2010.7.6.
岡大泌尿器科との共同研究の検体を取りに行く役は,今日は大槻です。
今日の「ちょっと寄り道」は岡山市庭瀬
應徳寺さんです。
薬師堂の方に,まずは・・・。
庭瀬は,古い街道が残っていて,歴史を感じさせますよね!
庭瀬藩は・・・【慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで西軍主力となった宇喜多秀家の家臣であった戸川達安は内紛により東軍方についた。その功により達安は29,200石を領し立藩。庭瀬城を居所とした。2~4代藩主はそれぞれの兄弟に領地を分与したため、4代安風の代には2万石となった。延宝7年(1679年)安風に嗣子なく廃絶。一時、廃藩となった。4年後の天和3年(1683年)下総国関宿藩より久世重之が5万石で入封し再び庭瀬に陣屋を構え立藩した。貞享3年(1686年)重之は丹波国亀山藩に移封。7年の後、元禄6年(1693年)大和国興留藩より松平信通が3万石で入封。元禄10年(1697年)信通は出羽国上山藩に移封となった。元禄12年(1699年)上総国高滝藩より板倉重高が2万石で入封し、廃藩置県まで板倉氏が11代172年間在封した。江戸後期の文政元年(1818年)7代勝資は藩校誠意館を開ている。明治4年(1871年)廃藩置県により庭瀬県となった。後、深津県・小田県を経て岡山県に編入された。板倉家は明治17年(1884年)の華族令により子爵となった。なお、第二次大戦前に内閣総理大臣となり五・一五事件で凶弾に倒れた犬養毅はこの藩の郷士の出身である。】です。
こちらは本堂です,堂々とした伽藍ですね。
お寺の由緒です。
そして,街並には,いろんな説明板もあります。
油商が祭った住吉神社です。
ちゃんと水神様もあるし・・・境内社も沢山
火の見櫓・・っていうか,半鐘台って感じですが・・・これもまた歴史でしょうね。
そして
水運で栄えた庭瀬とのことで,今も水路が縦横無尽に・・いろんな道案内版も・・
さて,ぼちぼち岡大めがけて進みましょう! |