2010.7.23.

ライフパークくらしき で,倉敷大学連携講座の講演をしてきました。
 
これは倉敷市の伊東市長さんの肝いりで開始されたもので,今年度は,それぞれの大学が,PRを兼ねて前期(今回)1講座,後期(秋)に1講座を受け持ちます。広報くらしきに・・・写真入りで出ました。
   


梅雨が明けて,猛暑の日です。
   
ライフパークにはこの連携講座のPRコーナーもあります。
    
そして,暑い日にも関わらず,多くの聴衆の方に集まって頂きました。
ア・ラ・カルトということで・・・福永学長,柏原教授,鈴木教授,木村教授,下屋教授,尾内教授,山口教授,森谷教授から拝借したスライドを代読というか,代わってPRしてきました。
深謝します。
そして,お集まりの方々にも本当にありがとうございました。

さて・・・帰路の「ちょっと寄り道」ですが。。。
倉敷市林の熊野神社・・の一部です。
県の重要文化財の三重塔がありました。
【岡山県倉敷市にある熊野神社。「日本第一熊野十二社権現宮」と称する。祭神は伊邪那美神、伊邪奈岐神、家都御子神、速玉之男神。社殿は左から第三殿・第一殿・第二殿・第四殿・第五殿・第六殿と並ぶ熊野本宮大社と似た形式を採っている。】だそうです。
梵鐘っていうか,鐘楼もありました。
【修験道の祖と言われる役小角は文武天皇3年(699年)、朝廷より訴追を受け、熊野本宮に隠れていたが伊豆大島に配流された(続日本紀)。社伝によれば、この際、義学・義玄・義真・寿玄・芳玄ら5人の弟子達を中心に熊野本宮大社の御神体を捧持したとされる。彼らは3年にわたり各地を放浪し、役小角が赦免となった大宝元年(701年)3月、神託を得て現在の地に紀州熊野本宮を遷座したとされる。天平12年(740年)聖武天皇が児島一円を熊野神社の社領として寄進した。天平宝字5年(761年)には紀州熊野と同様の社殿(十二社権現宮)を整え、付近の木見に新宮を、山村に那智宮(現・由加神社、蓮台寺)を建て新熊野三山とした。熊野神社と修験道の寺院が一体となった神仏習合の形態を取る宗教施設として栄えたが、平安時代中期以降は衰微した】だから・・・一体になっているのですね。

役行者です---かしら?
【承久3年(1221年)承久の乱が勃発し、敗れて隠岐に遠島となった後鳥羽上皇に連座して、上皇の第4皇子頼仁親王が児島に配流となった。頼仁親王は衰退していた熊野神社と寺院を再興し、以後、南北朝の頃まで繁栄した。】だそうです。
静かに合掌です。
三重塔も,なかなか,質実剛健です。
すくっと夏空の下,緑の木々の間から覗く様子がいいですね。
暑い盛りの昼日中でしたが・・・静謐な感じで佇んでいました。
長く倉敷に住んでいますが,ここはお参りに来たのは初めてでした。
さて,道路を挟んで・・・向こう側には,池と・・・後鳥羽上皇の御影塔がありました。
【室町時代になり応仁の乱が勃発すると、この地も戦乱に巻き込まれ応仁3年(1469年)には細川勝元方に加担した覚王院円海を中心とした兵により新熊野は焼き討ちにあい、ほぼ全焼した。明応元年(1492年)より焼き払われた建造物の再建が開始された。現在、国の重要文化財に指定されている第二殿はこの時造営されたものである。現在見られる第二殿を除く社殿は正保4年(1647年)に池田光政によって造営された。】だそうです。
今は,木々の合間に,木漏れ日を浴びて・・ひっそりと,って感じでしたね。
池の中にも祠がありますが・・・。
少し用事があって・・・所謂神社や他の箇所は回れませんでしたので,また,今度