2010.11.3-4.
広島国際会議場とANAクラウンホテルで日本肺癌学会でした。
広島大学の井内教授が会長で,科学技術振興調整費などでも非常にお世話になっておりますので,教室員皆で演題を出して参加してきました。
科学技術振興調整費「アスベスト関連疾患への総括的取り組み」班5年間の成果の報告のセッションも設けて頂きました。
感謝です。
会場の国際会議場です。
井内先生の会長講演です。
ポスターはANAホテルでした。
小春日和の好天でした。
会場から平和記念公園〜そして原爆ドームの辺りを散策しました。
穏やかに陽射しが溢れる中,改めて平和を感じます。
日本人として・・・という訳でもないですが,やはりこの厳しさは,知っておくことは必要でしょうね。
慰霊塔からドームも見えます。
平和への祈りの灯が,絶えずにともされています。
修学旅行の子どもたちも沢山でした。
いくつかの慰霊・・・それぞれの想いに・・・やはり戦争を嫌悪しないとならないのでしょう。
取り巻く穏やかな空気があればこそ,平和への祈りは強くなります。
平和へのモニュメントも沢山ありました。
原爆ドーム周辺・・・相生橋・・・T字型の橋は,原爆にも耐えたそうです。
さて・・・ドームです。
【原爆ドーム(英: Atomic Bomb Dome)の名で知られる広島平和記念碑(英: Hiroshima Peace Memorial)は、日本の広島市に投下された原子爆弾の惨禍を今に伝える記念碑(被爆建物)である。もとは広島県物産陳列館として開館し、原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていた。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されており、“二度と同じような悲劇が起こらないように”との戒めや願いをこめて、とくに負の世界遺産と呼ばれている。】です。
これは観光ではないですね。人間の負の部分をやはり見つめてしまいます。
学会参加の人たちも多く訪れてらっしゃいました。
【1945年8月6日午前8時15分17秒(日本時間)、アメリカ軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が、建物の西隣に位置する相生橋を投下目標として原子爆弾を投下した。投下43秒後、爆弾は建物の東150メートル・上空約580メートルの地点で炸裂した。原爆炸裂後、建物は0.2秒で通常の日光による照射エネルギーの数千倍という熱線に包まれ、地表温度は3,000℃に達した。0.8秒後には前面に衝撃波を伴う秒速440メートル以上の爆風(参考として、気温30℃時の音速は秒速349メートルである)が襲い、350万パスカルという爆風圧(1平方メートルあたりの加重35トン)にさらされた。このため建物は原爆炸裂後1秒以内に3階建ての本体部分がほぼ全壊したが、中央のドーム部分だけは全壊を免れ、枠組みと外壁を中心に残存した。】です。
【ドーム部分が全壊しなかった理由として、* 衝撃波を受けた方向がほぼ直上からであったこと,* 窓が多かったことにより、爆風が窓から吹き抜ける(ドーム内部の空気圧が外気より高くならない)条件が整ったこと,*
ドーム部分だけは建物本体部分と異なり、屋根の構成材が銅板であったこと。銅は鉄に比べて融点が低いため、爆風到達前の熱線により屋根が融解し、爆風が通過しやすくなったこと,などが挙げられている。ドーム部分は全体が押し潰される程の衝撃を受けなかったため、爆心地付近では数少ない被爆建造物(被爆建物)として残った。】だそうです。
病気に対す研究なども,このような悲惨な中で一瞬に生命を失うような事態が無ければこそ,と,考えさせられました。
さて,平和公園の方に,また,戻っていきましょう。
学徒動員の慰霊です。
ドームはいろいろな場所からも見えます・・・心に刻み込まれます。
折鶴で一杯の平和の塔のとおろでは小学生は歌をたむけていました。
薔薇の花壇がありました。ドームもそうですが,ここでは父が好きだった黄色い薔薇を写真におさめました。
平和を彩るような薔薇の向こうにもドームが見えます。
いくつかの碑やモニュメントに祈りを捧げます。
平和を祈る火が絶えませんように。
追悼の祈念館もあります。
復興した広島は,広い道路で街路樹も多く,素適な街です。
修学旅行・・・として来ている子供達も何かを感じて帰ってくれるのでしょうか。
患者さんを思う気持ちを,人類への愛へと通じさせて行くということも大事ですね。
さて,国際会議場の脇には,ネコちゃんもいました。
秋の彩りが・・少しずつ・・広まっている感じでした。
ポスター会場のANAホテルの前には,舗道の中に・・・遺跡の様な・・・。
そしてお隣は,白神社です。
岩盤の上に本殿がありますが,昔の海岸線の名残だそうです。
お祈りをしました,偶々七五三の御祈祷の祝日で,宮司さんが,ちゃんと頭上お祓いをして下さいました。
七五三のご家族も・・・。
お祈りすることで,普段の生活をきちんと出来ます。
【市民から「しらかみさん」と称され親しまれている神社。かつては旧国泰寺(現在の全日空ホテルの付近)に連なる広い神社だったが原爆により一時焼失し規模を縮小した。現在神社周辺には幅100mの道路(通称「平和大通り」)が整備され近代的なビルも立ち並び、神社はこじんまりとした印象。境内にある岩石は広島の三角州形成による海岸線移動の跡を記し、「原爆の熱線により赤く変色した岩石」や「被爆したクスノキ」などには被爆の跡が記されている、歴史的な検証にとっても重要な神社。】だそうです。
さて,学会に戻りましょう
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