2010.5.26-28
福井での日本産業衛生学会・・・これまで結構,福井には来ています。
2008.12月 2007.7月 2005.10月 2004.9月

今回は,旅路に沿っての紹介です・・・

新大阪駅では・・・いろんな特急が見れました。
北近畿は・・・郷里福知山が中心になっています! サンダーバードで移動です。
湖西線を抜けていきますが・・あいにく,今回の会期中・・雲が多かったのですが・・・琵琶湖も・・

さて,28日の早朝! これまでいろいろと福井は巡りましたし・・・ちょっと丸岡まで足をのばしました。

早朝です。
福井駅前の舗道には,石垣が埋まっていました。
東口っていうか,再開発されているようです。そして新幹線が待ち遠しいようですね。
 
早朝すぎて人の居ない福井駅構内! 
金沢行きの始発列車です。
  
田植えの終わった水田と,小麦畑でしょうね・・。
そして九頭竜川を越えて行きました。
ちなみに・・・福井→森田→春江→丸岡と停車して行きましたが,車内アナウンスで女性の車掌さんが「モリタ ハルエ---」っておっしゃってて,停車駅を順番に云われているのが,ご自分の名前でも云われているのかってちょっとびっくりしました。
  
丸岡で下車! ここから,でも,丸岡城のある辺りまでは,直線距離でも3km以上はありそうです・・・ちょっと小雨・霧雨模様だし・・・ガンバ!
 
坂井市で,農業高校そばの・・・用水路です。

まずは,日吉神社です。村杜って書かれています。
たぶん,合併前は坂井町と丸岡町と春江町の境の辺りですよね!
境内社もありました。
それと,この辺りに用水路の様に川が整備されていて・・その記念碑もありました。
   
ちなみに「宮領」と云う地名は,本当に神社の土地って感じでした。


丸岡町一本田中って辺りまで進みます。
八幡神社です。
祠の所に,「應神天皇」となっているのも,珍しいような・・気がしますね。
梵鐘もありましたが・・・。村の杜って感じが強いのでしょうか?

そして,道々の様子ですが・・・
   
火防の祠が結構,沢山ありました。

さて,丸岡町に入って,城下町です。こんな案内板も・・
 
そして,小学校の塀もそれっぽいし,旧家もあります。
  
で,角を曲がるとっていうか・・・天守が見えてきました! 丸岡城です。
  
【丸岡城は、福井平野丸岡市街地の東に位置する小高い独立した丘陵に築かれた平山城である。近世に、山麓部分が増築され、周囲に五角形の内堀が廻らされていた。天守が現存する日本国内12箇所の城郭(現存天守)の一つである。城跡に現存する建築は天守のみで、国の重要文化財に指定されている。その他、石垣が現存している。移築現存する建物として、小松市興善寺およびあわら市蓮正寺に、それぞれ城門、丸岡町野中山王の民家に、不明門と伝わる城門がある。ほかに土塀が現存する。五角形の内堀は現在埋め立てられているが、この内堀を復元する計画が浮上している。】だそうです。
それほど高くない岡の上です。
   
謂わば小振りなのですが,それだけ現実味が強いですね!
いろんな碑などもあります。
【 1576 年(天正4年) 織田信長の家臣で、越前ほぼ一帯を領していた柴田勝家の甥である勝豊により築城され、勝豊はそれまでの豊原寺城から当城に移った。/1582 年(天正10年) 本能寺の変の後の清洲会議により、勝豊は近江国長浜城に移された。代わって勝家は安井家清を城代として置いた。/1583 年(天正11年) 柴田勝家が豊臣秀吉によって北ノ庄城で滅ぼされると、この地は丹羽長秀の所領となり、長秀は丸岡城主として青山宗勝(修理亮)を置いた。/1600 年(慶長5年) 丹羽長秀死後、領地はそのままに豊臣秀吉の家臣となっていた青山宗勝とその子・忠元は、関ヶ原の戦いで敗者である西軍方につき改易された。越前国には勝者の徳川家康の次男・結城秀康が入封し、丸岡城には秀康家臣の今村盛次が2万6千石を与えられ入城した。/1612 年(慶長17年) 今村盛次は越前騒動に連座し失脚した。幕府より附家老として福井藩に附せられた本多成重[1]が 4万3千石で新たな城主となった。/1624 年(寛永元年) 福井藩二代目の松平忠直が、不行跡を理由に豊後配流となり、福井藩に減封などの処分が下された。同時に本多成重は福井藩より独立。大名に列し丸岡藩が成立した。/1695 年(元禄8年) 4代重益の治世、本多家の丸岡藩でお家騒動が起こり、幕府の裁定により改易となった。代わって有馬清純が越後国糸魚川藩より5万石で入城。以後、有馬氏丸岡藩6代の居城となり明治維新を迎えた。】
との歴史です。
ぐるりと回らせて頂きましょう!
【北陸地方では丸岡城の天守のみが現存している。大入母屋の上に廻り縁のある小さな望楼を載せた古式の外観から現存最古の天守とも呼ばれている。現在、見られる天守は、昭和23年(1948年)の福井地震によって倒壊した後、昭和30年(1955年)に部材を組みなおして修復再建されたのである。その際、最上階の窓の造りが引き戸から突き上げ窓に改変されている。独立式望楼型2重3階で、1階平面を天守台に余分を持たせて造られているため天守台を被せるような腰屋根が掛けられている。屋根瓦には笏谷石製の石瓦が寒冷地であるという気候事情により葺かれているといわれる。】だそうですよ!
歴史が感じられるのは・・いいですね!
雨に煙っているのも,想いを昔に馳せさせてくれます。
桜の名所だそうですね・・・次はその時期に??
さて,丘の上が天守閣ですが・・・その少し降りた辺りは広場にもなっています。
ここも八幡神社です。
【昭和23年6月の福井大地震により一瞬にして壊滅に期した丸岡町復興のため、最高責任者として、当時の住民感情を克服し、近代化の基礎を築いた功績は特筆すべきものがある。友影町長は当時既に79歳の高齢にもかかわらず、老体に鞭打って立ち上がり、復興を決意。都市計画事業の施行と丸岡城の復元再興を企図し、以来寝食を忘れて挺身し、幾多の困難を克服。ついに今日見られるような街区を現出するに至ったのである。さらに、丸岡城の再建については近県近畿中京はもとより遠く北海道へと東奔西走し、有志の募金に努めた。席の温まる暇もなかったが昭和29年10月に至って名実ともに天下に誇る古城の復元となり、ここに再び越前平野の一角霞ヶ丘に昔日の城の姿を仰ぎ見ることができたのである。時に翁85歳。震災焦土の中から立ち上って今日に至ったその労苦に対し、重要文化財保護委員会の推薦を受け皇室より鳩杖を拝受した。また、没後19年の平成元年、二人目となる名誉町民の称号を得た。】とのことです。
牛ヶ島石棺です。
  
