2010.8.27.
京都リサーチパーク東1号館4F,AV会議室で,J-STAGEのセミナー・意見交換会がありました。
   
一応,日本衛生学会の和文誌編集委員長を務めさせていただいている大槻は参加してみました。
日本衛生学会和文誌もJ-STAGEで公開していますし・・・著作権のこと,そしてトムソンロイター社のWeb of Scienceのお話もありました。
京都リサーチパークは初めて来ましたが,結構,充実した感じでした。
中庭にも緑が一杯でした。
4Fでも眺めもよかったです。

ちょっとだけ早目について・・・・四条大宮から下りて行きました。
まずは,元祇園 梛神社です。
二社が隣り合っています。
【梛神社(なぎじんじゃ)は、京都市中京区壬生にある神社である。元祇園社とも呼ばれる。現在は「元祇園 梛神社 (もとぎおん なぎじんじゃ)」と呼ばれている。 境内には大正時代に式内大社隼神社(はやぶさじんじゃ)が遷座している。ともに厄除けの神として信仰されている。】です。
【梛神社は素戔嗚尊を主祭神とし、宇賀御魂命・伊弉冉命・誉田別尊などを配祀する。貞観11年(876年)、播磨国広峰から牛頭天王(素戔嗚尊)を勧請して鎮疫祭を行った際、牛頭天王の分霊をのせた神輿を梛の林中に置いて祀ったことに始まると伝えられる。後に牛頭天王の神霊を八坂に祀って現在の八坂神社が創建されたとき、梛の住民は、花飾りの風流傘を立て、鉾を振り、楽を奏しながら神輿を八坂に送ったといい、これが祇園会の起源であるとしている。また、このことから当社は「元祇園社」と呼ばれる。】です。これは向かって左ですね。
【隼神社は、建甕槌神を主祭神とし、経津主神を配祀する。ただし、国史では祭神は「隼神」と記載されている。延喜式神名帳に「京四條坐一座 隼神社」として記載される古社で、大社に列している。延喜式神名帳には京中に3座3社が記載されているが、他の2社は廃絶している。元は蛸薬師坊城(現 中京区壬生御所ノ内町、北緯35度00分21秒東経135度44分39秒)にあった。貞観2年(860年)に従五位下の神階を贈られ、天慶16年に従四位上まで昇った。江戸時代には隼は訛って「ハヤクサ」と読まれ、そこから瘡(くさ。皮膚病の一種)の平癒に霊験ありとされるようになった。大正7年(1918年)、現在地の梛神社境内に遷座した。】だそうで,向かって右です。
後は,お稲荷さんとか・・・ちゃんと祈っておきました。
なかなか勇壮な阿吽・狛犬です。
すぐ裏手阪急電車が走っていました。
  


そこから下りて行くと・・・壬生寺い向かいますが,その近辺は,新撰組にまつわる辺りです。
屯所跡ですが,今も住居として使ってらっしゃるそうですね。
  

そして・・・新撰組壬生屯所跡(八木家)です。
  
【文久三年(1863)春、将軍家茂の上洛警護のため清河八郎の率いる浪士組が入洛したが、当時壬生郷の郷士宅でった八木家は、その宿所の一つとして使われた。 浪士組は、在京二十日余りで再び江戸に戻ったが、当所に分宿していた、芹沢鴨、新見錦、近藤勇、土方歳三らは、引き続き京都の警備のため残留し、京都守護職松平容保の支配に属して「新撰組」と名のった。新撰組は約三年間、この八木家に住んでいた。守護職の密命により、芹沢が土方達に暗殺された部屋や、その時についた刀傷などが今も残っており、八木家は京都市指定有形文化財になっている。 】という処です。
現在,第15代の方が当主だそうで,和菓子などをされてますが・・・ちゃんと屋内でガイドをされてらっしゃいました。ついつい,聴いてしまいました。
屋内は撮影禁止でしたので・・・興味のある方は・・・どうぞ!

その南は壬生寺です。
【壬生寺(みぶでら)は、京都市中京区壬生にある律宗大本山の寺院である。本尊は地蔵菩薩、開基は園城寺(三井寺)の僧快賢である。中世に寺を再興した円覚上人による融通念仏の「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。壬生寺は通称で、寺号を宝憧三昧寺、院号を心浄光院という。】だそうです。
【江戸時代後期の幕末には京都の治安維持を目的に活動した新選組(当初は壬生浪士組といった)の本拠が壬生村の八木家に置かれた。当寺境内は新選組の兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行こなわれたという。その縁で境内には局長近藤勇の銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚がある(近藤勇の墓とされるものは、当所以外にも会津若松市、三鷹市などに存在する)。】ということで,ここも新撰組縁の様です。
阿弥陀堂は,撮影禁止等々で,拝みませんでした。
なんだかすごい地蔵の塔がありました。
中院です。
   
【旧本堂は1962年、放火で全焼し、現在の本堂は1970年(昭和45年)の再建である。境内には他に大念仏堂(狂言舞台、重要文化財)、近藤勇銅像、壬生塚、千体仏塔(パゴダ様式の仏塔に1000体の石仏を円錐形に安置したもの)などがある。】だそうです。
広い境内でした。
   

その向かいです・・。
   

さて,時間も近付いてきたので,更に下りて行きますと・・光徳公園でした。
相変わらず,今年は,残暑厳しく・・・猛暑でした。
今は百日紅をどこでも見かけますね!
【下京区の北の端にある、「光徳公園」です。専売公社の工場跡地に作られました。平安京の「朱雀大路」があった「千本通」にあります。】だそうです。
丁度お昼前でした。しかし,暑い!
   
本当に,夏空に白い雲です・・・景色が溶けそうです。

さて,今日は,日本衛生学会和文誌の出版や事務支局を務めて下さっている中西印刷(京都)の方もセミナーに参加されていたので,会食予定です。
その前に京都タワーに上って(北へ,ではなく,まさに上に)みました。
  
西本願寺 梅小路公園 京都駅 東寺 望遠鏡の中の東寺 駅から南へ
駅から東南 三十三間堂? 清水? 高台寺と霊山観音 烏丸通り 東本願寺
二条城 御所と連なる山並 平安神宮 叡山〜大原 叡山
知恩院 清水? 浪速の方向 京都駅