2010.6.4-5 科学・技術フェスタin京都で・・・講演を聴くだけなら日帰りも可能だったのですが,今年は展示ースを1つ出しましたので,前日の17時までには設営とのこと!
宿泊しました。前の日,設営後に・・・ブラ@タケミです。
   
比叡山を拝みながら・・・高野川沿いに南へ・・
 
叡山電鉄を越えて・・・修学院の辺り・・鷺宮神社です。
長い参道を,東へ・・・
神社に着きました。神楽殿の修繕工事の様です。
周囲は住宅地なのですが,結構,山深い印象になっています。
暮れなずむ時で,児童たちが遊んだり犬の散歩の人たちとか・・・・子供連れとか・・
【鷺森神社(さぎもりじんじゃ、さぎのもりじんじゃ)は京都府京都市左京区にある神社。毎年5月5日に例祭七里祭(さんよれ祭)が行われる。貞観年間(859年〜877年)の間に創建されたとされる。比叡山山麓の七里の産土神であり、以前は修学寺の帝王と呼ばれたという。応仁の乱などにより、江戸時代初期に現在地に移ったとされる。】です。
紅葉の頃はさぞかしって感じで,新緑のもみじも多いですね。
【鷺森神社の名前は、神の使いとされる鷺が神社の森に集まっていたところから、この名前がついたそうです。】だそうです。
そんなに広くはないですが,落ち着いた佇まいです。
【祭神:素盞嗚尊 神号は鬚咫天王(しゅだ),由緒: 修学寺の天王とも称した。本来の祭神は牛頭天王である。神使の鷺がこの森に群集していたのが名前の謂われとされている。 赤山禅院の側に鎮座していたが、修学院離宮の建設にともない、現社地に遷座した。 赤山禅院との関連がないはずがなく、赤山禅院の鎮守ではなかったか、と推測できる。園城寺の新羅善神堂からの勧請と見て、五十猛命を祭神とする区分に入れた。】だそうですね!
神社を囲む杜を抜けて・・・曼殊院さんの方へ向かいます。
緑が深いですね・・特に黄昏時は・・・
こんなお庭のお宅があったり・・・・
  

で,曼殊院さんの・・・手前の曼殊院天満宮です。
 
【延暦の年、最澄が鎮護国家の道場として比叡山に創建する。天暦の年、是算国師のとき比叡山西塔北渓に移り「東尾坊」と号した。寛弘元年10月、北野天満宮を造営する際、是算国師が菅原氏の出生であったことから一条天皇より北野別当職に命ぜられた。爾来、明治の年まで曼殊院住職が別当職を歴任することになった。天仁の年、8代忠尋大僧正が寺号を曼殊院と改め、明暦2年、曼殊院29代良尚新王が曼殊院を一乗寺の地に移転した。萬治3年、裏山天満宮を遷座し、弁天堂とともに鎮守堂とした。弁天堂は叡山無動辨財天の前立で、比叡山までの体力がない者は曼殊院前の弁天堂を拝して帰宅したと云われる。 】です。
ひとつ一つのシーンが,心に響く感じです。
茶店もありました。
弁財天も一緒にありますよね!
裏手まで池が続いていました。
いろんな緑に溢れています。
種々の緑がいいですね!
池には鯉と亀・・人が歩くと餌をもらえるって思うのか,集まってきます。
それほど大きくない境内なのですが曼殊院さんと一体ですよね!
さて,曼殊院さんは,既に閉館時間でした。
【曼殊院(まんしゅいん)は京都市左京区一乗寺にある天台宗の仏教寺院である。山号はなし。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は是算(ぜさん)である。竹内門跡とも呼ばれる門跡寺院(皇族・貴族の子弟が代々住持となる別格寺院のこと)であり、青蓮院、三千院(梶井門跡)、妙法院、毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられる。国宝の黄不動画像や曼殊院本古今和歌集をはじめ、多くの文化財を有する。近畿三十六不動尊第十七番。】ですってよ!
確かに門跡となっています。
前庭の池っていうか,天満宮の裏手っていうか,その辺りを少しうろうろしました。
いろんな緑・・・木々が夕陽に当たっていました。
【 起源 :他の天台門跡寺院と同様、最澄(767-822)の時代に比叡山上に草創された坊(小寺院)がその起源とされる。その後、12世紀頃に北山(現在の京都市右京区・鹿苑寺付近)に本拠を移し、洛中(現在の京都市上京区・相国寺付近)への移転を経て、現在地に移転したのは明暦2 年(1656 年)のことである。寺伝では延暦年間(782-806)、伝教大師最澄が比叡山上に営んだ一坊がその起源とされる。円仁、安恵らを経て、10世紀後半の僧である是算の時、比叡山三塔のうちの西塔北谷に移り、東尾坊(とうびぼう)と称したという。最澄、円仁、安恵…というのは天台宗の法脈を表わすもので、曼殊院の歴史は実質的には是算の時代から始まるといえる。是算の事績についてはあまり明らかでないが、花山法皇(968-1008)の弟子であったという。】って由緒の様です。
改めて【曼殊院門跡は洛北屈指の名刹である。門跡というのは、皇室一門の方々が住職であったことを意味し、勅使門の両側の塀に残る五本の白い筋はその格式を今に伝えるものである。】だそうですね。
やはり京都は,本当に歴史あるお寺さんなどが多いです。
さて,そろそろ宿の方へ・・・
  

街中ですが,こんな処もありました。
ちょっとへぇ〜って感じですね。