2010.12.23.
祝日ですが,新大阪で科学技術振興調整費「アスベスト関連疾患への総括的取り組み」班の研究委員会でした。

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ほんの少し早目に到着して・・・吹田まで足を延ばしてみました。

商店街みたいな感じを抜けると,高濱神社です。
【由緒: 地元では「大宮さん」と呼ばれている。 吹田は昔、次田連の一族の居住地であったことからの訛と云う。創祀は次田連がその祖神を祀ったことによるとされる。社名の高浜は吹田の別名とされる。淀川縁の微高地であったのだろう。】だそうです。
広い境内の神社です。
祈願をちゃんとしておきましょう!
そして穏やかな顔立ちの狛犬です。
【『新選姓氏録』には吹田連(異本では次田連)は河内国神別に記載があり、火明命兒天香山命之後也、とある。神社由緒書きでは吹田連は河内から当地へ移住したとされているが、吹田の東側には天照御魂神を祀る新屋神社が鎮座、また銅鐸が出土した奈良遺跡も近く、相当に古い神社かも知れない。摂津国の吹田連の名が『新選姓氏録』には見えない所から、その頃には吹田連は当地を去っていたのであろう。吹田連の祖神を祀っていたと伝わるが、秘神ではなく、不詳二座とされているのは、新たな支配者(多分藤原氏)に遠慮したものかも。当地の地主神は天火明命と天香山命と云う。】とのことです。
境内社も沢山でした。
御稲荷さんは工事中みたいでしたけれど・・・・。
【天平七(735)年行基が石浦神宮寺を建立、この時に当社に牛頭天王を勧請した。また貞観十一(869)年、播磨国廣峰山から山城国八坂郷への牛頭天王の遷座の際、当時は疫病が流行っていたので牛頭天王に悪疫退散祈願をおこない、小祠を建てて祀ったのを合祀したので、主祭神とされて祀られている。神社の由緒書きには記されていないが、織田信長が畿内を席巻した際、多くの神社は信長の氏神の素盞嗚尊を祭神として破壊を免れたのであるが、その頃に牛頭天王宮と称し、主祭神としたのかも知れない。近所の神社も素盞嗚尊が多い。それでも天正年間には戦火にかかり焼失している。】というらしいですが・・・。
結構でも境内の中の参道周囲は駐車場で貸出てらしてたみたいでした。
このダイオキシンの注意書きは,なかなか・・・でも非常に話題になった時もありましたしね・・・・。
さてもう少し時間が在るようです。
 
それでは,高濱神社から,もうちょっと散策してみましょう。
昔の街道の後や・・・個人のおうちで・・お寺さんみたいかな? って処でした。

そしたら・・・
高濱神社の御旅所です。
【御旅所(おたびしょ)とは、神社の祭礼(神幸祭)において神(一般には神体を乗せた神輿)が巡幸の途中で休憩または宿泊する場所、或いは神幸の目的地をさす。巡幸の道中に複数箇所設けられることもある。御旅所に神輿が着くと御旅所祭が執り行われる。御旅所には神社や祭神にまつわる場所や氏子地域にとって重要な場所が選ばれている。元宮、摂末社や配偶神を祀る神社などのような社殿があるもののほか、元の鎮座地などに臨時の祭殿を設けたり、氏子の代表(頭人)の家に迎える場合などがある。】ですよ!

園周囲には,結構,お地蔵さんとか・・・
そして,街で見つけたとっても背の高い柿の木! と,駅東のこれはマンションですか? ひときわ目立ちます。
  
駅の地下道には,民話のパネルもありました。