【牛ヶ島地区の東方のもと白山神社の杉林の中にあった円墳の西側から出土したものといわれ、同地区の八幡神社境内に置かれ、村人は何も気づかぬまま祭に立てる幟竿の控石に使われていた。足羽山で発見された石棺と同時代の古墳時代中期後半のものと考えられている。福井笏谷石(凝灰岩)製/外形 長さ2.10m・幅0.76m・高さ0.3m/内法 長さ1.7m・幅0.28〜0.44m・深さ0.14m/刳抜式で前後左右に各一個ずつある。蓋の板石は、小川の橋に利用していたが、現在は所在不明。】という説明板です。
街並が眼下に広がります。
下には,「一筆啓上茶屋」そうそう,ここは【日本一短い手紙と呼ばれる「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」は、戦国武将本多重次が息子仙千代、後の初代丸岡藩主本多成重のために送ったものである。このことから、「一筆啓上」の発信地として毎年日本一短い物語(日本一短い手紙)の募集、授賞式などが行われている。この一筆啓上のイベントは全国の自治体主催の公募イベントの先駆であり、全国で同じような公募が行われるきっかけとなった。】で,そういえば,山陽新聞なんかでも毎月かな? ありますね!
沢山,ありました・・一つ一つは読めませんでしたけれど・・・
  
降りて行くと,歴史資料館などもあって,緑深いお庭になっていました。
まだ人も少なく(といっても,犬の散歩の方などをちらほら見かけ始めましたが・・),しっとりと穏やかな様子です。
自分には「仕事しなくっちゃ!」としか一筆書けないっすね!
雨に濡れた緑は深い色です。
いくつかの碑やモニュメントもあります。
そして,久しぶりに青空も・・・

【丸岡城築城400年を記念して昭和53年旧城郭内に開館しました。常設展示室には本多氏・有馬氏歴代城主ゆかりの武具・調度品・掛軸・古文書などの品々を展示しています。共通券で重要文化財丸岡城に登城できます。】が資料館です。
さて,お城をぐるりと回りました。
 

お城のそばの辺りには,お寺さんも多いです。
ここは家老屋敷の址だそうですね。
庭園が残っています。
 
こんな案内です。
 
タブの木!椨の木です。
 
【・霊が宿る木とされていたことから、 「霊(たま)の木」と呼ばれ、 それがしだいに 「たまのき」→「たぶのき」に変化して いったとのこと。 ・椨の木の樹皮の粉から、線香が作られる。】ですって。
福井地震の震源地は丸岡町だったそうです。
そして,國神神社です。
広い境内です。
稲荷もあります。
石灯籠!
 
そして虹が見えました! rainbow seeker って,Joe Sampleの名盤ですが・・・。

近くを散策・・・少し,通勤通学の方々も増えてきました。
天満宮です ↑。
法栄寺さん ↑
淨應寺さん ↑
そして・・・城下町の案内が一杯です。
公民館もそれっぽいです。
外堀が今は川と呼ばれているようですが・・・

さて,丸岡駅まで・・4km弱・・戻らないと,セッションに間に合いません!
街々・・・の様子です。
馬鈴薯が・・・咲いています。
  
また別の八幡神社です。村杜ですね!
鳥居から祠まで結構遠いっすね!
村の鎮守の神様の・・って小さい頃に歌っていたままです。
本当に田畑が広がっています。
 
戦死者のお墓や・・・いろいろと・・・でも,ちょっと原風景的な・・っていうか・・さぁ,駅まで向かいましょう!