2010.7.15.

日本衛生学会 和文誌編集委員長として,日本医学雑誌編集者会議のシンポジウムに出席してきました。
利益相反:COIのシンポジウムで,日本医学会のCOI委員会との共催です。
 
高久文麿先生はじめご高名な先生方のお話を・・・しっかり聞かせて頂きました。
 
日本衛生学会としても・・は,勿論,大学としても対応しないとならない課題です。
会場は,日本医師会館! 
ヒポクラテスさんもいらっしゃいました。

それと・・・丁度,タイミングが良い(高崎へ移動でした)ので・・・以前からお世話になっている・・そして,本学,現理事長「川崎明徳」先生が非常に力を入れられていたと聞いています「医学教育振興財団」(お茶の水)に立ち寄って,ご挨拶をしてきました。

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さて,今日の「ちょっと寄り道」は旧古河庭園です。

医師会館の最寄り駅が駒込・・・去年は,医師会館への途中の六義園に寄りました。
今日は,駒込駅からは北向き・・・ちょっと反対向きですが,旧古河庭園です・・。
以前,王子の辺りで学会があった時,近くの平塚神社(浅見光彦の小説で有名ですが)までは来ていましたが,入れていませんでした。
案内図にある様に,回廊式っていうか,ぐるぐる回る感じです・・

歩いたまんまで・・・紹介して行きます(行ったり来たりしていますが・・・)
で,基礎知識が無かったのですが・・・入ってびっくり・・
欧風建築の建物と・・・イングリッシュ・ガーデンなのですね!
薔薇の時期には,本当に素晴らしいでしょう!
  
