2010.7.19.
海の日連休ですが,大学の用事で米子です。
すっ髪の中庄駅は・・・もう真夏の朝日・・・確かに梅雨明け直後から猛暑です。
伯備線です・・・・高梁川の上流に向かって昇っていきます。
【鳥取県境の明地峠(標高755m)に近い花見山(標高1,188メートル)の東麓(新見市)を源流とし、高梁市・総社市を経て、倉敷市で水島灘に注ぐ。
流域は主に石灰岩質のカルスト台地を貫通し、河川の浸食によって生成された鍾乳洞や渓谷に富む。また植物分布も日本ではこの地域特有のものも多い。河口部は現在は倉敷市水島と玉島の間を流れ水島灘に至るが、下流域は時代によって大きく河道や河口部が変わっている。古代から近代にかけて高瀬舟による水運に利用され、備中国域の経済の大動脈として重要な河川であった。】な,岡山県三大河川の一つです。
山際や・・・川面(---伯備線には「備中川面」という駅もありますが)には朝霧が立ち込めています。
新見駅の辺りから,山間部にも陽が射してきて暑い夏の一日の始まりです。
中国山地を抜けると・・・今度は日野川に合わせて河口の米子に向かっていきます。
【鳥取県日野郡日南町の三国山(標高1004m)に源を発し、東北東に向かって流れる。大山の麓にある江府町からは北北西に流路を変え、米子市及び西伯郡日吉津村の境界から美保湾に注ぐ。流域内人口はおよそ60,800人。江戸時代には、かんな流しが栄えた。また、各地で河童を退治したという伝説が残されている。】です。
そして中国地方の霊峰っていうか,大山が姿を現しました。
いいですね,山はどっしりしています。
【大山(だいせん)は、鳥取県のおもに大山町にある標高1,729mの火山。伯耆大山(ほうきだいせん)とも呼ばれる。古来より日本四名山に数えられた。また、登山家
深田久弥選出の日本百名山の一つであり、日本百景にも選定されている。大山は中国山地から離れた位置にある火山。最高峰は標高1,729mの剣ヶ峰(けんがみね)で、これは中国地方の最高峰でもある。石川県の白山から島根県の三瓶山、大分県の由布岳・九重山に連なる大山火山帯の名前の由来となった火山(ただし、現在はこのような火山帯の区分は使われておらず、大山は西日本火山帯の一部とされている)。山体は東西約40km、南北約35km、総体積120km2を越える。】ですよ!
なんか同じ様子ばかりですが・・・興奮して一杯撮りました。
さて,米子駅の一つ前の「東山公園」駅で下車です。
運動公園で,夏の甲子園の県予選真っ盛りでした。そして,「サンライズ出雲」号も通過しました。これも結構,僕は岡山⇔東京間で使いますけれど・・。
そこから会場の皆生温泉へ・・・。「ちょっと寄り道」は,まず,小さな祇園神社さんです。
そして・・・貴布禰神社です。
【「貴布禰神社」がある。ここには大山寺の学僧咥然(トウゼン)によって安政7年(1860)に描かれた「朝比奈三郎、曽我五郎の草摺りを曳く図」という市指定有形文化財になっている奉納額がある。天保4年(1833)の常夜燈が立っていた。】というレポートもありますね。
元来は京都の貴船神社・・・から【当社から勧請を受けた貴船神社(貴舟神社、貴布禰神社、貴布祢神社、木船神社、木舟神社など)が日本各地に約450社あり、また祭神を同じくし「おかみ」を社名とする神社(龗神社、高龗神社、闇龗神社、意賀美神社など)は2,000社を超える。】とのことです。
いくつものペアの狛犬がいらっしゃいました。
それなりに広い境内で・・・朝陽が眩しい夏空の下です。
伊勢神宮,大宰府,そして,美保が関の方向に,案内の石塔があります。
【貴布禰(きふね)神社創立年代は不詳ですが、鎌倉時代の初期、会見郡一帯の豪族深田氏の祖先らが濱中の里(車尾の旧俗称)を開拓しはじめた頃のようです。本社は京都鞍馬山の貴船にあって、平安時代から雨乞い、雨止みの両方に信仰を集めた有名な神社です。車尾でもやはり、雨については長い間両方の祈りを重ねてきたことでしょう。七百年近い歴史の中での後醍醐天皇が深田家に御駐泊になった時の様子が、藻里良子の小説『瓊子内親王』には次のように描かれています。『春の日のめぐるもやすき尾車(おぐるま)のうしと思わでくらすこの里「朕の気持ちである」「ははっ」下賜された御製を両手で頭上にささげて、治信は平伏し涙を流した。一行は後髪をひかれる思いで深田屋敷を後にした。(中略)ふと輿(こし)が止まった。御簾を上げてみると、右手に小さいが何やら曰く有りげな古い祠(ほこら)が見えていた。「あの社は」天皇の問いに土地の者は、「貴布禰神社と申しまして、この辺りの雨、風や船の安全を司る神でございます」「貴布禰?なつかしき響きじゃ。洛北の貴船神社も雨雪や川を司る神であった」天皇は瓊子と三位局を供にして社前に手を合わせた。』現在、神社には日野川の大氾濫(天文十九年=一五五〇)から流失をまぬがれた現存する古棟をはじめ、米子市指定の文化財(海地村出身の僧、然の自筆絵馬)などの絵馬類、古棟札類が多数保管されています。また、境内には天明、明和、文化、文政、天保などに奉納寄進された石灯籠、狛犬などが見受けられます。現在の社殿は明治三十一年(一八九八)に車尾、皆生、上福原、中島の氏子によって建立されたものです。西暦二〇〇〇年には境内に四六〇体の玉垣奉納が行われました。】このよう様子だそうで,これを紹介するサイトもありました。(http://www.yonago-city.jp/koho/H1408/P7.htm)
狛犬のいくつかは,本当に歴史を経た印象が強い強いですものね。
境内からの大山の眺め
さて・・・東の鳥居をくぐって外に出ます。
貴布禰神を後にして,北上! 日本海を目指します。
米子の住宅街の中で,ぽっかりと田園が広がっている辺りって感じです。
空の青,田の緑と,間に大山がうすぼんやりと・・・です。
大山の反対側も緑と青が際立っていますね・・・そして,白い雲!
さて・・皆生温泉に着きました。
トライアスロンの日本での発祥の地だそうです・・。前日(7/18)にも大会があったそうです。
まさに真夏の中,子どもたちが海水浴ではしゃいでいます!
ライフセーバーさんもいらっしゃいますが,確か,僕らの後輩で,米子に戻った先生もライフセーバーをしていた筈です。
もうすべて夏の絵日記ですよね。
この辺りは,旅館からすぐ海です・・
遠く,美保が関も見えていました。
開祖の方の像もありました。
海辺から少し入って・・・老舗旅館っぽい処もあります。
トライアスロン通りもあるのですね
今日の用事は・・・「つるや」さんで・・・ここも有名どころの様でして・・中庭や,種々の展示っていうか,飾りもステキです。
お茶菓子も美味でした。
9Fのラウンジからは,日本海も大山も!
会の終了後には,米子駅から・・「やくも」です。
駅前にはいくつかのモニュメントも・・・・。
そして,これは銀河鉄道999?
帰路には,大山も少し雲に覆われていました。
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