2010.7.15-17
in Takasakiです。
16-17日の日本職業・環境アレルギー学会/日本産業衛生学会アレルギー免疫毒性研究会に参加!
前日東京で,夜に高碕に着きました。
  
牛丼屋さんでカレーの夕飯を摂って・・・・ホテルまでの間に・・諏訪神社さんです。


翌日は,学会の開始が午前半ばだったので・・ホテル周辺から高崎城址〜高崎公園を巡りました。

ホテル横の獣医さんの前でのネコちゃんです。
まずは,高崎神社です。
【社伝によると、後嵯峨天皇の寛元元年(1243 年)、上野国和田城主であった和田小太郎正信が、相模国三浦郡の熊野権現を城中に勧請し、「熊野神社」と号したのが創建とされる。その後、慶長3年(1598年)に井伊直政が上野国中12万石を拝領して高崎城を築城する際、この熊野神社を現在地に遷座し、高崎総鎮守とした。明治3年(1870年)に村社に列し、同18年(1885年)に郷社に昇格、同40年(1907年)以降、境内末社12社と高崎市内の36社を漸次合祀して行き「高崎神社」と改称、大正14年(1925年)に県社となった。】という由緒です。
この手祓いの瓦屋根がなんだかすごい迫力でした。
【日本の大昔の事柄の起源を伝えた最古の古典といわれ、今から約1300年前に成立した古事記・日本書紀の記述によれば、当社に祀られる主祭神女神伊邪那美命は、男神伊邪那岐命と夫婦の契りをかわし、男女の結婚の道をお示しになり、日本で初めて男女の結婚の道を興された「結びの神」として崇められます。「結びの神」とは、縁結びの神であり、お二人を結びつけ、仲睦まじくさせる神でありますが、お二人だけではなく、お二人が交わる親・兄弟・親類・友達・同僚・隣人等、全ての人達とも、仲良く結び合っていけるようにと、お導き下さる神だと言えます。】で,結婚式も多いそうです。
隣っていうか境内ですが,美保大国神社です。
【事代主神と大国主神を祀る。昭和4 年(1929 年)、折からの世界的大不況のなかで苦しんでいた高崎市内の商工業者が、事代主神を迎えて商工業の振興を図りたいと、同年9月22日に島根県の美保神社から分霊を勧請し、大国主神と共に祀ったのを始めとする。例年11月の第4土曜日と翌日曜日を美保大國神社の例祭日とする。】です。
境内には,他にもいろいろと・・・・
遠くの山並みも見えています。
でも,やはり心に残るのは,手洗い所の・・瓦屋根ですね。

さて背中合わせには,曹洞宗の恵徳寺さんです。
【高崎神社のすぐ隣に曹洞宗 恵徳禅寺がある。由緒によれば、[この寺は井伊直政の伯母である恵徳院宗貞尼菩提のため、箕輪日向峰に一宇を創立松隆山恵徳院と号した。慶長三年(1598)井伊直政公が高崎城入城の折、この寺を城北榎森に移し、松隆山東向院恵徳寺と改めた当時、寺領20石五斗の御朱印地であった。 ――中略――この寺の禅師は井伊直政公の信任厚く「和田の名称を松崎に変えたいが」の問いに、禅師は「松は枯れることがあるが高さには限りがないその意をとって高崎はいかが」と進言したところ、直政公大いに喜び「高崎」と命名した]という。高崎の地名の由来が碑文となっている。】というサイトがありました。成るほど・・です。
本堂横は丁度工事中でしたが・・・。
大槻も曹洞宗ですので・・・合掌しておきました。
  

さて,そこから南へ向かうと,高崎城址の辺りに官公庁などが沢山あります。そして,土塁や木々が残されて・・・公園になっています。
まずはお濠の北側・・・郵便局の横です。
たぶん・・・朝まで梅雨の雨だったので・・・じっとりと濡れていますが・・。
緑が深い,濃いのはステキです。
土塁の上に,細い遊歩道です・・でも,革靴では本当に滑りそう!
   
