2010.7.25.
暑い夏です。
大学の用事で徳島へ!
茶屋町駅にスクーターを停めて。出発です。
先週,米子で見かけた「サンライズ出雲」今日は茶屋町駅で岡山駅で分断された「サンライズ瀬戸」です。
高松駅に到着です・・・駅前には・・海水引きこんだ池が・・・
で,高徳エキスプレスで徳島駅前まで!! 最後は吉野川を長い橋梁で渡りまして・・・徳島駅です。
駅前から眉山を目指しました。
  
途中,詩碑がありました・・・。
睡蓮です。
【徳島県徳島市南内町出身。寺島尋常小学校(現徳島市立内町小学校)、徳島中学校(現徳島県立城南高等学校)を出て、旧制第七高等学校(現鹿児島大学)から東京帝大文学部に進み、京都帝大法学部に転入。1933年中退。日本棋院での囲碁誌の編集長を経て、詩、小説、童話、戯曲、訳詞などの創作活動に入り、戦後、芸術前衛運動を推進。放送劇の主題歌作詞や台本、オペレッタの演出など、多彩なジャンルで力量を発揮した。著書に詩集「幼き歌」、戯曲集「蛾」、随筆集「囲碁太平記」など多数。オリンピック賛歌の日本語での訳詞を担当した人としても知られる。】という方です。

ポストの上にもこんな像が・・・この大通りは「阿波踊り」のメッカですね!
眉山へ登る前に・・・麓の「天神社」をお参りしましょう!
「知恵之門」は瀬戸内寂聴さんの書に依る様です・・・まさに,今日がお祭りみたいですね!。
学問の神様ですし・・・ボクらも学問の徒ですから・・・よろしくお参りします。
牛神様もちゃんと撫でました。
姫宮様です。
本当に学問に真摯に向かいますので,よろしくお願いします。

今日の動画! 【1:瀬戸大橋】  【2:眉山ロープウェイ】  【3:眉山からの眺め

阿波踊り会館〜あるでよ徳島(特産品館)からロープウェイで眉山へ・・駅には風鈴が沢山でした。
  
まだ,少し遠くは霞んでいて・・・・淡路島などは本当にぼんやりと見えるって感じでしたが・・・でも,絶景ですよね!
吉野川は大きな川です。【愛媛県西条市と高知県本川村(現:いの町)に頂を有する瓶ケ森(標高1896.2 m)より湧き出で高知県吾川郡いの町の白猪谷を最源流とし四国山地の南側を東流、その後高知県長岡郡大豊町で向きを北に変え四国山地を横断する。三好市山城町で愛媛県新居浜市の冠山を源とする最長の支流、銅山川が合流し、三好市池田町の池田ダムで香川用水により香川県に分流、三好市池田町で再び東流し、徳島市で紀伊水道に注いでいる。高知、愛媛、徳島が関係するため、かつて、この付近では三土地川(みどちがわ)とも呼ばれていた。 讃岐山脈と四国山地に挟まれた下流域では徳島平野を形成している。四国最大にして、唯一水流が四国四県に及ぶ水系である。ただし各県内で一番長い川は高知県では四万十川、徳島県では那賀川であるので注意。】です。「四国三郎」ですよね!(【利根川の異名で、「坂東(関東)にある長男格(日本で一番大きい)の川」という意味である。弟格としては筑後川の筑紫二郎(つくしじろう)、吉野川の四国三郎(しこくさぶろう)がある。弟二人の順番については、四国二郎―筑紫三郎とされる場合もある[1]。「二郎」は「次郎」の表記も存在する。】
北側が徳島市街・・・東が紀伊水道っていうか淡路島の南・・・南側は・・・剣山は見えない様ですが,山並みが遠くまで連なっています。
これは「パゴタ」です。
  
【パゴダ平和記念塔は、徳島県徳島市の眉山公園内にある第二次世界大戦時の戦死者慰霊のために建てた記念塔。1958年(昭和33年)に県ビルマ会が第二次世界大戦で戦没した多くの戦友たちの霊を慰めるために建てたもので、当時の資料を展示している。ミャンマー(旧ビルマ)の首都ヤンゴンにあるシュエダゴン・パゴダの形を参考に建設され、ビルマ(当時)から贈られた仏舎利が納められている。市内各所からその姿を眺めることができる。】
です。
三角点などもありました。
  
【モラエス館(Moraes Museum)とは、徳島県徳島市にあるポルトガルの外交官であるヴェンセスラウ・デ・モラエスの記念館である。1976年(昭和51年)7月1日に開館。建物内にはモラエスの旧宅(徳島市伊賀町)内を再現した書斎がある。】です。
本当に,絶景ですね。
ちょっと長い引用ですが・・・旧吉野川河口堰について・・・

