2010.6.21.

岡山大学津島キャンパスで,オルガノンの会議でした。
 
今回はFD・SDの委員会でしたが,従来岡大さんがされてらしたことをオルガノンの参加を募ってという意味合いと理解しました。
  
今回は,医用中毒の富田先生もご一緒でした。富田先生は250ccのスクーター! すごいっすね!。
教養棟でありました。丁度,授業終了の頃で,若い学生さんが一杯でした。
広いキャンパスと,それぞれ棟が違って,外と直結しているのは,川崎医科大学にはない光景です。
  
陸上競技場もすぐ隣でした。

行く前の寄り道:ブラ@タケミです。
今日は岡山市の東花尻の天神社!
相当な急傾斜です。
花尻町内会さんのHPによりますと,【北側は吉備路の東の出発点である「吉備の中山」があり、周辺には桃太郎伝説で有名な吉備津神社や吉備津彦神社を始め、寺院や仏閣、古墳や遺跡が数多くあり、遺跡は現在も発掘調査が進んでおり、貴重なものも多数出土しています。また、花尻の由来について少し説明をさせて頂きます。昔から花尻町内を「道丸(どうまる)花尻」と呼んでいました。この「道丸」の由来は、『昔、神武天皇が東征になって吉備の国に長い間滞在していてたさい、いざ出発の時に家来の道主命に「吉備地方を守れ」と命じました。そこで道主命は、この花尻に住んで地方の支配者となったそうです。そして、代々豪族として栄えたとのことです。その後、吉備津彦命(きびつひこのみこと)が四将軍の一人として吉備のこの地に来たとき、花尻に道主命の子孫の道(みち)麻呂がおり、彼は吉備津彦命の軍にしたがって各地で戦い、手柄をたてたが、ついに戦死しました。そして、道麻呂が住んでいた邸宅のあった場所を門所(もんじょ)といい、道麻呂がいつしか、道(どう)麻呂となり、さらに麻呂がなまって丸になったといわれています。また、本町のすぐ北にある前方後円墳(車山古墳)の古墳は道麻呂を葬っている塚だともいわれています。このような環境の良い場所に位置するのが「花尻町内会」です。】だそうです。
枇杷ですかしら・・・。
天神社ですが,菅原道真公を祀る天満宮ですよね!

鐘楼もあります。土俵もあります。
本殿も落ち着いた佇まいでしっとりと位置しています。
結構,スーパーなども増えてきて,ベッドタウン化している辺りですが・・
この山は上記にもあるように「吉備の中山」で北側には,吉備津神社や吉備津彦神社もあります。
それに黒住教の本山もありますよね!
とはいえ・・・こういった旧来の村社も残っているのですね・・
遠くコンベックスの建物なども見えていますし,鳥居と新幹線が平行して見えています。
    
どこでも・・・旧来の家並みと,新興の住宅とが入り乱れている感じです。
  
そして,いくつかの紫陽花! 季節そのままです。
この日は,降雨もなく・・・でも,ずっと曇り空でした。