ハグロトンボです。
 さて・・・大きな通りを挟んで,また,お濠です・・・この通りは渋川通りですね・・。
 
地図に「もてなし広場」と書いてある広場です。
曇天の分だけ・・緑が濃くなっています。
朝の犬の散歩の方も休憩中ですね。
  
さて,土塁の下を煉瓦のトンネルでくぐります。
 
そして,お濠の外側を今度は南へ向かいます。
高崎城址です・
広場になっています・・・そして,向かいには地域医療センターとか緑化フェアーセンターとか・・・保健福祉事務所とか・・。
結構,緑が本当に一杯です。
また・・ハグロトンボ

朝の・・たぶん,高校生カップルも!!
もう学校始まる時間だよ!!
こんな景色があるのはステキです・・・毎日通勤通学で観るとしてもいいのではないでしょうか?
さて,道路を挟んで・・・高崎城址・・・の名残がいくつか出てくる様です。
こんなモニュメントもあるし・・・櫓の後に登ると・・松が・・・。
飛龍の松ですね。
そして,高崎城址の案内です。
  
乾櫓がのこっています。
【高崎城は烏川に沿って築城された輪郭梯郭複合式の平城である。本丸には御三階櫓(天守)と乾(いぬい/北西)、艮(うしとら/北東)、巽(たつみ/南東)、坤(ひつじさる/南西)の4基の隅櫓があった。現存するのは乾櫓(県重文指定)のみである。本丸を囲むように、西の丸、梅の木郭、榎郭、西曲輪、瓦小屋があり、二の丸、三の丸が梯郭式で構えられていた。城の周りは土塁で囲まれ、石塁はほとんど造られなかった。かつて城内には本丸門など16の門があり、通用門として使われていた東門(市の重要文化財)だけが移築復元されて現存している。また、三の丸土塁と水堀は現在の町並みにも活きており、当時の面影を今に伝えている。】だそうです。
どんどん,南へまた下っていきます。
この辺りを城址公園と呼んでいるようです。
【「ハープの泉」は、JR高崎駅西口と市庁舎を結ぶシンフォニーロード沿いにある広場に設置されたもので、商業・業務集積地と官公庁・文化施設が集中する地区の接点となる、シンボル性の高い都市空間の創出をめざして整備が進められた。
 高崎市では、戦後まもなく市民オーケストラが誕生し、現在では群馬交響楽団を擁するなど、音楽・文化の普及と振興に努めている。この広場の周辺には、群馬音楽センターをはじめとする音楽関連施設があるほか、音楽のある街・たかさきを市のスローガンに掲げていることから、古代ハープをモチーフにしたモニュメントを中心に、音符をアレンジした舗装を施すなど、音楽をテーマにしたデザインで施工されている。また、施設のシンボル性を高めるために、モニュメントを高崎駅と市庁舎に対して並行に配置し、変則的な形を印象付けないよう、既存の歩道との一体性を図った。夜間のライトアップに際しても、柱状の照明灯を設けず、ベンチの下部・せせらぎに照明施設を配置し、広場を幻想的なムードに演出している。 整備にあたっては、地元の南銀座商店街まちづくり委員会と広場の整備方針やデザインなどの協議を行った。施設の名称については、周辺部を含めた雰囲気から考えてもらうため、完成から三か月後に一般公募を行い、地域住民で構成された選定委員会で決定された。】
が,これです。
丁度,通りかかった時に,音楽も鳴っていました。
まだまだ・・お濠が続きますので・・進みます。
ここで,西向きに曲がりました。
  

ここから・・高崎公園です。
広く・・・・思いの外人も少なく,のんびりとした感じです。
噴水なども,涼を誘っています。
小さな水車が二・・・カラコロと音を立てていました。
ビオトープの様な処も・・・。
県指定天然記念物のハナモクレンです。
 
立派な樹木でした。
さて・・・・鳥小屋があって。。。ミニ動物園みたいな感じですが,孔雀です! なんだか,とっても感動です。
羽根を思いっきり拡げていました。
全部で,2つの小屋で数匹いた様に思います。
勿論,孔雀以外にもいろいろと居ました。
そして,こじんまりとしてはいるのですが,English Gardenでした。花壇が素晴らしい感じでした。これも感動!!!
花々を愛でましょう!
造りもいい感じですし・・・赤ちゃん連れのお母さんも来られてました。
父が好きだった黄色い薔薇もありました。
もう少し早いと,薔薇ももっとあでやかだったでしょうね。
こういう公園が中心部にあるのはステキです。
道路挟んで隣は高崎医療センターでした。
きれいに咲いた花々・・・お手入れの方も,この日も暑い中,丹精込めて作業をされてました。
本当に花盛りです。
色とりどり・・・
それでも薔薇も沢山でした。
紋白蝶が・・・蜜を吸っています。
なんだか,堪能しました。
そしてここからは・・烏川が大きく流れていて・・・
観音様もよく見えます。

