかねじんじゃ)は、京都市中京区にある「金山毘古神」=「金山彦命」(かなやまひこのみこと)を主祭神とする神社である。現在は、金色の鳥居など黄金色に飾られた神社で、お金を祭る神社として、資産運用や証券取引等の成功を願ったり、競馬競輪などでの勝利や、宝くじ等の当選を願う絵馬が大量に奉納されている。しかし、この神社の創建者田中庄吉は、現在の金光教の布教者である初代白神新一郎により、金光教に入信し、京都で布教を行い、500人を越える信者が従った高徳な布教者だった。 1883年10月6日に、その組織を公認のものとするため、金乃神の金にちなんだ、美濃の南宮大社の祭神金山彦命を祀る神社として、京都府知事の認可を得る。 1888年には神道教会所属御金教会所を設立するが、金光教が独立する段階で行われた講社結集運動には加わることはなかった。現在は、金光教との関わりもなくなり、「金乃神」=いわゆる「金神」の宮としての活動もない。ただ、金光教本部にあった金乃神社同様に「金山毘古神」に加えて、日天四・月天四に相当する、「天照大神」と「月読神」も祭神であるところや、「金神」に関わる、建築、転宅、方位、厄除け等の神としての働きに名残が見られる。元々信仰者の多いところに建てた神社のため、地元では親しまれている神社のようである。】だって,成程!
  
確かに,黄金色の鳥居にはびっくりしました。絵馬も銀杏型?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて,下御霊神社です。
結構,おおきな境内で,真ん中に舞台がありますね。
雪もしっかり残っているし・・・。
【桓武天皇の時代、各地で疫病が流行した。これは御霊の祟りであるとして、貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催された。この御霊会が当社および上御霊神社の創祀であるとしている。古来より京都御所の産土神として崇敬された。享保年間に霊元天皇の霊を配祀した。元は出雲路の上御霊神社の南にあったことから下御霊神社と呼ばれるようになったと伝えられる。後に新町出水に移され、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の都市整備にともない現在地に遷座した。】だそうです。
境内社も沢山ありました。
やはり京都のお社は・・・歴史をとっても感じさせてくれます。
お祈りしたりすることが,日常の中に溶け込むのはいいですね。
【祭神は以下の八柱で、「八所御霊」と称される。* 吉備聖霊(吉備真備)* 崇道天皇(桓武天皇の皇太子、早良親王)* 伊予親王(桓武天皇の皇子)* 藤原大夫人(伊予親王の母、藤原吉子)* 藤原大夫(藤原広嗣)* 橘大夫(橘逸勢)* 文大夫(文屋宮田麻呂)* 火雷天神。相殿に天中柱皇神・霊元天皇を祀る。これらの諸神は(吉備真備を除いて)いずれも政争に巻き込まれて憤死した人々で、その怨霊を慰めるために創建されたのが当社である。吉備真備は野馬台詩の解読者として崇拝された。】そうですか,吉備真備も・・・
さて,この辺りから上って行くと,京都府立の会場です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
新島襄の旧邸です。同志社ですね!
  
御所の・・・寺町御門です。そして,街角にも案内板・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この辺りは,荒神町です。そして,護浄院です。
【護浄院。常施無畏寺と号し、天台宗の寺。通称は清荒神(きよしこうじん)。本尊の清三宝大荒神は千二百余年前、光仁天皇の皇子、開成親王の作といわれ、摂津の国にあったのを後小松天皇の勅により僧乗厳が醒ヶ井高辻の地に 勧請し、初めて清荒神といわれた。その後、慶長五年(1600年)現在の地に移され、後陽成天皇御自作の如来荒神尊七体をあわせ祀って長日の御祈願を行い、元禄十年護 浄院の院号を賜り今日に至る。また、一般の家庭では、かまどの上に祀られ火の守護神とされる。尊天堂内に安置される福徳恵美寿神はもと禁裏に奉安せられていたが、明治維新に際しここに移され、京都七福神の一に数えられ、世に尊信が高い。なお、荒神町の地名はここより起こったものという。】です。
街中なので・・・一杯詰まっている様な感じですが,それもまたいいですね。
今日の発表も上手く行きます様に!
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて,京都は歩かなくっちゃ! だそうです。

宿が,西洞院四条下るの位置で・・・初日も,二日目も。西洞院を上って行きました。
染物関係のお店が一杯!
  
とか,こんな御水も京都らしいですよね!。
お地蔵さんが沢山あって・・・・それと,法衣の御店も固まっていました。
所謂町屋風の処や,京都らしい御店も沢山です。
メインの通りではなく,一本入って歩くのが発見一杯です。
お寺さんでも・・・・ここは「こぬか薬師」ですね。
【黄檗宗寺院の医徳山・薬師院です。通称の「こぬか薬師」の名で知られているようです。「こぬか」って何?・・という感じですが、これは「こっちへ来なさい。来ないか。」という意味の「こぬか」のようです。さて、薬師院に伝わる縁起によると、本尊の薬師如来像は、桓武天皇の延暦元年(782)、伝教大師最澄が16歳の時の比叡山延暦寺の草創を願って一刀三礼(1回刻む度に3回拝む)の礼を尽くして7つの薬師如来を刻んだ内の一つと伝わり、延暦寺の根本中堂に祀られている薬師像と同形で、現存はこの2体のみと言うことです。その後、ある人が比叡山より持ち出して美濃国(岐阜県)の横倉に一院を設け本尊として祀りました。その後、鎌倉時代の寛喜二年(1230)、疫病が全国に広がり多くの死者が出ました。この時、当時のこの寺の住職の夢に薬師如来が現れて、「一切病苦の衆生、我が前に来らば諸病ことごとく除くべきに(治癒するだろう)。来也(こぬか 来なさい)、来也(こぬか)」とのお告げを賜りました。感激した住職がこのお告げを広めると、諸国からも多くの参拝者が集まりました。そして皆、病気治癒して長生きしたので、これ以降、人々は本尊の薬師如来を「こぬか薬師」と呼んで崇めたと伝わります。】だそうですよ!
そうですか・・・さて,またそぞろ歩き(でもないですが)
もう,道沿いの町屋風を写しているだけに近いですね(笑)・・・でも,ギターや古いテレビジョンが飾ってあったり,喫茶だったり・・・借家で出ていたり!!
勿論,なんだかしっかりとした御店もあります。宮内庁御用達です。
こんな別に観光案内にも載っていないって処もいいですよね!
実は一本東へ・・・釜座通りへ来ていました。
というのも,府庁横の中西印刷さんへ・・・日本衛生学会和文誌編集委員長としての仕事もあったのです。
中西さんで。
  
そして,会場の京都府立へ・・・二日目も・・・。旧二条城跡を抜けて行きました。
 
鴨川で,少し気持ちをのんびりさせて・・・。
 

一般会員の皆様には恐縮なのですが,監事会は,今回の会長の酒井先生の従姉妹さんがなさっている祇園の割烹旅館「白梅」さんでした。ありがたいことです。
勿論,会費制だったので,堪能した分は,払ってますよ!

京懐石ですね。
あっさりとステキです。
最後までとっても美味しく頂戴しました。
中の様子も,少し撮らせて頂きました。
こんな場所で御食事するなんて・・・ありがとうございます,本当に。
  
川端通りから,白川南通りに入った辺りです。夜の様子ですが・・・・。
小さな御堂があったりしています。
鴨川を挟んで向こうにも御食事処の灯りがありました。
厳寒の睦月でしたけれど,素適な想い出になりました。