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ただ・・・建物周辺以外は,結構な,日本庭園です。
燈籠も沢山あります。
【旧古河庭園は、東京都北区にある都立庭園である。1917年(大正6年)に古河虎之助男爵の邸宅として現在の形に整えられた。現在は国有財産であり、東京都が借り受けて一般公開している。国の名勝に指定されている。】ですよ!
【明治期の当地は陸奥宗光の邸宅であったが、宗光の次男潤吉が古河財閥創業者である古河市兵衛の養子となったため、古河家に所有が移った。】ですから,日本庭園なのですよね!
ちなみに【陸奥 宗光(むつ むねみつ、天保15年7月7日(1844年8月20日) - 明治30年(1897年)8月24日)は、日本の武士・紀州藩士、政治家、外交官。「カミソリ大臣」と呼ばれ、外務大臣として不平等条約の改正(条約改正)に辣腕を振るった。江戸時代までの通称は陽之助。正二位勲一等伯爵。家紋は仙台牡丹。】です。日本史です。
先ほどの滝から登ると,最初の建物とその横の広い芝生の処に出て・・・で,反対側を降りて行く途中には,茶室があります。
この辺りになると,もう,普通に・・・東京に結構ある昔の大名屋敷跡の日本庭園っぽくなりますね。
【その後、1917年(大正6年)に古河財閥3代目当主の虎之助(市兵衛の実子)によって西洋館と庭園が造られ現在の形となった。洋館と洋風庭園は、戦前に亘り多くの洋風建築を手掛けたジョサイア・コンドルにより設計された。また、日本庭園は近代日本庭園の先駆者として数多くの庭園を手掛けた小川治兵衛(植治)により作庭された。】だそうです。
燈籠が一杯・・・と,説明があるのがいいです。
ちなみ【七代小川 治兵衛(おがわ じへえ、万延元年4月5日(1860年5月25日) - 昭和8年(1933年)12月2日)は、近代日本庭園の先駆者とされる作庭家、庭師。通称植治(屋号)。】です。
【植治は、明治初期、京都東山・南禅寺界隈に新たに形成された別荘地において、東山の借景と琵琶湖疏水の引き込みを活かした近代的日本庭園群(南禅寺界隈疏水園池群)を手掛けたことで名高い。琵琶湖疏水は計画段階では工業動力としての水車に用いることが期待されていたものの、その後、工業動力としては水力発電が採用され、明治23年に疏水が完成した時には水車用水としての用途はなくなっていたのである。明治27年、植治は並河靖之邸の七宝焼き工房に研磨用として引きこんだ疏水を庭園に引く。次いで山縣有朋の求めに応じて、庭園用を主目的として疏水を引きこんだ無鄰菴の作庭を行う。これを草分けとして、植治は自然の景観と躍動的な水の流れをくみこんだ自然主義的な近代日本庭園を数多く手がけて、それらを設計段階から資材調達、施工、維持管理まで総合的に引き受けていく。】だそうです。
普通,回遊式では,基本的に一つの環状線で回る印象なのですが,ここの小径は,入り組んでいますね・・。
広場も,設けてありました。
そして,東京の真ん中でこういった空間に入れるのが・・・ステキです。
作庭家ですが【植治は、平安神宮・円山公園・無鄰庵(山縣有朋公邸)・清風荘(西園寺公望公邸)・対龍山荘(市田弥一郎邸)・等国指定名勝指定庭園の作庭、さらに古河庭園、平安神宮、京都博物館前庭、野村碧雲荘などや住友家(有芳園・茶臼山邸・鰻谷邸・住吉・東京市兵町邸)・三井家・岩崎家・細川家等数多くの名庭を残す。そのほか、京都御苑と御苑内御所・修学院離宮・桂離宮・二条城・清水寺・南禅寺・妙心寺・法然院・青蓮院・仁和寺等の作庭および修景も手がけた。】だそうです。
梅雨が明けきれず・・・各地では豪雨の被害も続出している日でした。東京も曇天から少し晴れ間覗くかな?って感じで,少し蒸し暑い感じでした。
そして【1926年(大正15年)に虎之助夫妻が牛込市谷船河原町に転居した後は、古河家の迎賓館として使用された。 第二次世界大戦中は陸軍に接収され、南京国民政府成立前には、汪兆銘が匿われていた事もあったという。終戦後は連合軍に接収され、イギリス大使館付駐日武官の宿舎などに利用された。】という歴史です。
枯滝もあります。
枯滝とは【枯山水に配置した滝。鏡石を水に見立て、垂直に落ちる滝を象徴したり、2段・3段に石を組んだものなど様々である。】と建築用語辞典です。
夏の緑も濃い雰囲気ですが・・・秋の紅葉もいいでしょうね。
東京はこういった庭園が結構あるので,出張も楽しみです。
ちなみに日本庭園部分は【心字池を中心に、大滝、枯山水、茶室等を配する本格的な回遊式庭園である。台地斜面上の大滝付近の植え込みが深山の趣を醸し出しており、庭園の構成に深みを与えている。】ということで,元々の地形を利用しています。
この日は,まだ,梅雨が日本列島を覆っていました・・・各地で,集中豪雨の被害も出ていました。
豪雨の被害が可也出ていました。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りします。そして,被災の方々には心よりお見舞い申し上げます。
亀も暑そうですが・・蒸し暑い,でしたよね。
歴史の続きですが【財産税の物納で国有財産になった後は東京都に無償で貸し出され、1956年(昭和31年)4月30日に都立公園として開園した。その後も洋館は半ば放置された状態で荒廃が進んだが、1982年(昭和57年)から1989年(平成元年)まで7年をかけた修復工事により現在の状態まで復元された。2006年(平成18年)には、大正時代初期の形式をよく留める庭園が評価され、国の名勝に指定された。】だそうです。で,現在ですね。
日本庭園の凝った趣向は,狭い土地の中での粋でしょうか・・。
茶室の裏側の方に登っていくと・・・煉瓦作りの倉庫もありました・・・たぶん,倉庫だと思うのですが・・。
この辺りが洋風建築も混在しているからこそって感じでしょうか。
茶室も利用できる様ですね。
池を横切って・・・反対側です。
ここには渓谷が作られています。
そして,日本庭園をぐる〜って廻ったので・・・こんどはEnglish Gardenの方へ・・・。
いろんな趣向があるのですね・・・。
去年,同じ会に来て六義園を訪れた時には,ギャル系モデルさんが浴衣で撮影会をしていました。今年は欧風庭園もあるせいか外人モデルさんの撮影です・・・一人の撮影のために,これだけの人数・・・カメラマングループ,ヘアやメイクのスタッフたち,きっと雑誌系のスタッフさんとか,モデルさんのマネージメントとか・・・・大変ですね。
さて欧風庭園ですが【洋館南側の洋風庭園は、テラスが階段状に連なるイタリア式庭園と、平面的で幾何学的に構成されるフランス式庭園の技法があわせて用いられている。バラのテラス庭園は、一段目の花壇は正しく左右対称形であるが二段目から中央の階段を挟んで左右に方形の植え込みとなっている花壇東側の方形北東部が斜面突出部によって欠けている。これはコンドルが敷地下部の日本庭園との調和をはかるため意図的にバラ園の対象形を崩したものと推測されている。現在のバラ園には、プリンセスマサコ等の品種が植えられている。】だそうです。
舞台がぐるっと変わったように・・・・ここは,また大正ロマンのイメージでしょうか??・
こういった雰囲気もステキですね。
薔薇の頃に来たいものです・・これだけが咲いていました。
館の中も見学ツアーがあるそうですが,ガイドさんが入るので,時間指定で・・・入る余裕はありませんでした。
窓越しの室内の様子です。
他にも室内の様子です。
豪奢っていうよりも,瀟洒・・・っていうか,整った建物ですね。
【1917年(大正6年)5月竣工。外観はルネサンス調。煉瓦造の躯体を、新小松石の野面石積みで覆っている。1階は食堂、ビリヤード室、喫煙室などの接客空間である。2階は家族の居室など私的空間で、和室も設けられている。現在は財団法人大谷美術館が洋館の管理を行っている。洋館1階は喫茶室になっており、テラス越しにバラ園・日本庭園を望むことができる。洋館内を見学することも可能だが、希望日の10日前までに往復葉書での事前予約が必要なので注意。なお、結婚式場として洋館を貸し切ることも可能である。】とのことです。
こっちは,使用人用テラスって感じですね。
紫陽花も少しもう季節に追い越されています。
最後に,建物テラスから見える芝生広場って所ですが・・・売店もありますね。
小鳥たちが・・・何かついばんでます。
ちょっと蒸し暑かったのですが,こういう風景に時間も止まって・・・日頃の雑事を忘れることも出来ます。
   
でも,外塀は・・・白壁! 奥に神社の鳥居も・・・そこには入れませんでしたけれど・・。
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さて・・・後は,日本医師会館を目指しましょう!
  
ここは丁度古河庭園のある坂です。本郷通りですが・・。
      
お地蔵さんもあったり・・・古い湯屋があったり・・・。
そして駒込橋の古い欄干もありました。