高崎公園に隣接して,頼政神社がありました。
少し裏手から境内に入ることになっちゃいましたけれど。
境内社の稲荷さんや八幡宮です。
この苔生した感じが本当にしっとりと長年この土地に佇んできた歴史を感じさせます。
【高崎公園の南隣にある頼政神社は、高崎城主大河内輝貞が享保3(1718)年に建てたもので、社宝のうち稲妻の鎧(いなづまのよろい)、白銀造太刀(しろがねづくりのたち)、諸大名連歌帖、丁丑筆話が県および市の重要文化財に指定されています。丁丑筆話は、最後の高崎藩主大河内輝声と中国人の筆談の記録で明治10(1877)年のものです。】といった情報もありました。
狛犬は四足で立っていて,今にも動き出しそうdす。
実は茨城県にもありまして・・・【頼政神社(よりまさじんじゃ)は、茨城県古河市錦町(観音寺町)にある神社である。もとは古河城南端の立崎曲輪(頼政曲輪とも言う)にあったが、 渡良瀬川の河川改修工事のため、大正元年(1912年)に古河城北端の現在地に移転された。神社としての創建については、延宝5年(1677年)に、古河城主の土井利益が城内鎮護の神としたことを起源とする解説がある。しかし、もう一方では、元禄9年(1696年)に、城主の松平(大河内)信輝が城内に先祖頼政が祀られていることを知り、神社として整備したことを起源とする解説もある。このとき、信輝の弟輝貞は、大灯籠を寄進するとともに、居城の高崎城内にも頼政社を勧請した。また、信輝の長男信祝が三河国吉田藩(愛知県豊橋市)へ国替えとなった時、勧請して豊城(とよき)神社を建立した。】だそうです。一族の関連ですね。
やぁ,またハグロトンボと出会いましたね。
 
ということで,しっかりとお参りしました。
  

さて,そろそろ学会に向けて,来た道を戻りましょう!公園には,保育園の園児たちでしょうか・・・少し空も青空が見えてきて,遊びに来ているようでした。
この像は・・・・・? 何?
さて,再び・・・今度は,お濠の中を抜けて行きますが,高崎市役所の向かいの公園です・・・そうか,県庁所在地は前橋ですものね・・。
緑がしっかりと設えてあります。
なんだか,只管に巡るだけですが・・・。
これらの芝生などの奥が小高く土塁になっていて,そこにも細道があるという形で,旧高崎城址の周囲がぐるりと囲まれているって感じですね。
道路を渡って,土塁の上の径を歩きます。
チェロを抱えた・・・ミュージシャンさんが・・・群馬シンフォニーホールに入っていかれてました。

隣接して群馬音楽センターで,周囲の緑地には,それっぽいモニュメントも・・・。
ちょっとステキですね・・・。
かつここには,乾櫓が残っています。
いくつかの記念碑などがあるのです。
  
そして,群馬音楽センターの入り口側には・・・中学生? 高校生? さっきのチェリストさんを含めて・・・何か??
  
判りました「群馬交響楽団 高校音楽教室」だそうです。さっきのチェリストさんは,では,講師ってことですね。
この辺り,ずう〜っといろんな緑に包まれているのはステキです。和風も洋風もって感じで・・・。
最後に・・・今回の「ちょっと寄り道」で訪れた最初の広場から・・・会場の高崎高崎ビューホテルに向かいました。


さて・・・会も終了して・・・高崎駅から,新幹線の乗り継いで帰ります。
   
そうか・・・高崎はダルマが有名か!
   
通常,JR西日本やJR東海の,山陽〜東海道をよく使ってますと,JR東日本の2階建てはとってもわくわくします。
車窓の風景(動画) 【1】 【2】 
なんといっても・・・この方向から富士山を拝むのは初めてです。感動!!!!