2010.6.19.

日本列島も梅雨入り・・・で,そこそこに雨が降り続いているのですが・・・今日は西日本〜東海は曇りながら雨には至らず!
大学の用事で名古屋です。

少し早く着いたので・・・徳川園に行ってきました。

大曾根駅から徒歩10分・・・
で,園の外には,徳川美術館や蓬左文庫などがあります。

入り口の門は「黒門」です。
葵のご紋も!
 
【明治33年(1900年)に完成した尾張徳川家の邸宅の遺構で、総けやき造りの三間薬医門です。連続する脇長屋と塀を含めて、昭和20年(1945年)の大空襲による焼失の被害を免れた数少ない遺構であり、武家屋敷の面影を伝える貴重な建造物群です。 】だそうです。確かに結構重厚!
蓬左文庫は【尾張徳川家の旧蔵書を中心に、和漢のすぐれた古典籍を所蔵する公開文庫です。戦前は、徳川黎明会所属の文庫として東京・目白の尾張徳川家邸内で研究者等に公開されていましたが、昭和25(1950)年、名古屋市に移管され、以来、旧尾張徳川家大曽根別邸内の現在地で蔵書の管理と公開が行われています。昭和53年(1978)10月から名古屋市博物館の分館となり、昭和58年(1983)10月改築、そして平成16年(2004)11月、従来の閲覧機能を情報システム化により向上させるとともに、展示室を拡大整備して徳川美術館の展示室と連絡させ、内容も連携するなど展示機能も充実させて、リニュアルオープンいたしました。現在の蔵書数は約11万点。徳川家康の旧蔵書である駿河御譲本約2,000点を中心に、国書(和書)65,000点、漢籍25,000点、古地図 2,500点、洋書(蘭籍)100点、他に古文書など、蔵書内容の豊富さが当文庫の特徴となっています。】だそうです。
紫陽花なども・・・
駐車場側のそとには・・
 
外回りの通路も,庭内の様に・・木々で包まれています。
お土産ショップも葵です。
つるべ取られる・井戸もあったり・・ショップでは和傘貸し出し中らしいです。
  
この時期のイベントなんだって!
北の入り口


さて園内に!

動画で見る園内の様子です。

結婚式場も併設なんですね・・・白無垢です。
虎仙橋【虎の尾に架かる檜造りの木橋で、5m下に渓流を見下ろし、下流に龍仙湖を望みます。】を渡って・・・
小さな池の上流は,大曾根の滝です。
この滝は【虎の尾を上りきると到達する落差6mの三段の滝です。上、中、下段の岩の組み方が異なるため、それぞれ水しぶきの表情には変化があります。滝の背後の山は徳川園の中で最も高く、龍仙湖水面との標高差は約11mあります。「大曽根」は、古くからこの辺りの地名でした。】だそうです。
いわば滝壺近くまでも行けました。
    
越えていくと・・・四睡庵です。
【梅や桃の木に囲まれた休み処で、隠れ里のような風景の中にぽつりと立っています。四睡とは、禅の境地を示す画題の一つで、豊干、寒山、拾得の三人が虎と寄り合って眠っている情景をあらわします。】との由。
日本庭園って自然を模しているんですよね!
で・・・この徳川園とは・・・【徳川園は、徳川御三家筆頭である、尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としています。当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広大さで、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたと言われています。光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られましたが、明治22年(1889年)からは尾張徳川家の邸宅となりました。昭和6年(1931年)、十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた名古屋市は整備改修を行い、翌年「徳川園」が公開されました。昭和20年(1945年)に大空襲により園内の大部分を焼失した後は一般的な公園として利用されてきましたが、平成16年秋に日本庭園としてリニューアルしました。】だそうですよ!
龍仙湖が見えてきました。
菖蒲園です。
【江戸時代に改良されて今も親しまれる江戸系などを中心に約1700株の花菖蒲を楽しむことができます。見頃は5月下旬から6月初旬です。】ちょっと盛りは過ぎちゃっていました。
これは西湖堤です。
 