【旧吉野川河口堰は徳島県板野郡松茂町中喜来地先、吉野川水系旧吉野川に建設された堰である。旧吉野川は徳島藩第4代藩主・蜂須賀綱通によって1672年(寛文12年)別宮川との間を第十地先で開鑿、徳島城防衛の為に引水したのが発端である。下流で今切川を分流し紀伊水道へ注ぐ。1752年(宝暦2年)には吉野川第十堰が建設され旧吉野川の水量調整が図られた。この間三島泉斎・伊澤亀三郎・坂東茂兵衛らによって下流部は相次いで開拓が為され、新田開発が行われた。この間防潮・防風目的に堤防が建設され、更に1923年(大正12年)には旧吉野川の洪水調節・河川維持用水を目的に第十樋門が建設された。1936年(昭和11年)には今切川樋門が建設され防潮機能を強化したが、何れも開拓地の塩害防止を最大の目的としたものであった。然し1946年(昭和21年)に南海地震が起こり旧吉野川・今切川河口地域は大規模な地盤沈下を起こし、今切川樋門は破損し防潮機能が減退した。1949年(昭和24年)には旧吉野川樋門が建設されたが根本的な塩害対策にはなり得なかった。更に高度経済成長に伴う工業地域の拡大や徳島市の人口増加は水需要の逼迫を招いた。これらの理由から治水・利水を目的とした河川施設の建設は急務となったが、吉野川水系が「水資源開発水系」に指定され「吉野川水系水資源開発基本計画」が1966年(昭和41年)に策定された。この中で旧吉野川と今切川に河口堰を建設し治水・利水を図ろうとし、水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)によって1968年(昭和43年)より計画が開始された。1971年(昭和46年)徳島市川内町と板野郡北島町の間に今切川河口堰の建設が、2年後の1973年(昭和48年)には旧吉野川河口堰の建設が始まった。両堰とも可動堰で、洪水調節・塩害防止・上水道・工業用水が目的で堰ではあるが法的には水資源開発公団法(現・水資源機構法)に基づく多目的ダムの扱いである。1974年(昭和49年)に今切川河口堰、翌1975年(昭和50年)には旧吉野川河口堰が完成し建設事業は終了した。尚今切川樋門と旧吉野川樋門は河口堰建設に伴い撤去された。尚、旧吉野川は1932年(昭和7年)に別宮川が吉野川本川に定められるまでは、吉野川の本流とされていた。】
だそうです。
   
山頂にはいろんな様子があります。
    
明治天皇聖徳仰碑です。
神社もあります。
眉山の麓周囲には,沢山,お寺さんや神社があって,それぞれ登山道がある様でした。
剣山・・・(以前登りましたけど)縁なのですね・・。
  
境内にもっていうか山頂付近にはけっこう,まだ紫陽花も残っていました。
さて,実はロープウェーの辺りだけでなく,駐車場なども含めて,公園自体は結構,広いのです・・・どんどん行ってみましょう!
途中の景色もステキです。
  
山頂には,でも,結構,電波塔が乱立!
暑いですが,緑の木々と青い空の対照はいいですね!
一画に・・・【ガゼボ: 徳島市の姉妹都市サギノー市(アメリカ・ミシガン州)から徳島市制100周年を記念して贈られた洋風あずまやです。】です。
風見鶏なんかもあって・・・
   
いろんな処で遠景を眺めます。
北側・・少し河口から戻って・・・高徳線の鉄橋や県道41号線の橋梁もみえています。
こんな像も!
望郷・・・本当に遠い処です。
本当に,いろんな景色を堪能します。
名田橋とか・・・徳島〜香川の県境も山並みがずっと続きますし・・・。南も幾条にも山並みが続いています。
  
徳島県も・・・吉野川流域以外は,本当に山地ですものね・・。南は四国山脈だし・・・。
野鳥観察小屋なども整備されています。
汗は沢山かきましたが・・でも気持ちいいです,こういった中で歩き回るのも大好きです。
さて,展望台の方に戻りましょう
   
展望台に挟まれた間からも,市街地が・・・

阿波踊りのポスターは・・・青山 剛昌さんですね。
   
ロープウェイは・・2車両っていうか,それが上で連結したみたいな形です。天神社も見えました。
さて・・・会場の駅近くに戻るのですが・・・新町橋の欄干が鏡になってて・・・。
面白いっすね。
さて・・・所用も終了し・・・高徳バス→高松駅ではもう夜です。
広場にライトが・・・ちょっといい感じ1
マリンライナーで帰りましょう!