【白楽天、蘇東坡など、古くから文化人の憧れの景勝地である中国杭州の西湖の湖面を直線的に分ける堤防を縮景したもので、異国情緒を日本庭園の中に取り入れています。東京都の小石川後楽園、広島県の縮景園など、現存する大名庭園にも見られる様式です。】---確かに,いろんな庭園で観てきました。
蓮の花も少し開きかげんです。
龍仙湖は【海に見立てた水面の周りに見どころを配する池泉回遊式庭園の中心的存在で、地下水を水源としています。黒松を背にして浮かぶ島々、巨石に懸かるもみじ、水際を渡る飛石、突き出す砂嘴、舟小屋のある渡し場などを巡りながら楽しむことができます。】です。
なかなか,奥行きもあっていいですね。
こちらは牡丹園園【春には徳川園一帯で約1000株もの牡丹が豪華に咲き誇ります。見頃は4月の中、下旬です。】もちろん,春にね!
花の様子なども見て行きましょう!
このいろんな自然をなぞった様子は,いいですね!
ひたすらに眺めているだけでも,心が和みます。
【徳川園は、池泉回遊式の日本庭園で、江戸時代の主だった大名庭園もこの様式です。清流が滝から渓谷を下り海に見立てた池へと流れるありさまは、日本の自然景観を象徴的に凝縮しています。さらに徳川園は、高低差の大きな地形、既存のまま取り入れた樹林、立体的に迫る大きな岩組みが特徴で、変化に富んだ景観を大胆に切り替える構成を用いて大名庭園の「荘厳さ」を大観できるようにしています。新緑や紅葉、牡丹や花菖蒲の花々など四季を通じて楽しめる庭となっています。】との説明ですが・・。
秋などは,本当にきれいな感じがしますね!
茶室もあります。
このような入り口から茶室へ向かいました。    
【光友の諡號「瑞龍院」から名づけられた小さな茶室で、龍仙湖の彼方に西湖堤を眺望することができます。織田有楽斎を始祖とし、かつては尾張徳川家で重用された尾州有楽流に因み、有楽好みの様式を取り入れています。】〜〜茶室の様式はちょっとよく判りませんけれど・・・・。
竹垣ですね・・「竹垣に竹立てかけた」です。
さて,また,龍仙湖が見えてきました。
先ほど,結構式もされていたのが・・・観仙楼【龍仙湖に面する二層の建物で、眺望が抜群です。レストラン、ホール、ショップとしてご利用できます。】です。
その横には・・龍門の瀧です。
【龍門瀑ともいわれ、鯉が滝を登りきって竜となったという登竜門伝説に基づく滝の一形式です。尾張家江戸下屋敷跡地にあった滝の石を使用し、徳川園に再現しました。 】
【寛文9年(1669年)二代藩主光友の頃に造営が始まった尾張家江戸下屋敷(戸山屋敷)では、当代随一と言われた庭園を有し、園内には「鳴鳳渓」と呼ばれた渓谷を構成する龍門の瀧がありました。鳴鳳渓は、渓流の飛石の上を渡りきると急に龍門の瀧から落ちる水が増して石が水中に没するという趣向が凝らされたもので、当時園遊会に招かれた将軍や諸大名は、大変驚き、また、喜び楽しんだと言われています。】
そして【戸山屋敷は現在の東京都新宿区の戸山町辺りで、今では面影を残す場所も数少なくなりましたが、平成10年(1998年)に早稲田大学の敷地内で江戸時代の大規模な石組みが見つかりました。早稲田大学と新宿区教育委員会による発掘調査の結果、戸山屋敷にあった龍門の瀧の遺構であることが確認されました。発掘された石材は、伊豆石と呼ばれる安山岩で、総数約360個、総重量約250tに上り、江戸城築城の余り石と推定されています。徳川園では、早稲田大学から譲り受けたこれらの石材を滝の布落ちや護岸、河床、飛石などに用いるとともに、水量を急激に増す仕掛けを取り入れて、戸山屋敷の龍門の瀧を蘇らせました。】だそうです。
  
蜻蛉も・・・
紫陽花も・・・
  
そして,最初の
虎仙橋の下を流れる辺りが・・・【虎の尾:深山幽谷の山水画を思わせるような渓谷美を表現しており、初夏には新緑、秋には紅葉が美しく彩ります。椎の樹林から流れ出した水が、もみじの木々を縫って龍仙湖へと注ぐ形状は虎の尾のようで、「虎の尾を踏んではいけない」ことから「川に足を踏み入れてはいけない」ことを連想させます。】です。

上流へ向かって・・・
これでなんとか,ぐるりと一周した感じですね。
再び,四睡庵のそばを抜けて・・また裏手から龍仙湖のところへ出てきます。
さて,出口へ向かいましょうか・・
深いいろんな緑が・・・雨の合間で(実際,帰路の名古屋駅では豪雨になっていました)濃厚になっていましたね!
とっても楽しめました!
 

さて・・・道端でとあるお宅の庭の紫陽花です。
  

そして・・・用事は名古屋駅直結の・・マリオットアソシア!
フロントロビーのフロアーの15Fからは,市内が一望です。
大きな街です。TV塔も見えていました。